飯山満のうめ -7ページ目

自受用報身如来を否定する男

その男とは、池田大作さんです。
削除された御祈念文の自受用報身如来の御当体とは宗祖日蓮大聖人様です、つまり削除するという事は否定する事と同じです。
更に
『やっぱり、曼陀羅はいつかなくなっちゃう物体だから』 (録音テープより)
『本門戒壇.板御本尊、なんだ!寛尊は『信心の中にしか本尊はない』とただの物です』(平成五年九月七日.録音テープより)
かつて池田氏自身が
『かりに御本尊も、一見すればたしかに物体であり、なくなる場合もあるように見えるが、代々の御法主上人が、必ず御本尊を御図顕をなさってくださる。絶対の法が残されるのである。』『広布と人生を語る4巻216ページ』
しかも池田氏は『究極に求められるものは久遠元初の法です』と平成五年五月3日に発言していますまさに軽善謗法も極まれりですね。
日蓮大聖人直結の創価学会『大白蓮華昭和五十二年二月号』
など称していますが
直結なら何故、御真筆である本門戒壇の大御本尊様を拝めない?矛盾してませんか?
何故、日寛上人様の御本尊持つ必要性がある、矛盾してませんか?
本尊なんでもいいなら身延山のお土産で売ってる本尊拝めばいいし、
御真筆なら身延山にもありますよ。





広宣流布とは正当な日蓮仏法を広める事です。

広宣流布とは正当な日蓮仏法を広める事です。
正当とは三宝を広める事です。
三宝とは
一、本門の本尊
ニ、本門の戒壇
三、本門の題目
を一閻浮堤に広宣流布する事が、正当な日蓮仏法を広める事です。
学会は『本尊は我々の胸中の肉団にある』と己義を構えていますが、自分自身を拝んで成仏すると言うならば、大聖人様はなんの為に大御本尊をご図顕なさったのか。戒壇の大御本尊をご当体として残されたのでしょうか。 自分自身を拝んで成仏するって不立文字の禅宗ではあるまいし、胸中にあるならば、大御本尊様のお写しである各家庭の
御本尊様さえ否定している事になり、教義もなにも日蓮仏法ですらなくなります
根幹にある本尊を否定して成仏はありえません。
これを肯定した池田大作の指導が
『御本尊といっても、大切なのは信心である』(池田スピーチ平成五年九月七日)があります。
日寛上人様は『文底秘沈しょう』に
『境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正からざる則んば智行も亦随って正しからず』とあります。
意訳
即ち対境の御本尊があって始めて凡夫の信心(智)が発現し、信心(智)によって修行(行)が導き出されるゆえに、もし対境の御本尊が正しくなければ、信心も修行も正しいものでなくなると説かれています。




勤行嫌いの懈怠謗法の男

その男とは、池田大作その人です。
学会の内部資料抜粋 (学会が裁判の際に証拠として提出した池田大作の行動記録昭和四十五年当時) 3月28日(土)
朝11時20分、起床
11時40分、、、入浴
12時00分、、、中山
と応接室
13時30分、、、勤行 13時40分、、、研修所発
あるいは
11時00分、、、勤行 11時00分、、、離れに行かれる。
朝勤行が10分や20分で終わるもんでしょうか。
はたして? 彼は、正座も満足に出来ないし、更に経机の上には常に茶托と茶碗が置いてあり、勤行の導師を茶を啜りながらやっています。
更には、学会員に対し『勤行をしなくても題目一遍でもいい』と指導してます。平成4年4月26日 第53回本部幹部会
より、
あれ大聖人様の御指導と全然ちがいませんか?
ずーっと大石寺は七百五十年もやってきた朝勤、夕勤やんなくてもいいんですか
あなたは、日蓮仏法をやってきたのではないですか?

それが池田大作の
仏道修行なんだ。
更には、観念文の久遠元初の自受報身如来の御当体を削除してますが、あの自受報身如来の御当体とは宗祖、日蓮大聖人様を意味するのに削除とは、否定してると同じではありませんか。
更に、更に『やっぱり曼荼羅はいつかなくなっちゃう物体だから。』
余計なお世話だ、愚か者