先週、発売になったルノルマン・ピケ

本日の23時59分まで アマゾンキャンペーンをやっています。



ルノルマンカードは凄いのです!!

 





 

2年前から学んでいますが

このピケ(カード)は自分の暗黙知や潜在意識が
カードに現れるのです。

自分が聞きたい(知りたい)案件を決めて
カードをひくと

ええええ〜!という
何でそこまで私のことがわかるのよ!!って

毎回もれなく驚くのですが

自分そのものの答えが出てきて
シンクロが起きます。



ルノルマンカードは、このピケで3組目ですが
これまでのどのカードよりも絵が美しい!

先週購入して、美しいカードをながめながら

「今、必要なメッセージをください」
って3枚引きをしてみたら






ガーン・・・・




  

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鞭、へび、ネズミ
 
 
新しいピケを1枚1枚見ていた時に
これが出たらイヤだなぁ〜と
思った3枚でした〜汗
 
 
鞭は苦行や虐待のイメージ
へびは苦手だし、ネズミもう〜ん
 
 
しかし!
 
ピケには、それぞれ
スピリチュアル、精神性、感情、現実(物質的).時期など
象徴的なキーワードがあり
 
隣接するカードによっても
意味は変わってもきます。
読み手によっても・・
 
 
私が受け取ったメッセージは
 
☆思いはすぐに現実化する


あははは〜

 
激動のフランス革命の時代を生き抜いた
マドモアゼル・ルノルマンの知恵を使って
自分の頭の中を整理したり
自らの意思で人生を希望どおりに創造するのに

ルノルマン・ピケはお勧めのツールです。




All my relations!
 
 
 
 
 
 
 
 

こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。
 

 

 

2月終わりに体調が回復し
病院や犬の散歩を除き、久々の外出をしました。



発熱、顔の腫れ、発熱と続きましたが
昨年の2月は初めてのインフルエンザ
一昨年の2月は初めての帯状疱疹
40℃の熱でカナダから帰国延期になったのも
十数年前の2月・・・


私にとって2月は浄化月間かしら?と
思いがちなのですが
身体が思うように動かず
弱気な思考になる自分を
これでもかと味わった時間でした。




数日前に
ハワイのヒプノセラピー学校時代の同期生と横浜で再会。



久しぶりね〜!と挨拶をしながら
次の瞬間には10年前の仲間に戻り
昔の話や近況を、素のまま話せる
有り難い仲間たちに元気をいっぱい貰いました。



今年は全員で会おうね〜!と
北や南に住む同期生たちとの再会も楽しみです!


 

29年サイクルの終わりと始まり

29年サイクルの終わりと始まり その2

29年サイクルの終わりと始まり その3

29年サイクルの終わりと始まり その4 
29年サイクルの終わりと始まり その5
29年サイクルの終わりと始まり その6
29年サイクルの終わりと始まり その7

29年サイクルの終わりと始まり その8
29年サイクルの終わりと始まり その9

29年サイクルの終わりと始まり その10
29年サイクルの終わりと始まり その11
29年サイクルの終わりと始まり その12



前回の続きです。


整形外科のベッドが空き、
腕の手術をする2日前に移動が決まり
仮住まいの形成外科から整形外科に移動する前日のこと。



右腕は骨折をしてベッドに固定されていたので
身体を動かすことができず
食事も歯磨きも排泄もすべて
看護師さんに介助されていました。




明日は移動するからと
形成外科の看護師さんが
ベッドで寝たままシャンプーをしましょうと
器具を運んできました。



事故で入院してから2週目のことです。




顔の負傷や手足の痛みで

頭が痒いという意識はなかったのですが、
頭に流れる温かいお湯と
丁寧なシャンプーマッサージを施されて

突然の事故による身体の痛みや
境遇の変化に追いつけない私の心を
髪をすすぐお湯が流していく

そうなれば良いな〜と思いながら・・・

寝たままシャンプーは
とても気持ちが良くて
厳しい入院期間の思いがけない

一服の清涼剤清涼剤というような
気持ちが解れる時間となりました。



形成外科の看護師さん達は
頼むのを気後れするようなことも
「任せてくださいね!」と
いつも優しく看護する姿勢を見せてくださり
足を向けては眠れないくらい(笑)
お世話になりました。



形成外科の大部屋の皆さんに
「会いに行くから大丈夫よ〜」と見送られ
寂しい気持ちを抑えて
ベッドごと移動した整形外科は
病棟全体がガヤガヤとした賑やかな雰囲気でした。


最初は2人部屋に入り、術後は個室に移る予定で
医師や看護師さんたちの挨拶や
手術の麻酔科医の訪問など
人の出入りの慌ただしい日でした。


担当医は新人のY先生。
体育会系出身のおぼっちゃまタイプで
話しやすい感じで印象はマル!


2人部屋の同室の患者さんは
中学生と高校生の子供がいるベテラン主婦で
お話好きな方でした。

点滴治療の後に退院して、
数ヶ月後に手術を受けるという話で
2日間という短期間のお隣さんでしたが
その後、
病の進行で1年後にお亡くなりになりました。




右腕の手術は
ポッキリ折れている骨の中に金属の棒を入れて
骨をつなげてボルトで留める。
腕に20cm大の傷ができる。
肘の神経が圧迫されているので麻痺が残るかもしれない。
全身麻酔で行う。
 

 

手術後はベッドと砂袋の固定から解放され
リハビリがスタートする。


このような(実際は詳細に)説明がありました。



腕に20cmの傷ができるのは
現実味はなく、イヤだなあ〜と思うくらいでしたが
ベッド拘束から解放されることは
何よりも嬉しいニュースでした。


左手で毎日書いていた日記の文字は
この頃には読めるレベルまで上達し
病院に届く友人からの手紙に
返事を書くようになっていました。

1週間で左手でも字が書けるようになるとは
人間の能力は凄い!と我ながら感心していましたが
骨折した右手の指は痺れは感じるものの
動かすことはできませんでした。



全身麻酔の手術のため
前日の夜から食事も水も制限されて
消灯後の夜中にハッと目が覚めてしまいました。


全身麻酔の手術後に目が覚めるのだろうか?
手術中は麻酔で眠っているけれど
私の意識はどこにあるのか?

手術中の様子を観察するには
意識をどのように使えばいいのか?


もしかしたら
これが最後の夜になるのかもしれない・・・
と思った途端に、
恐怖の気持ちが全身に広がっていくのを
感じました。


ああ〜 怖いんだなあ〜


この気持ちを日記に書いておいた方がいいかもしれない。
遺書になるかもしれないし・・・


怖れにとらわれた妄想は
どんどん大きくなります。



ベッドサイドの電気をつけて
ゴソゴソしていると
カーテン越しに懐中電灯の光が見えて
夜勤の看護師さんが見回りに来ました。


「眠れませんか?」


お隣の方を起こさないように、ささやく声で

「手術のことを考えていたら怖くて眠れなくて
 日記を書こうかと思います。」



看護師さんは微笑みながら

「怖いと感じますよね〜」


「手術前はゆっくり休んでいただきたいので
 睡眠導入剤を使いますか?
 日記は明日の朝に書いたらいかがでしょうか?」



穏やかに話す看護師さんの笑顔を見て
少し安心した私は
手術前日に多くの患者が使う睡眠導入剤を
出してもらうことにしました。




そうそう、
手術後は拘束から解放されて自由になるんだ!
骨折を治すための手術だから
前進するんだ〜!と自分を励まし
いつの間にか眠りにつきました。



All my relations!

































 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。


前回の記事から久しぶりの投稿です。




もう半月前になりますが、

2月4日立春の佳き日

 

プロフィール写真のメイクをしてくれた
原タカコ先生が主催する

Around Beauty Club 関西支部のパーティーが

神戸でありました。
 



本部の理事の皆様

桂由美さん

太田光代さん

池田理代子さん

藤野真紀子さん



 

 

池田理代子さん
70歳と伺い驚きました!

Age is just a number.
年齢を重ねることはマイナスではなく
単なる記号にすぎない。
年齢を言い訳にしがちな考え方を
あらためよう!と思いました。

 



料理研究家の藤野真紀子さんは
動物愛護の活動を長年されて、
ご自身も多くの保護犬を飼い
犬の殺処分についてお話くださいました。





太田光代さんは

同じ時空間に存在しているのかと思うほど
透きとおるように美しく

握手をした手はソフトで柔らかく

まるで、妖精に触れてしまったかのような

儚い感じ・・・

もしかしたら

人よりも繊細で敏感で、

恥ずかしがり屋さんの面を
お持ちなのかもしれません。



理事の皆様の
心に従い、好きなことを貫いている生き方や
志に深く感銘を受けました。

 

 



 

 

パーティーでは、数人の方に
「ブログを読んでいますよ〜」

と声をかけていただき

 

恥ずかしいやら、照れくさいやら
嬉しい驚きでした。



名札をつけていたわけでもなく
顔を見て分かるなんて・・

ブログって凄いですね〜笑

 

 

書く励みになります。

ありがとうございます。

 

 

 

 

29年サイクルの終わりと始まり

29年サイクルの終わりと始まり その2

29年サイクルの終わりと始まり その3

29年サイクルの終わりと始まり その4 
29年サイクルの終わりと始まり その5
29年サイクルの終わりと始まり その6
29年サイクルの終わりと始まり その7

29年サイクルの終わりと始まり その8
29年サイクルの終わりと始まり その9

29年サイクルの終わりと始まり その10
29年サイクルの終わりと始まり その11


前回の続きです。

 

 

これまで

事故から10日間くらいのことを

書きなから、

当時の様々な出来事を思い出しています。

 

 

29年前の私に乗り移って

回想シーンを綴っているような感じてす。

 

 

書き始めてから度々

不思議に思っていたのは

事故後に「顔の痛み」を

感じなかったことです。



車にはねられ、
顔からブロック塀に衝突し

上顎の右側は陥没骨折
右側の眉尻から頬まで裂けて
右目も破れました。


救急車に同乗した仕事仲間は
私の顔から吹き出す血を目撃したそうです。

 




事故直後に車の下から救出され
意識は戻りましたが
顔の痛みはその時も、その後も

ほとんど感じることはなかったのです。




手と足の痛みがあまりにも酷くて
顔の痛みに 気づかなかったのかもしれません。




鎮痛剤を点滴で投与されていたので
顔の痛みには効果があったのかもしれません。



いずれにせよ
「顔の痛みを感じなかった」ことを
最近、しばしば考えていました。




だからなのか、たまたまなのか


 

2/7の夜から発熱しました。 

 

神戸、葉山、渋谷、銀座と毎日出かけて

終電も乗り遅れて朝帰りなど

睡眠不足で 

身体に疲れがたまっていたので 

体温計で38°Cと表示された時も 驚くことはなく

 

むしろ、 

38°C以上の発熱は細胞の入れ替えのチャンスと 

ゆっくり休めると考えていました。

 

 

ところが、

39.5°Cを越えたあたりから 

顔の右頬が痛みを伴い、どんどん腫れてきて


さすがに「大丈夫かな?」と思い始めました。

腫れは分厚くもなり、 

頬が固くなり 口が1-2cmしか開かなくなり

食事ものどを通りません。 

というよりも 口を開けることができず 

水を飲むのが精一杯でした。

 

 

 

怒った時にぷ~と顔を膨らませた感じ

 右側だけ法令線が消えている!

 

 

 

連休だったことと 

高熱で身体がしんどくて、

病院へ行くことは考えませんでした。

 

 

痛みで熟睡もできず

 

 

顔が痛いよ~ 

 

 

痛いよ~

 

 

痛いよ~

 

 

 

あ?

 

 

 

 

あああああ~!

 

 

事故で負傷した箇所だ!

あの時 もこんな風に

痛みはあったのかもしれない・・・

 

 

でも 手や足がもっともっと痛くて 

感じなかったのかもしれない

 

 

泣きました。

 

 

涙がポロポロこぼれました。

 

 

 

感じてあげられなくて 

 

ごめんなさい

 

 

 

ごめんなさい 

 

 

 

ごめんなさい

 

 

ずっと気にしていた顔のことを

ブログに書き始めて

 顔の痛みは感じなかったと気づいて

 

やっとやっと 向き合えたのかもしれません。

 

 

そして 満を持して

痛みが表現されたのかもしれません。

 

 

もちろん 今、こうして書いていることは

 私の思い込みや推測の域を出ないのですが

 

 

気にかけたこと(意識を向けた)が 

実感を伴う再体験のきっかけに なったようです。

 

 

 

その後、病院で検査をして 

顔のX線写真を見ると 

 

右側の上顎の骨に

数カ所骨折した骨を留めた金属が写っていました。

 

そうだった! 

顔の中に金属がいくつか残っているのだった!

 

頬の腫れはばい菌による炎症でした。

 

局所麻酔で切開して膿を出しました。
鎮痛剤は家にあるし、使いたくないので 

「いりません」とお断りしたのです。



帰宅する途中に麻酔が切れてしまい・・

 

もう痛いのなんのって・・・
電車の中で倒れるかと思いました。

 

 

顔が腫れているのでマスクをしていましたが

 涙がこぼれます。

 

 

ううううう

 

 

痛みはもうイヤだよ〜

 

 

痛みに抵抗感を持ちながらも 

どんどん強くなっていくので

 

降参しました。

 

 

 

 

わかった!

 

 

痛みに集中する 

意識を向ける 

逃げない

 

 

 

電車の中で 痛みと向き合うことにしました。

 

 

痛みはイヤなもの 

感じたくない 

消えて欲しい 

なくなってほしい・・・

 

 

でも、痛みはそこにありました。

 

避けることもできるかもしれない。

 

 

しかしあろうことか

自ら鎮痛剤を断ってしまった・・・ちーん

 

 

 

再び、痛みに向き合います。

 


集中すると、痛みが大きくなりました。 

これ違う!

 

 

俯瞰できるかな? 

やってみます。

 

痛みを感じている自分を 

遠くからながめてみたら 

一瞬ですが、 

痛みから離れました。

 

 

やった〜!

 

 

すぐに戻りました。残念。

 

 

 

ただただ、 

痛みに向き合い話しかけます。

 (電車の中なので、声は出しません)

 

 

痛くてもいいよ〜

 自分をなだめている感じです。

 

 

同時に思考は

麻酔が切れて、痛みはもっと増すのかな?

家に到着まであと30分 

帰宅したら、家にある鎮痛剤を速攻で飲む!

と考えています。

 

 

痛かったね〜

切開したから痛いよね。 

麻酔の注射を打つ時も痛かったね〜

 

 

あれこれ理由を考えるのもストップして

ただ感じます。

 



 

痛みには太刀打ちできないから 怖いと思っている。

 

痛み = 怖い

 

 

 

そんな風に思っていたのか〜

自分の身体がつくり出しているのにね。

 

 

痛みに向き合った30分間は長く 

私の場合は、どれだけ痛みを経験しても 

慣れることはないようです

 

 

その都度、味わえばいいと思った次第 

体験しない方が良いけれど 

抵抗しなくても何とかなりそうです(笑)

 

 

痛みを感じたら 怖いかもしれないけれど、

それはそれ。 

 

怖いというのも、過去に何かの経験とくっつけて 

思い込んだ幻想・・・

 

 

痛かったら、ただ、痛みを感じる 

感じることを、自分に許す。 

だって、

それは、まぎれもなく 自分が選んでいる経験だから

 

 

生きているからこそ 

感じることだから・・・

 

 

そうだった! 

私はあの時、 生きることを 自分で選んだのだった・・・

 

 

痛みを通して何か学ぶとか

思い出すとか 

思考を発動させなくていい 

まあ、思考はもれなく発動するのですが(笑) 

それはちょっと横に置いて 

ただ感じてみる

 

 

生きているからこそ 感じることができる 

喜怒哀楽 いろいろな感情・感覚

 

 

すべて自分が体験するために選んでいる 

悲しいことも

痛みも 

喜びも

 

だから、負けそうに感じてしまっても 

こんなの選んだ覚えはないって 

天に向かって悪態をついたとしても 

それでも構わない

 

 

だって、私の本質は知っているから 

深いところにあると思っている魂は 

何よりも尊い

 

 

自分がいるから、この世界はある。

 

自分の思うように生きて行こう! 

乗り越えられない経験はこない

 

 

この痛み、 もしかしたら、

時空を超えてやってきたのかも!!

 

はははは〜

怪しいですね!

 

 

事故の経験から
私はこの先、時空を越える体験を
繰り返していきます。


それも交えながら、続きを書いていきます。

 

 

All my relations!

こんにちは!
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

 



ブルーブラッドムーンの夜会に北参道へ

 

ドイツワインで乾杯と

ブルームーンのために特別に焼かれた

マカロンは格別の美味しさでした。
 

 

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29年サイクルの終わりと始まり その8
29年サイクルの終わりと始まり その9

29年サイクルの終わりと始まり その10


前回の続きです。



形成外科病棟の大部屋には
私以外に6人の女性の患者さんがいました。


みなさん、自力で歩ける方たちで
食事の時間になると廊下に来る配膳カートに
自分の食事を取りに行ったり
ロビーの公衆電話に電話をかけに行く
1階にある売店やレストランにも
自由に行ってました。



私は絶対安静状態だったので
何をするにも誰かにお願いをしないと
身動きは取れませんでした。


左手でナースコールボタンを押して
看護師さんに来てもらいますが
看護師さんが多忙な時間帯は
同室の患者さんたちが
サポートしてくださいました。


激痛は減ったものの、痛みは続いていて
両サイドのベッドの患者さんが
私の痛みを紛らわすように
病院のあれこれを教えてくれました。


私は突然の事故に遭遇したので
大学病院のことは何も知りませんでした。


形成外科病棟は7階にあるとか
整形外科は6階にある。
1階には売店やレストランがあり
外来棟や日本庭園もあるなど
ロビーには大きなクリスマスツリーもある・・・



1988年当時は携帯もパソコンも
個人で持つ人は限られていて
現在のように検索して情報を得ることは
容易なことではありませんでした。


医師達もポケベルで呼び出される時代でした。
ポケベルを知らない方も多いでしょうね(笑)




救命救急センターから形成外科病棟に移動して
最初に受けた手術から1週間が過ぎた頃
手術中につけた尿管チューブを抜き
ベッド上でおまるを使うように言われました。
尿路感染など感染症を防ぐためです。


看護師さんがあれやこれや
どれだけ手を尽くしてもおまるを使うことはできず
再び尿管チューブを入れました。


その後、手術は30回くらい受けましたが
おまるは一度も使えませんでした(笑)




形成外科に移動して何日目かに
オペ着の医師が部屋に来ました。

「元気そうだね〜」

という医師の声は聞き覚えがあり


「もしかして、*チンピラのひとり?」
と思いドキドキしました。



医師が部屋から出て行った後、お隣の患者さんが
「形成外科の先生で、

 今は救命救急センターにいるS先生よ」
と教えてくれました。


救命救急センターにはたくさんの医師がいたことと
私は混乱しショック状態だったので
顔は覚えていませんでした。



翌日もオペ着のドクターSが
「今から放射線科に顔の写真を撮りに行くよ」
と言いに来ました。



ベッドごと放射線科に移動して、
放射線科ではドクターSの指示の元
右腕の肘の鉄棒に繋がるロープがはずされ
腕は初めて降ろされました。


骨折している顔の骨を計測するため
数人の技師さんたちがベッドマットごと
私の身体を放射線科の台に移動させました。


台に横たわると
長いアームについたカメラが
天井から降りてきて
顔のまわりをグルグル移動しながら撮影していきます。


うつぶせに近い恰好もしました。



え〜?
顔を動かしてはいけないって、
眼科のM先生に言われたのに・・・
いいのかな?



長い時間の撮影が終わり
ベッドに戻され、腕も固定され
再び身動きが取れない状態に戻りました。



部屋に戻る途中
「明後日の回診の後、整形外科に移動になるよ。
 ベッドが空いて良かったね!」
とドクターSがにこやか話す顔を初めて見ました。




その日の夜、面会時間が終わった8時頃
眼科の主治医のM先生が検査に来ました。



右目は映像は見えませんが
ライトの光はぼんやり見えました。




「目の出血量が増えています。
   何かしましたか?」



え?

ああ〜!やっぱり!



放射線科でうつぶせで撮影したと伝えると
いつも穏やかに笑っているM先生の表情が
一瞬、曇るのを見て
何故かうしろめたい気持ちになりました。




All my relations!









































 

こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。


久しぶりに大雪が降りましたね。
我家は車が横付けできない土地に建ち
70段の階段の上にあります。




雪が積もると、
階段の雪掻きをするのは、私の役目です。

この階段を利用するのは20人弱ですが
近くのアパートの住人は大学生達が多く
シャベルを持っていないし(たぶん)
我家は高齢の親と高齢犬が階段を使うので
雪掻きは必然なのです。



私は雪掻きをするのが好きで
けっこう人の役に立っているかも〜♪
と、喜んでやっています(自己満足)


雪が5cmくらい積もった段階で
雪掻きをしましたが
どんどん降る雪に追いつかず
夜中には20cmくらい積もっていました。


翌朝は雪掻きのために重装備をして
はりきって外に出たら
階段はすでに雪掻きされていて・・・


どなたがしたのかはわかりませんが
ビックリするのと同時に
雪掻きは私しかしない!と
思い込んでいたので


自ら制限していたんだな〜と笑ってしまい
雪掻きをしてくれた方に
ありがとう!と感謝する素敵な朝を
迎えることができました。happy~♪


29年サイクルの終わりと始まり その8
29年サイクルの終わりと始まり その9


前回の続きです。


一般病棟の形成外科の大部屋に移動して
嬉しかったことは
友人がお見舞いに来てくれたことでした。


救命救急センターに入院中は
家族のみの面会で
時間も10分間と制限がありました。


骨折した右腕も左足も顔も動かせない状態で
痛みも相変わらずありましたが
友人が来た時は
痛みを忘れることができました。


誰もがホッとした表情を見せて
「思っていたよりも元気で安心した!」
と言ってくれました。

 

命が危険な状態の上に、
顔の負傷が酷く

人前に出る、顔がイノチと言っても
過言ではないような仕事をしていたので

事故の話を聞いた人は
一様に驚き、ショックを受けたそうです。

 



顔の負傷で
もう仕事には戻れないな〜と
漠然と思っていた私は
お見舞いに来てくださる人々の勇気に
感動していました。


勇気というのは
命は助かったものの
顔も身体も致命的な傷を負い
どのような状態であるかわからない私に
会いに来てくださる・・・
という勇気のことです。


その気持ちが

嬉しくて、嬉しくて
泣きたくなるくらい
胸がいっぱいになりました。


果たして、私だったら、
こんな状態になってしまった人のところに
お見舞いに行く勇気はあるだろうか?
と思っていたから・・


だから、それでも会いに来てくださる
その気持ちは有り難く
たくさんの力に励まされました。




救命救急に運ばれ手術を受けた後から
身体は体温が38℃から下がることはありませんでした。


整形外科の回診時に
医師達は毎日
下がらない熱のことを気にしていました。


ちょうど、父が面会に来ていた時に、
整形外科の医師達がやってきて

「今日の体温は何度ですか?」

「38度です」

「うーん」


左足は足首から親指の付け根まで
開放骨折していて
甲の肉が半分くらいなくなり
骨が見えていました。

手術では傷の部分を消毒して
豚皮が貼り付けられました。
これは
自分の皮膚を移植する前の段階です。


「菌が残っていると壊死したり
 皮膚移植が難しくなり
 皮膚移植をしたとしても
 定着しないことがある。

 このまま熱が下がらないと
 感染の疑いもあるので
 足首から切断することもある。」

と、医師が話しました。




え?




切断?




何それ?




父の顔色がさっと変わりました。


父も医師達も深刻な顔をしています。




あれれ?


一瞬
何か変だな〜と思いました。


私のことなのに・・・





「熱を下げれば良いのですね!」

と答える私は
何の不安も動揺も感じていませんでした。




All my relations!