飯山満のうめ -6ページ目

C作戦は無かった、学会のでっち上げ

C作戦の否定する判決が長野地裁松本支部 から出ていますが
裁判所記録の記述を上げます、
寺院明け渡し訴訟において。
被告
(脱落僧、吉川雄進)は右対立に至った原因は、原告(日蓮正宗)の 画策実行した『C作戦』と呼ばれる作戦にある旨と主張しているが、メモ書き、C作戦文書等は何れも一方的な陳情の類いであり、その内容も、客観的根拠に乏しく、またこれらを補強しうる的確な証拠がないから、右証拠から直ちに被告の右主張を認める事が出来ないと、平成11年4月21日に裁判所が判決出しています。直、裁判所記録は閲覧出来るから 長野地裁行ってたしかめれば、司法が下した判決だから解りますか?
学会幹部の嘘っぱちだと。

創価学会のメディア支配1『中外日報』

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創価学会が出現してからは、仏教界を背景とする新聞として、創価学会には批判的な立場を取っていた。 
・・しかし昭和49年ごろから中外日報の論説が様変わりし始め、次第に反創価学会色が薄れ、やがてさりげなく創価学会の提灯記事が掲載されるようになる。・・実はそのころ経営難に落ち込んでいた中外日報は、当時、東京の支社長であった本間氏が経営難の打開策として、創価学会に擦り寄っていたのである。 また本間氏は創価学会に入会していた。 当時、中外日報は日蓮正宗寺院・また関係先に無料で配布されていたことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。創価学会はこの新聞社を使い、当時創価学会にとり最大の敵であった新宗連(PL教団・立正佼成会等)を紙面を使い攻撃していたのである。
平成3年、日蓮正宗が学会を破門すると、中外日報はマスコミの中で唯一、創価学会の肩をもって、宗門攻撃を行なっていた。・・ところが、平成8年9月8日、「自由の砦(創価学会による被害者の会)」は、中外日報社から流出した内部資料に基づき、
創価学会が年間8,500万円もの大金を中外日報に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露した。
そのような状況の中、中外日報の株主、社員、有力関係者が協議を重ね、社長の本間氏は平成9年12月24日に開かれた株主総会上で、突然の解雇決議がなされた。 これにより中外日報は本来の姿を取り戻し、健全なる新聞社となり現在に至る。下の画像はその決意を記事にしたもので、平成10年3月3日に発行されたものである。
(資料提供 慧妙 362号 平成20年2月1日 「続・あの頃のこと山崎 正友氏執筆)
注意注意!
ならばインターネットにある宗門攻撃記事は全て過去のものなんですね、創価学会が昔の記事を利用して『未だに宗門を攻撃してるんだね。』

学会の葬儀は不要を破す。

●導師曼陀羅の意義
日蓮正宗では葬儀につき特別な御本尊をもって故人を寂光浄土へ引導し即身成仏せしめます。
その本尊様を導師曼陀羅と称します。
御書の妙法曼陀羅供養事に『この曼陀羅は文字は五字七字にて候へども、三世緒仏の御師、一切の女人成仏の印文なり冥土にはともしびとなり、死出の山にては良馬となり、天には日月の如し、地には須弥山の如し。生死海の船なり。 成仏得道の導師なり』

●学会は閻魔法皇、五道冥官は御書にはない、導師曼陀羅は偽物本尊などと言っていますが。
●御書の南条兵衛七郎殿に
『王・閻魔大王等にも申させ給ふべし。』
●御書の戒法門に
『先世に三宝(さんぼう)の御前にして此の戒を受けし時、天には日月(にちがつ)・衆星・二十八宿・七星・九曜(くよう)・五星、地には五つの地神・七鬼神・十二神・三十六禽(きん)、又梵天・帝釈・四大天王・五道の冥官(みょうかん)等、此の五戒を受くる人を護らんと誓ひ給ひき。(戒法門 )』
とありますが。

●戒名の意義
戒名に関しては
御書の化儀抄に『当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得度疑いなし』
とあります。

●葬儀の意義
●葬儀に関しては
御書の御義口伝に
『今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光無間に至って即身成仏せしむ』

●日興上人の『曾禰殿御返事』に「なによりは市王殿の御うは(乳母)他界御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とふらひ申候はめ」と、当時、僧侶が導師を務めて信徒の葬儀を執行したことを示された記述が存しております。
次に、第31世日因上人が、「私の檀那の筋目之を糺すべき事、此は師檀の因縁を示す檀那は是俗の弟子なり。
●もし、これに反すれば、下種三宝の血脈法水に対する師弟相対の信心が調いませんから、即身成仏どころか必定堕地獄となります。
●日有上人化儀抄
『師匠有ば師の方は仏界の方、弟子の方は九界なる故に』
師弟相向かう所中央の妙法なる故に、併しなから即身成仏なる故に、他宗の如くならず。即ち事行の妙法、事の即身成仏とう云云』
●願主が亡ったばあい その人の生命は御本尊の中に帰命、御本尊と一体となって即身成仏するのであります。