こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

 

 

 

 

 

 

 


#愛足るベジタブル  

 

 
 

キヌヒカリ 5キロ

和歌山の

無肥料・無農薬

環境負荷ゼロの自然栽培米です。

 

 

前回はキヌヒカリ玄米10キロ購入

とても美味しい!

まだ、7キロくらいあるけど

今回は白米5キロを注文しました。

 

 

 

 

見てください!

特大オマケの野菜やミカンや柿が

こーんなに

ぎゅうぎゅうに入っていました(笑笑)

 

 

 

オマケですよ!

 

 

 

生で食べられる小松菜は

味が濃厚で美味しいです。

大根もにんじんの葉も

生きている味がしました。

 

 

 

ダンボールの内側に書いてある

メッセージは

いつも愛があふれている。

 

 

 

我家は15年間

発芽酵素玄米ご飯を食べていて

白米を買うのは久しぶりです。

 

 

 

白米はもちろん大好き♡

外出時に食べます。

 

 

 

発芽酵素玄米の作り方を

アメリカで習って

それ以来

もっちもちの美味しさに

ハマっています。

 

 

 

 

 

水を汚さず、土を汚さず、

肥がなくても、お米は育つ!

 

 

 

自然栽培米は日本のお米の

生産の0.0001%位しかない

希少なもの。

野菜と同じく肥なしで育てると、

確実に味わいは増す。

(収量は減ります)

 

#愛足るベジタブル

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事

29年サイクルの終わりと始まり27

https://ameblo.jp/umechie/entry-12424057971.html

 

 

 

臨死体験のことを書いてから

質問がありました。

 

 

 

今日はそのことを書いてみます。

 

 

 

 

★臨死体験をした時に

最初に出会った存在とは?

 

 

 

 

 

様々な言い方がありますが、

あえて言葉にするなら

 

 

神、創造主、宇宙の采配だと

思います。

 

 

 

 

 

★道路に横たわる身体のまわりにいた

たくさんの存在とは?

 

 

 

 

特定の誰なのかは、

わかりません。

 

 

 

こんなにたくさんの存在から

人間は見守られているんだ!

という安堵感が

この上ない喜びでした。

 

 

 

 

 

これには後日談があります。

 

 

 

 

 

 

事故から5年で

自然治癒力や免疫力アップ

人生を力強く生きるために

レイキ(霊気)を習得しました。

 

 

 

エネルギー伝授(アチューメント)で

レイキの回路が開かれ、

ヒーリングができるようになります。

 

 

 

 

自分以外の他者や生物、無生物

場のエネルギー浄化にも活用できて

遠隔など時空間を超えて

ヒーリングがおこなえます。

 

 

 

 

 

我家に犬が来て以来

この17年間は毎日レイキを

使うようになりました。

 

 

 

 

今から約10年前に

レイキを伝授できる

レイキティーチャーになりました。

 

 

 

 

レイキティーチャーになる時は

3人のレイキティーチャー(友達)が

伝授をしてくれました。

 

 

 

 

伝授が終わった時に

ひとりのティーチャーが

「千恵子の交通事故時に

4人でレイキを送りましょう」と

提案しました。

 

 

 

 

3人のティーチャーと

ティーチャーに成り立ての私が

交通事故の瞬間に

レイキを送りました。

 

 

 

時空間を超えて

遠隔ヒーリングを送ります‥

 

 

 

 

 

 

 

その時、

 

私は

瞬く間に

 

高いところから

道路に横たわる私を見ていました。

 

 

 

 

 

 

あ!

 

 

臨死体験の時にいる!

 

 

 

 

道路に横たわる私の身体のまわりに

たくさんの存在がいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ〜〜!!

 

 

 

 

 

 

たくさんの存在の中に

レイキを送っている私たち4人が

いました!

 

 

 

 

 

ティーチャーになり

事故現場にレイキを送り

瞬時に臨死体験の場を見て

 

 

 

 

未来の自分から

レイキを送られていたと

はじめて気づきました。

 

 

 

 

 

 

泣けました。

 

 

 

 

 

 

私たちは

今ここの時点から

未来にも

過去にも

 

 

 

思いを

癒しの気持ち

応援すること

ヒーリングを送ることができる!

 

 

 

 

今ここから

時空間を超えて

繋がることができる!

 

 

 

 

誰でも

どこでも

簡単に繋がることができます。

 

 

 

 

これは

私にとっては

大きな気づきです。

 

 

 

私が提供する

ヒプノセラピーのセッションは

自分の体験が元になっています。

 

 

 

 

臨死体験にまつわる話は

これからも

書いていきますね。

 

 

 

 

All my relations!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

 

 

 

 

前回の記事では

29年サイクルの終わりと始まり26

 

 

 

29年サイクルが終わり

30年目に突入したこと。

 

 

怖くて、なかなか書けなかった

義眼に対する思いや

臨死体験のことを

思いきって書きました。

 

 

 

励ましや応援のメッセージを頂き

とても嬉しいです。

ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

臨死体験を思い出したのは

事故から数年たってからです。

 

 

 

知人の紹介で

アメリカに住む

ネイティブ・アメリカンの血をひく

シャーマンの女性から

個人セッションを受けました。

 

 

 

何の目的で彼女に会いに行ったのか

覚えていないのですが・・笑

 

 

 

「事故の時に鍵がある

 事故の瞬間に戻りましょう」

 

 

 と言われて

 

 

 

 

事故の瞬間に戻るの??

 

 

 

 

 

また、あの痛みに襲われるの?

 

 

 

 

恐怖を感じました。

 

 

 

 

でも

静かで穏やかな

彼女の表情を見つめていると

 

怖いと感じていた気持ちが

少しずつ

薄らいでいくのです。

 

 

 

「鍵を見つけに行こう!」

 

 

 

 

少し離れたところで

向かい合わせで床に座り

彼女の誘導で

目を閉じて

深い呼吸をしました。

 

 

 

 

ゆったりと呼吸を続けていき

 

 

 

 

事故が起きた交差点に立ち・・

 

 

 

 

そこで

車の急ブレーキの音が聞こえて

ドーンと衝撃が走りました。

 

 

 

 

 

次の瞬間

灰色でとてつもなく広い空間に

私はうずくまっていました。

 

 

 

 

私の目の前には

大きな存在がいました。

 

29年サイクルの終わりと始まり26

 

 

 

 

 

 

 

 

 驚きました!

 

 

 

 

車の下にいて

臨死体験していた・・

 

 

 

 

 

事故に遭ってから

個人セッションを受けるまで

 

 

ずっと ずっと

 

 

 

事故に遭ったのは

魂が選んだことだから

従うしかないと

思っていたのです。

 

 

 

 

まるで、

犠牲者のような感覚で

仕方ないことだと。

 

 

 

 

それよりも

 

 

 

普通に生活ができるように

歩けるようになりたい。

 

 

 

右腕も

動かせるようになりたい。

 

 

 

顔の傷も

右眼が見えなくても

普通になりたい・・・と

回復することを

強く思っていました。

 

 

 

 

臨死体験をして

自分でここに

この世界に

生きることを選んだ!

 

 

 

戻ることを選んだ!

と知ったことは衝撃でした。

 

 

 

な〜んだ

自分で選んでいたのか‼!

 

 

 

魂が選んだのではなく

自分の意志で選んでいました。

 

 

 

 

衝撃の拍子抜けでした(笑)

 

 

 

 

危うく犠牲者や被害者になるところを

助けられた・・と

涙がこぼれて泣きました。

 

 

 

 

泣いて

泣いて

気持ちはスッキリして

帰り道はスキップしたくなるように

軽やかになりました。

 

 

 

 

臨死体験で出会った存在

私の身体を取り囲んでいた

存在達のことは

次回に続きます。

 

 

 

 

 

All my relations

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。
 

 

 

 

今日はめずらしく

2つ目のブログを書いています。

 

 

 

1つ目のブログ、前回の記事は

29年サイクルの終わりと始まり 25

 

 

 

実は、12月3日は

29年サイクルの最後の日です。

 

 

 

 

1988年の12月4日

午前9時過ぎに事故に遭ったので

もう

30年目に突入します。

 

 

 

 

私の中では

今日は区切りの時で

このシリーズを書き始めた頃には

漠然とですが

今日は最終回を書き終える・・

ハズでした。

 

 

 

 

目標設定は漠然としてはダメ

と言いたいのではなくて、

 

 

 

 

 

平成最後の〜〜という時流に

あえて乗っかってみて、

平成元号最後の日までには

シリーズを引っ張る

 

 

いえ

シリーズを書き終えたいと

書きながら思いました。

 

 

 

 

 

いきなり

終りを半年後に設定して

有効期限を伸ばした感も

ありますが

 

(何故に有効期限?という

ツッコミ無しでお願いします。)

 

29年サイクルを

30年サイクルに改名するのも

何か変な感じがします。

 

 

 

 

前回の記事

義眼の苦悩を書いている時に

29年間の様々な出来事や思いが

次から次へとあふれ出し

収拾がつかなくて

あたふたしました。

 

 

 

 

もう、これは

どんどん書いていこうと

思いました。

 

 

 

 

あふれる思いは

いつもながら

あふれ出た後は

そのままにしておくと

すぐに忘れてしまいます〜笑笑

 

 

 

 

そう言えば

忘れてしまうことにも

実は意味があるらしいのです。

 

 

 

すぐに物事を忘れるのは

加齢とか

認知症とかではなく

 

 

うーん・・

 

 

説明するのが難しい・・

時空移動と関係するそうです。

 

 

 

もう少し

自分に落とし込んでから

書きますね。

 

 

 

もうね、

何のことだかサッパリ

わかりませんよね。

 

言い訳がましいと思いますよね!

かまいません!

私自身が言い訳だ!と

思いましたから(^^)

 

 

 

昨日カナダから届いたクリスマスプレゼント♡

 
 

 

 

今日のお昼間に

友達とのラインのやり取りで

 

 

 

「ちえちゃんの記念すべき

29年めの最後の日に、

ラインでつながれて、

なんだかとってもうれしいです。」

 

 

 

「29年、

いつもすてきな ちえちゃん を

支えて下さっている、

ちえちゃんの義眼さんにも

感謝のお祈りをさせてください。

ありがとうございます 」

 

とメッセージがありました。

 

 

 

 

29年間、義眼に支えられてきた・・

 

 

 

この視点を

持ち合わせていなかったことに、

友達の言葉から気づきました。

 

 

 

ホントだ!

ずっと長い間、

私は義眼を嫌っていたけれど、

支えられていたのですね。

 

 

義眼さん、ありがとう(笑)

 

 

 

友達の言葉と新たな視点

私のために祈ってくれる気持ち

 

 

29年サイクルの最後の日に

心が震えるギフトを頂き

涙が出ました。 

 

 

 

 

前置きが長くなりました。

長い間、書くのが怖いと感じて

躊躇してきたことを書きます。

 

 

 

 

29年サイクルの終わりと始まり

これまでの記事

29年サイクルの終わりと始まり

29年サイクルの終わりと始まり その2

29年サイクルの終わりと始まり その3

29年サイクルの終わりと始まり その4 
29年サイクルの終わりと始まり その5
29年サイクルの終わりと始まり その6
29年サイクルの終わりと始まり その7

29年サイクルの終わりと始まり その8
29年サイクルの終わりと始まり その9

29年サイクルの終わりと始まり その10
29年サイクルの終わりと始まり その11
29年サイクルの終わりと始まり その12

29年サイクルの終わりと始まり その13
29年サイクルの終わりと始まり その14
29年サイクルの終わりと始まり その15
29年サイクルの終わりと始まり その16
29年サイクルの終わりと始まり その17

29年サイクルの終わりと始まり その18

29年サイクルの終わりと始まり 番外編

29年サイクルの終わりと始まり 19
29年サイクルの終わりと始まり 20

 

29年サイクルの終わりと始まり お知らせ
29年サイクルの終わりと始まり 番外編2

29年サイクルの終わりと始まり 番外編3

29年サイクルの終わりと始まり 番外編4

29年サイクルの終わりと始まり 番外編5
29年サイクルの終わりと始まり 21

29年サイクルの終わりと始まり 22

29年サイクルの終わりと始まり 23

29年サイクルの終わりと始まり 24

29年サイクルの終わりと始まり 25

 

 

 

 

1988年12月4日

仕事へ向かう途中

交差点で

信号が青に変わるのを

待っていました。

 

 

 

目の前で2台の車が衝突し

そのはずみで

1台の車が私を跳ね飛ばし

私は後ろにあった壁に

顔から突っ込み

落ちる時に車に轢かれて

身体は車の下にありました。

 

 

 

10〜15分後

救急隊に引き出され

意識は戻りましたが

出血多量で重篤な状態でした。

 

 

 

車の下にいた短い時間に

私は

臨死体験をしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とてつもなく広い空間に

私はうずくまっていました。  

 

 

 

 

 

曇り空のような薄い灰色の空間です。

 

 

 

 

 

顔はあげなかったので

姿は見ていませんが

 

 

 

 

 

目の前に

大きな存在がいることは

わかっていました。

 

 

 

 

 

 

 

存在は私に言いました。

 

 

 

 

「行きますか?   

 

 

 

    戻りますか?

 

 

 

    選びなさい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は考えることもなく

 

 

 

「戻ります。」

 

 

 

と答えました。

 

 

 

 

 

 

次の瞬間

 

 

 

私は高いところから

地面に横たわる私を見ていました。

 

 

 

 

 

車の下に入っていましたが

車は見えません。

 

 

 

 

 

私の顔や足から

血が吹き出しているのも

上からは見えません。

 

 

 

 

 

 

何故なら

 


 

 

私の身体の周りに

たくさんの存在がいて

私を取り囲み

私のことを覗きこんでいたので

 

 

 

 

上から見ていた私には

私の身体は

見えなかったのです。

 

 

 

 

 

私は身体を取り囲む

たくさんの存在を見て

 

 

 

 

 

「ああ〜!

 

 

  私たちは

  こんなにたくさんの存在に

 

 

  見守られているんだ!」

 

 

 

 

 

大きな安堵感と喜びを感じました。

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

「これなら戻っても大丈夫!」

 

 

 

と思った瞬間

 

 

 

 

これまでに感じたことのない

強烈な激痛に襲われ

救急隊員に車の下から

引き出されました。

 

 

 

以上です。

 

 

 

 

私は愛に気づくために

この世界に戻ってきたと

今ようやく

わかりました♡

 

 

 

 

29年目の最後に

素晴らしい

奇跡を受け取りました。

 

 

 

 

これからは

体験したことをそのまま

怪しいことも含まれますが

躊躇せずに

書いていきます。

 

 

 

 

臨死体験の詳しいことは

また書きますね。

 

 

 

これからも

よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

All my relations!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは!
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

 

 

 

 

12月になりました。

 

いつもよりもずっとずっと

時の流れを早く感じ

9月から一気に加速しているように思うけど

 

 

時間は概念であり、実は

時間は存在していない・・・

 

 

 

 

 

 

 


今年も鈴なりの庭の柚子

 

 
すでに150個くらい配り、
お風呂に毎日1個投入していますが
まだまだ200個以上ありそうです。
 
 

どなたか欲しい方は言ってください!

会う時に持って行きます(^^)

 

 

 

銀座てらすにも

冬至前にお届けします。

 

 

 

外苑前のパーティー会場と3次会の恵比寿
 
 
 
 
 
 
 
今年もマロンパフェ
鼎泰豊で弟と親友と
ランチミーティング後はこの季節ならではのお約束

 
 
 
「29年サイクルの終わりと始まり」は
まもなく30年に突入します(笑)
 
 
 
 
前回の記事で
右眼が義眼になったことは
私のこれまでの人生の中で
最大の苦悩となりました。
 
 
 
 
 
右眼を失明したので
右側は見えない世界です。
 
 
人混みの中では
右側に人が近づいてきても
気づかないので
ぶつかることが度々あります。
 
 
 
右側に人がいても何も見えません。
 
 
義眼は動かないので、
私の右側に座る人と話す時には
全く相手の顔を見ないで話しをするか
思いきり身体を90度横に向けるか
 
 
相手に顔だけ向けると、
視線が動かないから
斜視かな〜?などと
思われるかもしれない…
 
 
だから、
座る時は、大勢の場合は右端
2人なら相手の右側に座ることが、
私にとっては安全に思えることでした。
 
 
 
 
義眼であることが
他者にどう見られるのか
気になり、
もの凄く怖れていました。
 
 
 
 
 
人に見られると
私も相手を見ていますが
 
 
「変に思われるかも!」と
意識も注意も自分に向いて
フリーズを起こしながら
相手の反応を
つぶさにチェックする…
 
 
 
 
この瞬時の反応は
自ら起こしているのですが
怖れが強いからなのか
ほどなくして
無意識下に落ち
自動反応になりました。
 
 
 
事故の前は
人前に立つ仕事をしていました。
ほとんどの仕事が
オーディションを受けて
選考されたものでした。
 
 
人に見られる仕事なので
自分の商品価値を意識していて
あと数年は続けられるとしても
その先は移行することを
考えていた矢先の事故でした。
 
 
 
顔も身体も致命傷を負い
顔を出す仕事はできません。
 
 
 
仕事には戻らないのに
長年の習性なのか
人にどう見られているのか
過剰なまでに気にしていました。
 
 
 
人がどう見ようと
それはその人の自由で
私がコントロールすることでは
ありません。
それは重々わかっていました。
 
 
 
 
しかし、実際は
他者ではなくて
私自身が
義眼を受け容れられず
葛藤し苦しみました。
 
 
 
 
葛藤しても、
悲しんでも
何も変わらないことも
わかっていました。
 
 
 
 
 
それでも、
長い間苦しみ
ありのままの自分に
バツをつけていました。
 
 
 
 
自分にOKを出すために
強くなるために
たくさんの癒しを受けて
ヒーリングや心理学を学びました。
 
 
 
世界各地への癒しの旅は
80回以上を越えています。
 
 
 
 
人に会うのが怖いと思いながらも
海外では他者の視線を気にせず
自由にしていられたので
海外にいる方が楽な時もありました。
 
 
 
今となっては
すべて、自分の思い込みや想念が
外側の現象を創り出し
相対性の中に生きていることは
わかります。
 
 
 
 
日本にいても海外にいても
どこに居ようが
関係ありません。
私が見ているものは
すべて自分で選べるからです。
 
 
 
 
義眼はイヤだ!という
異様なまでの執着心と
それを解放するために
変わりたいという気持ちは
多くの出会いももたらしました。
 
 
 
世界各地を旅しながら
シャーマンやメディスンマン
先住民族や聖なる人々と出会い
メッセージや学びを
受け取る機会が増えました。
 
 
 
彼等から共通して伝えられることは
右眼のことと
事故直後に私に起きたことでした。
 
 
 
 
例えば右眼のことは
 
 
 
★ある出版社の講演会で
私は司会の仕事をしていました。
ゲストはバシャールで
講演会が終わった後にご挨拶に行ったら
ハグをされて
 
「あなたの眼は美しい。
 隠さないで生きてください。」
 
と耳元で言われました。
 
 
 
 
★何度目かの入院時
眼の周りの再建手術の後
大学病院に外出許可をもらい
都内の修道院で開催された
渡辺和子さんのお話会に行きました。
 
 
 
2012年に発売された著書
『置かれた場所で咲きなさい』が、
200万部を超えるベストセラーになっています。
 
 
 
入院中に渡辺和子さんの本を頂いて
何冊か読んでいました。
 
 
 
お話会が終わり、
サイン会の列に並んで
私の番になった時
座って御本にサインをしていた渡辺和子さんが
スッと立ち上がられました。
 
 
 
大きなガーゼと眼帯に覆われた
私の顔を見て
 
 
「その眼はどうなさったの?」
 
と質問されました。
 
 
 
 
「事故で失明して義眼になり
  手術を受けました。」
 
と伝えると
 
 
 
私の両手を握ってくださり
 
 
「あなたは、その眼から
 人々の優しさや愛を受け取るのですね。」
 
と、お言葉をかけてくださいました。
 
 
 
ふいに涙がポロポロこぼれました。
 
 
 
お言葉の意味は、
その時はよくわからなかったのですが
心は喜びにあふれていました。
 
 
 
 
外はクリスマス前の寒い時期でしたが
心も身体も温まり
喜びと共に大学病院へ帰りました。
 
 
 
 
実はこの時に受けた手術は
全身麻酔の大がかりなもので
術後の回復に時間がかかり、
発熱状態が続き、
熱を下げないと外出許可は出せないと
言われました。
 
 
 
もちろん熱を下げる自信はあり
たとえ熱があっても
操作して(嘘をついても)
外出するつもりでした。
 
 
 
実際に熱を下げたのか
操作したのか
覚えていません(笑)
 
 
 
 
聖なる人々から伝えられた
右眼のことはまだありますが
追々、書いていければと思います。
 
 
 
 
事故直後のこととは・・
 
 
 
 
右眼のことは、
私の顔を見れば
誰でも気づくと思いますが
 
 
事故直後に起きたことは
誰にも話さなかったので
どうしてわかるのか
不思議でした。
 
 
 
 
 
事故直後に起きたことは
 
 
 
 
 
臨死体験です。
 
 
 
 
 
長くなったので続きます。
 
 
All my relations!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

こんにちは!
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

 

 

 

 

 

ここ最近のことですが

身のまわりを取り巻くエネルギーがあるならば

それが重く感じられ

発熱が続き、頬やおでこにポチポチ発疹!?

浄化作用かな〜?と

落ち込むような感覚を味わっていました。

 

 

 

満月の昨日は

何度も瞑想を繰り返し

 

今朝はすっきりと目覚めて

何かが抜けたような爽やかさを

感じています。

 

 

この先を書き続けていたら

何故か保存できなくて

何度目か書き直しです…汗

 

 

久しぶりにブルームーンの生ビール♡ハワイと同じでした。
シャンパン2杯の後でも美味しい!
 

 

 

 

1988年12月の年末は
第3次救急指定の大学病院内でも
年末年始に外泊する患者さんが多く
私がいた整形外科病棟も
12/29-1/3まで外泊を許可された患者さんが
半数以上、帰宅しました。


昭和の最後となる年末年始に
私は安静状態が続いていたので
個室でおとなしく過ごしていました。


この年末年始に
私にとっては大きな出来事が

起るのですが…

  (29年サイクルの終わりと始まり 番外編より)

 

 

 

 

 

 

テレビの上に新年のアレンジメントフラワー
 
 
 

 

 

 

 

 

いつもは賑やかな整形外科病棟は

患者さんも病院職員も半数以下で

面会に来る人も年末はまばらで

閑散としていました。

 

 

午前中に

包帯交換をする包交車が来たあとは

新聞を読んだり、手紙を書くなど

静かな時を過ごしていました。

 

 

事故から25日ほど過ぎて

負傷した右目は

相変わらず見えないままでしたが

危険な状態は脱して

日に2回あった眼科の診察は

1回になりました。

 

 

眼科主治医のM先生が

年末年始のお休み期間は

眼科病棟の当直医師が

診察することになりました。

 

 

 

明日は大晦日という日の午後

眼科病棟に呼ばれて

看護師さんに車椅子を押してもらい

診察を受けに行きました。

 

 

 

その日の当直医は

私が苦手とするタイプ

 

(数回しか会っていませんが、私が知る限り)

患者と目線の高さを合わせるのは

沽券に関わるのか、

御法度なのか

 

もしかしたら

たまたま機嫌が悪い時に会っていたのか

バイオリズムが低いのか…

 

いろいろと考えをめぐらせてしまうくらい

接遇、コミュニケーション能力が低いように

思える・・

 

 

眼科主治医のM先生が

神のような穏やかで優しい人柄ゆえに

雲泥の差があり

ついつい

「今日はハズレ!」と思う私も私なのですが

 

そんな不遜な気持ちを見破られたかのように

 

検査をした後に

 

 

いきなり

 

 

 

 

 

「義眼になるよ!」と言い放った!!!

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

「義眼になるんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

「光は感じられますが…」

 

 

 

 

 

 

 

「義眼だよ」

 

 

 

 

 

映像は何も見えない右眼でした。

それでも

目に当てられるペンライトの動き

光の動きは

感じられました。

 

 

 

 

 

返す言葉は見つかりません・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての音も時も

一瞬にして消えてしまったような

 

 

 

どこか知らない空間に

突然、入ってしまったような

 

 

 

頭の中は真っ白

 

 

 

 

 

その後

どのように部屋に戻ってきたのか

どのくらい時間が過ぎたのか

わかりません。

 

 

 

 

ショックに打ちのめされ

 

落胆を味わう間もなく

絶望の中に飛び込んでいました。

 

 

 

 

 

38度の発熱が下がらず、

このままだと、

足首を切断することもある

と言われた時も

 

 

 

顔は元に戻らない

と言われた時も

 

 

 

 

医師の言葉に同調せず

かと言って

反発する気持ちもなく

 

 

「先生はそう思っているのか」と

思い

私は「それは選ばない」ことを

知っていました。

 

 

 

 

でも

眼科当直医の「義眼になるよ!」

この言葉には

打ちのめされて

反応して

絶望のどん底へ

真っ逆さまに落ちました。

 

 

 

「義眼になる」という意味を

わかっていないのにも拘らず

得体の知れぬ恐怖を

完全にコピーして

未来に解き放つような感覚。

 

 

 

何故なのか

意味はわからないのですが、

私はこの時点で

「義眼」になることを

選択したと思います。

 

 

 

 

絶望の中、年末年始が過ぎ

お正月明けのM先生の診察時に

当直医の宣告を伝えると

穏やかなM先生の表情が一瞬にして曇り

絶句・・

 

 

 

右眼を検査すると

光は全く見えなくなっていました。

 

 

 

その後、

1ヶ月で右眼の萎縮が進み

またたく間に眼球は4分の1の大きさに

小さくなっていきました。

 

 

 

 

昭和最後の年末

この時から

私の右眼に対する苦悩が始まりました。

 

 

 

 

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