夫婦喧嘩、すれ違いの果てにたどり着いた「ごめん」
先日来、私と妻の間には重苦しい空気が漂っていました。
アニメを見ながらケーキを食べる約束も、ランチの約束も、妻はことごとく忘れ、私はそのたびに裏切られたような気持ちになっていました。
連絡もなく夜遅くまで帰宅しなかった私の行動は、まさにその不満の爆発でした。
LINEも既読にならない日々が続き、「このまま改善しなくてもいい」とさえ諦めかけたほどです。
不機嫌の理由、ようやく言語化
正直なところ、自分から謝る気にはなれませんでした。
頭では「男が謝れば早く終わる」と分かっているものの、納得できない感情が邪魔をします。しかし、このままでは何も変わらない。そう思い直し、重い口を開いて、妻に不機嫌な理由を説明することにしました。
私が伝えたのは、約束を忘れられたことへの失望と、その結果として感じた怒りや悲しみ、そして連絡なく帰宅しなかったことへの経緯でした。
妻が約束を破ったと感じていたのは、私自身の「すっぽかされた」という受け止め方から来るもので、それは根深い不満となっていました。
「忘れてた、ごめん」たった一言が関係を動かす
私の説明を聞いた妻の返答は、拍子抜けするほどシンプルなものでした。
「それは忘れてた。ごめん」
妻は、私が不機嫌であることは感じ取っていたようですが、その根本的な原因が「約束を忘れていたこと」にあるとは、まったく思っていなかったというのです。私にとっては「わざと」すっぽかされたように感じていたことが、妻にとっては単なる「うっかり」だった。
この事実を知った瞬間、私の胸の中にあった蟠り(わだかまり)が、少しずつほどけていくのを感じました。
近い存在だからこそ起こる「あるある」
今回の件を通じて痛感したのは、「近い存在だからこそ、起こりやすいすれ違い」があるということでした。
家族という最も身近な関係では、言葉にしなくても伝わるだろう、相手もきっと分かっているだろう、という思い込みが生まれがちです。
私の場合、妻が約束を忘れているとは夢にも思わず、「蔑ろにされている」「軽視されている」と感じていました。一方、妻は、私が抱く不満の具体的な原因を理解していなかった。お互いがお互いの内側で完結してしまい、肝心な**「認識の共有」**ができていなかったのです。
謝罪から始まる関係の再構築
妻からの素直な「ごめん」という謝罪は、私にとって非常に大きな意味を持ちました。それは単に「許し」を求めているだけでなく、私の気持ちを理解しようと努めてくれた証拠のように感じられたからです。
今回の出来事は、私たち夫婦にとって、**「言葉にして伝えることの重要性」**を改めて認識する機会となりました。どんなに親しい関係であっても、相手の心の中を完全に理解することはできません。些細なことでも、疑問や不満、そして期待は、臆さずに伝え合うこと。そして、相手の言葉に耳を傾けること。
これは、夫婦関係だけでなく、あらゆる人間関係において共通する課題かもしれません。今回の喧嘩が、私たち夫婦の信頼関係をより強固なものにするきっかけとなることを願っています。