2023年4月9日(日)、イースターと呼ばれる復活祭の日を長野県佐久市内にある佐久カトリック教会で過ごしました。
この佐久カトリック教会を最後に訪れたのが2015年1月でしたので、もう8年ぶりですね。個人的にこの空白の8年間はユダヤ教に没頭していた時期でしたので、その間は毎年のように12月のハヌカや3月や4月の過越祭も大森にあるユダヤ教超正統派シナゴーグで過ごしていたことになります。新約聖書のルカの福音書(15章11節から32節参照)に登場する放蕩息子が帰ってきたようです。
こうして復活祭の為に信者さんたちがステキなお花を持ち寄って下さったのだと思います。
そして、今年は洗礼志願者はいらっしゃいませんでしたが、洗礼用の聖水は台の上に置かれ聖水の祝別が行われました。
佐久カトリック教会は、あの頃、2015年1月に訪れた時と殆ど変わりはありませんでした。
しかし・・・、何が大きく変わったのかというと・・・、それはこの佐久カトリック教会の主任司祭であるオランダ人のルカ・ホルスティンク神父さまが今年で91歳になられたということです。最初に私が18歳の頃にルカ・ホルスティンク神父さまの黙想会に参加した時、ルカ・ホルスティンク神父さまは55歳でしたからね。佐久カトリック教会のお友達がお元気なうちに会いにきて下さいとご忠告して下さいましたので。
最初にこのルカ・ホルスティンク神父さまに出会ったのが、1987年に私が大学生の頃に通っていた石川県金沢市内にあるカトリック広坂教会の青年会に所属していた頃でした。私にとって人生初の青年会主催の黙想会を担当して下さったのがルカ・ホルスティンク神父さまでした。そして、ルカ・ホルスティンク神父さまはドイツ語もおできになるということで毎年夏休みや春休みになると2週間ほどルカ・ホルスティンク神父さまと同じくオランダ人のジェラルド修道士が暮らしていた京都市内にあるフランシスコの家に滞在しドイツ語を教えて頂いていました。
37年前に京都フランシスコの家で撮影しました、56歳のルカ神父さまと19歳の私
しかし・・・、それよりも楽しみだったのが、直径50センチくらいはあるオランダ産の大きな丸いゴーダチーズを毎日美味しく頂けるということでした。そのフランシスコの家の冷蔵庫の中にその本格的なオランダ直輸入の大きなゴーダチーズが丸ごとド~ンと入っていました。 それを京都市内にある大丸デパートのドンクで売られていたライ麦パンと一緒に頂くと幸せな気分になりました。ルカ・ホルスティンク神父さまが使用されていたサドルの位置が高いオランダ製のブレーキがペダルにある危ない自転車に乗って大丸デパートでライ麦パンを買っている自分がステキと思っていたし、大きなオランダ産のゴーダチーズを専用ナイフで削ぎ落している自分もステキと思っていました。
本当にルカ・ホルスティンク神父さまのお陰でステキな青春時代を過ごすことができました、有難うございました! 私がドイツで暮らし始めてからも一時帰国する際には、いつも関西空港から出発する前の日に宿泊させて頂きました。こんな人生の中で出会える人間の数って限られてはいるものの、こうしてルカ・ホルスティンク神父さまとご縁を頂けたことに神さまに感謝ですね。
そして、もう1つ大きな変化があることが分かりました。この佐久カトリック教会を最初に訪れた2015年1月の頃と比較すると明らかに信者さんの数が増えていました。まあ~、確かにその殆どがお年寄りですが、それでも信者数が増えているということはルカ・ホルスティンク神父さまのお優しいお人柄に惹かれて洗礼を受ける日本人が増えたということでしょうか。だって、長野県佐久市なんて田舎の村ですから珍しいことと思います。
そして、復活祭のごミサが終わってから信者さん方による演奏会が行われました。今回、演奏された曲目は讃美歌の「ガリラヤの風かおる丘で」とモーツァルトの作曲の讃美歌 <Ave Verum Agnum>でした。たて笛とオーボエなどでの演奏でしたが、素人とはいえとてもお上手でした。
それにしても・・・、ルカ・ホルスティンク神父さまも91歳ということでバリバリのお年寄りということで・・・、その演奏に合わせて音程が外れたモーツァルト作曲の讃美歌<Ave Verum Agnum>を歌って下さっていました。人間って91歳になると自由人ですね。 真面目に演奏を聴きたかったのですが、余りにもルカ・ホルスティンク神父さまの音程外れた歌い方が面白すぎて笑ってしまいました。
そして、復活祭ということで信者さんたちが手作りのお惣菜を持ち寄りして下さいました。
今のところは・・・、パッと見た感じではお元気そうに見えるルカ・ホルスティンク神父さまですが、何せ70年前に来日されて以来ずっとオランダ的食生活をされていましたので(ライ麦パン、ゴーダチーズ、ハム、野菜少々)、特に大きなご病気もせず91歳まで生きてこれたのだと思います。コンビニ弁当やレトルト食品もご存じなかったようでした。しかし、お若い頃はそれでも大丈夫でしたが老人になると粗食だと栄養不足になり動けなくなったこともおありだったようでした。それ以来、信者さんたちが毎日当番制でルカ・ホルスティンク神父さまの為に手作り弁当を届けて下さっているとのことでした。
それでも、日本食がお好きでないルカ・ホルスティンク神父さまですから最初は「大丈夫です!日本のお弁当は要りません!」と拒否されていたようですが、健康維持の為と信者さんたちに説得され食べていらっしゃるようです。
ここでこれから3年間、佐久カトリック教会でお勤めされた後、大阪市内生野区にあるフランシスコ会日本支部へ戻り余生をフランシスコ会の修道院で過ごされるとのことですが・・・、可能である限り佐久カトリック教会へ足を運んでルカ・ホルスティンク神父さまにお会いしたいと思います。
一体、何が問題なのか?というと・・・、人間というのは体は大丈夫ですも頭に問題が起こることが多々あります。ルカ・ホルスティンク神父さまの場合もボケが始まっているようですから、今から3年後は私のことを認識できなくなる可能性もあります。
余談になりますが、石川県金沢市内にあるカトリック広坂教会で仲良くして頂いていた若狭美代さんも現在90歳を超えて入院されていますが、もうスマホも使えなくなり私のことも分からなくなってしまいましたからね。
まあ~、人間も91歳になるとご自分が何を話されたか覚えていらっしゃらないらしく、一般的なお年寄りの方々と同じように同じ話を何回もされるようになりました。
こうして撮影しながら観察していると、やっぱりお年寄りって耳が遠くなるせいか相手の話を聞かずに自分の話をされるようになりました。若干、会話が成り立っていない感じがしました。
佐久カトリック教会の信徒会館というかキッチンがこんな風になってしまいました。
もう91歳であるものの、こうしてスマホを操作できるということはスゴイと思いました。しかし、皆さんがルカ・ホルスティンク神父さまに話かけようとすると、「間違えるから話しかけないで!」といってメッセージを作成していらっしゃいました。
その復活祭の日には大阪にあるフィリピン人修道女が数名いらっしゃる修道院でもミサを執り行うことになっていたようですが、すっかり忘れてしまわれたようでした。そして、急遽、午後2時半に佐久駅で新幹線のチケットを買って大阪へ向かうことになりました。 91歳でスマホを操作できるオジイちゃんってスゴイですね。
そして、英語ミサの為にもお勉強を欠かしません。
今まで、2022年11月20日(日)に京成バラ園で買った「アンネのバラ」も成長して新芽も出て、ツボミもいくつか出てきた矢先に不運なことにアブラムシが発生して新芽や柔らかい葉っぱから樹液を吸って「アンネのバラ」の木を弱らせてしまいました。
本当は・・・、この「アンネのバラ」をお上げする約束をした頃にはまだアブラムシが発生しておらず全く問題なかったのですが。殺虫剤を2回散布したものの葉っぱの裏側にいたアブラムシを退治することができず葉っぱが枯れてしまいました。 申し訳ない気持ちで一杯ですが、また新しく健康な「アンネのバラ」を買い再度お上げする予定でいます。
こんな風にかなり大きくなり植え替えしましたが、大きな植木鉢がなくてバケツで代用しました。
もうこんなに大きくなると地植えしないとダメです。
こんな感じでパッと見ると何も問題なさそうですが、アブラムシが葉っぱの樹液を吸ってしまったので枯れそうになっています。新芽や若い葉っぱの柔らかい部分が好きなようです。
それにしても・・・、佐久カトリック教会へ行くには新幹線を降りたJR佐久駅から小海線という地方鉄道で中込駅まで行き、そこからタクシーで向かうことになります。しかし、1時間に1本しかないではないですか!
その復活祭のごミサは午前11時から始まるとのことでしたが、新幹線でJR佐久駅に到着したのは午前10時10分でそれから10時31分まで待合室で待機することにしました。自分のせいじゃないのにごミサに遅刻するってド田舎って腹立つな~!と思いましたが、結局のところド田舎は車社会なんですよね。
<Beauty Plus> という自撮り専用アプリで撮影しました。本当に1時間に1本しかローカル線が走っていない佐久市にガッカリしている表情が出ています。
因みに、こちらはスマホのカメラで撮影しました。自撮り撮影専用アプリで撮影した画像と比べると別人に見えます。
私が3歳の頃に上野動物園で父方の伯母と撮影した写真を見ると、改めて年齢を重ねる度に伯母にそっくりになってきたな~と思います。まあ~、若い頃も伯母に似ていると言われてきましたけど。