2012年10月14日の記事でご紹介した「希望のために闘う」の英語版を2週間前にAMAZONで注文し、やっと今日届きました。日本語版「希望のために闘う」を出版された田村先生からドイツ語版をお借りしていて、私の実家にある本棚に10年間くらい置いてあったのですが・・・私がドイツから一時帰国していた時に田村光彰先生に「あのドイツ語の本、いい加減返して!」みたいに言われてしまったのでお返しして、福島原発事故が起きてから再びペトラ・ケリーのことを思い出して検索したところ残念ながらドイツ語版はすでに絶版となってしまっていました。まあ~仕方がないので英語版を買ってみました。
私がウィーンにいた頃(1992年10月)、学校から帰ってきたら下宿の息子シュテファンが私に「ペトラ・ケリーが愛人のバスチアンと自殺したよ!」とその記事が載っている週刊誌をくれたのでした。その当時、私はまだ子供だったので何のことかさっぱり分からなかったのですが・・・その次の年くらいに金沢で田村先生と山本知佳子さんのお話をお聞きした時に知ったのは、今までは北ドイツにあるゴアレーベンという小さな村を原発のゴミ処理場として扱っていて反対する理由があったけれども、ある時日本の北九州にもっと最新的な再利用施設ができあがり原子力発電所が増えても問題がなくなったということでペトラ・ケリーは失望し自殺したらしいのです。こう考えてみるとドイツ人の青少年って社会問題について大人と一緒になって考えたりして若い頃から鍛えられるんですね。私も2チャンネルとかで過激なオバサンって言われているようですが・・・その当時から私は「鉄の女」の予備軍だったのかも知れません!
あの頃、田村先生とカトリック金沢教会の事務員をされていた木越さんが石川県にある能登原発をつくることに反対するグループに所属されていて、そのミーティングに私も参加することになり皆さんと一緒に「明日は手弁当ですからがんばりましょう~!」とか言って気合を入れてエイエイオー!をしたのはいいのですが・・・まだ「手弁当」という日本語が分からなかった私は「手作り弁当をもって知らない場所へ行って1日過ごすなんて、そんなのやってられるか~!」とか思い次の日はお休みさせて頂きました。その時、反原発グループのミーティングに参加されていたのが当時ベルリン大学を卒業されたばかりのジャーナリスト山本知佳子さんでした。もうご結婚されたと思いますがボーイフレンドのブルーメ氏とご一緒に参加されていました。その時、私がお会いした頃の山本知佳子さんのイメージが私にとってペトラ・ケリーのようで彼女はとても輝いて見えました。そして、私も将来彼女のようになりたいな~と思い、ずっと私もショートカットだったのです。ドイツで暮らしていたからという理由もあると思いますが、こんなサバサバして聡明な女性になりたかったので・・・日本風のカワイ子ぶりっ子に憧れたことはなかったですね。あれから15年以上経ちましたが、今でも山本知佳子さんってステキですよね♪
<山本知る佳子さんの「チェルノブイリ原発事故当時の西ドイツの対応」>
http://www.ustream.tv/recorded/15792497
それで当時ドイツで流行っていたイナ・データー(INA DETER)が歌う[Neue Männer braucht das Land ]をご紹介します。この曲の題名「(我々の)国は新しい男たち(政治家)を必要としている」の意味が示すように(別に歌詞は冗談でほのめかしていますが)ドイツ再統一に向けて歌われているものと思われます。ネーナ(NENA)の「ロックバルーンは99」も当時の政治に訴える内容になっていますが、あの頃はそんな歌が多かったようですね。UDO LINDENBERGの「SONDERZUG NACH PANKOW」とかHERBERT GROENEMEYERの「JETZT ODER NIE」そうですしね。ドイツ人は男女とも「鉄の民族」って感じがします。