2022年7月3日(日)に一泊の予定で帰省した新潟県にある実家の本棚に保管してあったドイツのCDを現在住んでいる流山市内のマンションに持ち帰ってきました。
金沢市内にある四年制大学を卒業した後、1992年にオーストリアのウィーン大学(Universitaet Wien)ドイツ語コース(日本学科)に1年4か月間在学し、その後は北ドイツにあるビーレフェルト大学(Universitaet Bielefeld)のドイツ語教授法学部の修士課程に在学し、その中の2年間はイギリスのロンドン市内にある英国国際教育研究所で日本語教師養成コースに1年間通いました。その間、ドイツやイギリスの曲は勿論、フランスで流行っている曲などもテレビで流れていました。その時に流行っていた曲のCDを買いました。私が本帰国したのが2006年ですから、もう彼らは亡くなっていたり、白髪のお爺さんになってしまっていて残念です。
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※「ホントか?」と思われると困るので証拠書類を載せておきますが、こちらがウィーン大学の在籍証明書と学生証です。
※こちらがビーレフェルト大学の学生証と在籍証明書です。
※こちらが英国国際教育研究所の卒業証明書です。
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2006年にドイツから持ち帰ったCDの中で一番思い出深いのはこのマルティン・ケジチ氏(Martin Kesici)の「Angel of Berlin」です。最近、どの国でも流行っていますが日本の昭和時代に放送されていた欽ちゃん司会の番組「スター誕生」のドイツ版で優勝したマルティン・ケジチ氏(Martin Kesici)が決勝戦で歌った曲がこの「Angel of Berlin」でした。でも、ちょっとヘンだったのは、彼が優勝する一か月前からこの「Angel of Berlin」がテレビCMで流られていたということでした。それで後で色々と制作者側のお話をテレビでお聞きしたところ、そういうドイツでの「スター誕生」のような歌番組では最初から優勝者が決まっていてデビューする物語として意図的に制作された番組だったのだそうです。
でも、本当にステキな曲で、このヘビメタっぽい風格からは想像できないくらいの素晴らしい歌声ですので、この怖い外見を忘れて聞き惚れてしまいます。
そして、こちらは私が小学6年生の頃に知人からこのヴォルフガンク・ペトリ氏(Wolfgang Petry)が歌う「Der Himmel Brent」の曲のカセットテープをもらって聴いた、私にとっては人生最初のドイツのポップスでした。だから、コンサートには行きませんでしたが、実際にドイツのテレビで彼が歌っている姿を見ることができて感激していました。
まあ~、一般的にお髭顔だと年齢不詳に見えますが・・・、私が本帰国した2006年にもう既にヴォルフガンク・ペトリ氏(Wolfgang Petry)は54歳だったことが分かりました。あれから、もう16年経ち現在70歳の白いお髭のお爺さんになってしまわれました。下の動画が私が大好きだった人生最初に聴いたドイツ語の曲「Der Himmel Brent」です。
そして、こちらの「Bronze Silber und Gold」という曲で私がドイツで暮らしていた頃に流行っていたもので大好きな曲です。このヴォルフガンク・ペトリ氏(Wolfgang Petry)は、私が知った人生で最初のドイツ人歌手ということでとても心に残っていて、彼の曲はいつもちゃんと最初から最後まで聴いています。
そして、こちらは現在のヴォルフガンク・ペトリ氏(Wolfgang Petry)です。やっぱり日本と異なるな~と思ったのは、ドイツでは実力で勝負するというか・・・、イケメンではなくても歌詞や歌声が素晴らしいと年寄になっても続けていけるのだなと思いました。
こちらは・・・、ドイツで緑の党が流行りだした頃にヒットした曲を出したイナ・データー氏(Ina Deter)です。金沢大学でドイツ語講師として働いていたドイツ人の先生からこのイナ・データー氏(Ina Deter)を教えて頂きました。
この頃は、もう本当にドイツで原発反対運動が盛んな時期でペトラ・ケリー氏(Petra Kelly)は緑の党を代表する政治家で1992年に敗北しドイツに原発がどんどん建てられていく中、ペトラ・ケリー氏(Petra Kelly)の夫であった ゲルト・バスティアン氏(Gert Bastian )と自殺してしまいました。そして、ドイツでの原発反対運動は終わりを迎えました。1992年は私がオーストリアに渡って直ぐの時にこの事件がニュースになり、金沢にいた頃に志賀原発の反対運動に参加していた頃のことを思い出し終わったなと思いました。
こちらは金沢大学でドイツ語教授であった田村光彰先生が和訳されたペトラ・ケリー氏(Petra Kelly)著「Um Hoffnung Kaempfen」の日本語版「希望のために闘う」です。
あの頃の私はまだ大学生でしたが、私が通っていた金沢市内にあるカトリック教会の事務員さんであった木越邦子さんとドイツ語教授であった田村光彰先生がお友達であってお二人とも志賀原発反対グループとして活動しておられて、ドイツ関係者であれば原発に反対するべきだ!のような風潮があったので何も分かっていない大学生の私も一緒に行動させて頂いていました。
木越邦子さんも田村光彰先生ももう既にお仕事は引退されましたが、ライフワークとして続けていらっしゃいます。
こちらが大学時代に田村光彰先生からお借りしていたペトラ・ケリー著 [Um Hoffnung Kaempfen]の英語版です。AMAZONで注文しました。
やっぱり、その時代のドイツって頭が良くて意志の強い女性が好まれる時代でもありました。日本のように頭が空っぽで学歴が低くて可愛い女性に対する評価は低く、ドイツでは女性は外見ではなく中身で勝負の時代でした。まあ~、昭和時代はね。しかし、ドイツの若者の間で日本のアニメが流行り出すと、やはりその日本の価値観がドイツの若者に伝わって現在では少数のチャラいドイツ人男性たちは典型的な日本の中身がない「スゴーイ!」ばかり連発している女性たちが好まれるようです。しかし、どんなに可愛い子ぶりっこしてみても結婚すれば化けの皮が剥がれるし不幸になる時は不幸になるんですよ。
そして、政治や社会的批判も多くされ、ネーナ(Nena)もそうでしたがイナ・データー氏(Ina Deter)のような自分の意見をはっきり言う気の強い女性歌手がモテはやされた時代でした。
そして、こちらは私が大好きだったミュンヘナーフライハイト(Muenchener Freiheit)のCDです。南ドイツのバイエルン州にミュンヘンという都会がありますが、そのミュンヘン市内にミュンフナーフライハイト(Muenchner Freiheit)という広場があるようですね。
ミュンヘナーフライハイト(Muenchener Freiheit)のボーカルを担当されていたシュテファン・ツァウナー氏(Stefan Zauner)の透き通る声とカッコいいルックスがとてもステキでした。しかし、人間は誰でも年寄になって死ぬ行くもので悲しいことに2002年に肺病でお亡くなりになりました。
この時はもう既に70歳近くなられていたのに透き通る声はそのままでした。お爺さんになっても忘れ去られることがないのはドイツらしいと思いました。
シュテファン・ツァウナー氏(Stefan Zauner)が亡くなられる以前に撮影された写真です。
そして、シュテファン・ツァウナー氏(Stefan Zauner)が亡くなられた後に新しいメンバーとしてティム・ヴィルヘルム氏(Tim Willhelm)が入りました。日本人から見るとどう見えるのか分からないのですが・・・、個人的には「こんな不細工な男がシュテファンの代わりにボーカルだなんて許せない!」って最初は思いました。
(画像提供:MÜNCHENER FREIHEIT official)
でも、その新しくメンバーになったティム・ヴィルヘルム氏(Tim Willhelm)の歌声を聴いたら、それはシュテファン・ツァウナー氏(Stefan Zauner)の声にそっくりだったのです。
だからこそ、観客の皆さんもそれを受け入れて歌に合わせて手を叩いて下さっているのだと思います。しかし、若干、彼自身勘違いしているような部分があり、歌っている途中でカッコ良くもないのにターンしている箇所があるので自分ではカッコ良くないってことに気付いていないんだな~と思いました。だから、早い話が・・・ドイツって実力で勝負なんですね。外見とかは関係ないようです。
この女性ボーカルグループとして活躍されていたノーエンジェルス(No Angels)はアイスクリームのCMでよく流れていた曲「Like Ice In the Sunshine」が好きで聴くようになりました。
そして、このノーエンジェルス(No Angels)はイギリスのグループを真似したのか分かりませんが、人種差別をしないように黄色人種以外の人種で構成されていました。この動画の順番から説明すると一番向こうの席に座っていらっしゃる女性はモロッコからの移民です。その次の女性が南アメリカ人、次がドイツ人、その次がドイツ人だけど黒人とのハーフ、そして、手前の女性がドイツ人となっています。
こちらは、イギリスの声楽家として活躍されていたラッセル・ワトソン氏(Russel Watson)です。1999年から2002年までロンドンで暮らしてい頃に好きだった歌手です。
ラッセル・ワトソン氏(Russel Watson)とルルという女性歌手がコラボで歌う「Prayer」が好きで今でも時々聴いています。
しかし、ラッセル・ワトソン氏(Russel Watson)はクラシックがご専門かと思ってしまいそうですが、Star Trek Enterpriseという番組のテーマソングも歌っていらっしゃいました。
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因みに、私がロンドンに滞在していた1999年から2002年の間に流行っていたクループって人種差別をしないように気を遣い過ぎていたのか分からないのですが・・・、恐らく意図的に黒人や黄色人種のメンバーがいました。
このイギリス人で構成された男性クループ「Blue」にも黒人とユダヤ人がいます。この動画の順番で説明すると向かって左端の男性はアジア系か中東系に見えるもののユダヤ人です。そして、右端にも黒人男性がいます。でも、黒人でもイギリス生まれでイギリス育ちなのでとても上品な感じがしますよね。
こちらも私がロンドンに滞在していた1999年から2002年の間に流行っていたクループ「Hear'Say」です。この動画を観るとお分かりと思いますが、フィリピン人とオーストリア人のハーフ女性がいます。しかし、外見的にはフィリピン人にしか見えませんけど・・・。そして、背が高くて黒髪のユダヤ人男性がいらっしゃるし、黒人と白人のハーフの男性もいらっしゃいます。
やっぱり、イギリスって植民地があるお国柄でイギリス国籍を取得していても人種が異なっていたりするので、どの人種のイギリス人からも受け入れてもらえる為に気を遣っている感じがします。