こんにちは!
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。
ブルーブラッドムーンの夜会に北参道へ
ドイツワインで乾杯と
ブルームーンのために特別に焼かれた
マカロンは格別の美味しさでした。
29年サイクルの終わりと始まり その8
29年サイクルの終わりと始まり その9
29年サイクルの終わりと始まり その10
前回の続きです。
形成外科病棟の大部屋には
私以外に6人の女性の患者さんがいました。
みなさん、自力で歩ける方たちで
食事の時間になると廊下に来る配膳カートに
自分の食事を取りに行ったり
ロビーの公衆電話に電話をかけに行く
1階にある売店やレストランにも
自由に行ってました。
私は絶対安静状態だったので
何をするにも誰かにお願いをしないと
身動きは取れませんでした。
左手でナースコールボタンを押して
看護師さんに来てもらいますが
看護師さんが多忙な時間帯は
同室の患者さんたちが
サポートしてくださいました。
激痛は減ったものの、痛みは続いていて
両サイドのベッドの患者さんが
私の痛みを紛らわすように
病院のあれこれを教えてくれました。
私は突然の事故に遭遇したので
大学病院のことは何も知りませんでした。
形成外科病棟は7階にあるとか
整形外科は6階にある。
1階には売店やレストランがあり
外来棟や日本庭園もあるなど
ロビーには大きなクリスマスツリーもある・・・
1988年当時は携帯もパソコンも
個人で持つ人は限られていて
現在のように検索して情報を得ることは
容易なことではありませんでした。
医師達もポケベルで呼び出される時代でした。
ポケベルを知らない方も多いでしょうね(笑)
救命救急センターから形成外科病棟に移動して
最初に受けた手術から1週間が過ぎた頃
手術中につけた尿管チューブを抜き
ベッド上でおまるを使うように言われました。
尿路感染など感染症を防ぐためです。
看護師さんがあれやこれや
どれだけ手を尽くしてもおまるを使うことはできず
再び尿管チューブを入れました。
その後、手術は30回くらい受けましたが
おまるは一度も使えませんでした(笑)
形成外科に移動して何日目かに
オペ着の医師が部屋に来ました。
「元気そうだね〜」
という医師の声は聞き覚えがあり
「もしかして、*チンピラのひとり?」
と思いドキドキしました。
医師が部屋から出て行った後、お隣の患者さんが
「形成外科の先生で、
今は救命救急センターにいるS先生よ」
と教えてくれました。
救命救急センターにはたくさんの医師がいたことと
私は混乱しショック状態だったので
顔は覚えていませんでした。
翌日もオペ着のドクターSが
「今から放射線科に顔の写真を撮りに行くよ」
と言いに来ました。
ベッドごと放射線科に移動して、
放射線科ではドクターSの指示の元
右腕の肘の鉄棒に繋がるロープがはずされ
腕は初めて降ろされました。
骨折している顔の骨を計測するため
数人の技師さんたちがベッドマットごと
私の身体を放射線科の台に移動させました。
台に横たわると
長いアームについたカメラが
天井から降りてきて
顔のまわりをグルグル移動しながら撮影していきます。
うつぶせに近い恰好もしました。
え〜?
顔を動かしてはいけないって、
眼科のM先生に言われたのに・・・
いいのかな?
長い時間の撮影が終わり
ベッドに戻され、腕も固定され
再び身動きが取れない状態に戻りました。
部屋に戻る途中
「明後日の回診の後、整形外科に移動になるよ。
ベッドが空いて良かったね!」
とドクターSがにこやか話す顔を初めて見ました。
その日の夜、面会時間が終わった8時頃
眼科の主治医のM先生が検査に来ました。
右目は映像は見えませんが
ライトの光はぼんやり見えました。
「目の出血量が増えています。
何かしましたか?」
え?
ああ〜!やっぱり!
放射線科でうつぶせで撮影したと伝えると
いつも穏やかに笑っているM先生の表情が
一瞬、曇るのを見て
何故かうしろめたい気持ちになりました。
All my relations!


