La Vie Riche

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あなたにとって豊かな人生とは?
豊かな人生へのご案内をさせていただきます。

岐阜県岐阜市長良金碧町

 

長良川右岸の河原から

 

見上げる岐阜城は絶景です。

  

 

 

1975年7月

 

父がある銀行の岐阜支店に転勤しました。

 

 

 

家庭の状況を判断し父は単身赴任となり

 

普段は東京に、中学校が長期休暇の時だけ

 

銀行の社宅に住んでいました。

 

 

 

社宅から歩いて5分程で長良川の右岸に出られ

 

春・夏・冬と休暇期間中

 

岐阜での滞在中には基本暇でした。

 

 

 

ほぼ毎日1人で河原に座り長良川と

 

対岸の山上に岐阜城を見上げていましたが

 

飽きる事は全くありませんでした。

 

 

 

東京産まれの東京育ちの

 

私にとって地方都市は初めてでした。

 

 

 

方言や文化の違いに戸惑いを覚え

 

慣れるまで時間を要しました。

 

 

 

しかし、住めば都とは良く言ったもので

 

東京にはない良さを金華山と長良川を通して

 

感じられる様になりました。

 

 

 

河原近くでハゼの幼魚を摂ったり

 

水遊びや水泳もしました。

 

 

 

1度1人で川幅150mに見えた対岸まで

 

泳ごうとした際3分の1辺りで流れが速くなり

 

足も届かなくなり怖くて引き返しました。

 

 

 

今思うとそのまま行けば

 

命を無くしていたかも知れません。

 

 

 

夕食後は毎晩の様に土手から

 

鵜飼を見物していたものです。

 

 

 

鵜匠さんの家も土手の近くで門から

 

何度も覗いていたらある日

 

「坊主入っていいよ」と言われ

 

大きな籠に2羽ずつ入れられた鵜を

 

間近で見せて頂きました。

 

 

 

夜9時過ぎ仕事を終えた鵜匠さんが漁れた鮎を

 

木箱に並べている光景も毎回見ました。

 

 

 

鵜が獲った鮎は傷だらけで

 

甘露煮にしかできません。。

 

 

 

通算で100日位は見ていたので

 

観光では味わえない鵜飼見学になりました。

 

 

 

私は歴史が嫌いでしたが

 

大河ドラマ「国盗り物語」を見ていたので

 

岐阜城が斎藤道三の居城だとは知っており

 

道三の娘が織田信長に

 

嫁いだ事も理解していました。

 

 

 

2年前に見た大河ドラマゆかりの地というより

 

正にその場所に住む事になった事を

 

多くの人は奇遇とか言いますが

 

私は必然であったと思います。

 

 

 

そんな生活も2年後の7月に

 

父が東京の自宅から通える支店に異動となり

 

終わりを迎えました。

 

 

 

地図を見て周辺の街は当時と

 

かなり変わっていると理解していますが

 

長良川と金華山・岐阜城は

 

今も変わっていないと容易に想像できます。

 

 

 

私には忘れられない地方都市です。

 

 


 

 

 

私は生まれつき精神疾患を抱えています。

 

それが原因で友人と口論になることも

 

決して少なくは無かったです。

 

 

 

父は古い人間でしたので

 

絶対的な存在で逆らうことはできませんでした。

 

 

 

高校・大学に就職まで父の敷いたレールの上を

 

走り続けて来た、というより父の言いなりでした。

 

 

 

金融系の東証プライム大企業に就職し

 

30代では年収800万円貰っていました。

 

 

 

しかし、会社の方針・規則や上司の指示には

 

従わずに自分が正しいと想ったことを通して来たので

 

52歳で自主退職する迄、万年平社員でした。

 

 

 

 

 

私は小学校4年生くらいから友人と考え方が違うと

 

感じ始めていて、漠然と米国人に産まれたかったと

 

想ってもいました。

 

 

 

社会人になるとその傾向は徐々に強くなり

 

同僚・先輩や上司との口論はかなり増えて来ました。

 

 

 

私は英語を話す人達(米国人・英国人・カナダ人等)とは

 

思考が一致する事が多く気持ちも通じやすい事も

 

30代から感じる様になりました。

 

 

 

やはり、多くの日本人の人達とは思考が違い

 

意見が対立しまうのです。

 

 

 

それは良い意味では争い事を避けて

 

円満に仕事や人付き合いを進めて行けますが

 

本質的には何も解決していないのです。

 

 

 

諸外国人の殆どは自分の意見をハッキリ言います。

 

その分相手の意見も聞いて理解する様に努めます。

 

妥協ではなく折衷案を撮る時もありますし

 

完全に俺とお前とは違うから無理だ、ともなります。

 

 

 

今年の1月にインド人と同じ職場で働き

 

飲食店なので閉店時間から逆算して

 

オーダーストップをかけないと

 

皆が何時に帰れるか分からないからと

 

30分間激論しました。

 

 

 

彼は私の意見を理解しましたが

 

会社の決まりでオーダーストップができない事を

 

丁寧にしかも穏やかな口調で説明しました。

 

 

 

その後私の持ち場の仕事が終わり

 

それを報告して帰ろうとしたら

 

彼から今日は違う所の人が少な過ぎるから

 

できれば手伝って欲しいと依頼されました。

 

 

 

正直日付を超えていたので帰りたかったのですが

 

さらに1時間遅く帰る人が出てしまう事を考えたら

 

引き受けざるを得ませんでした。

 

 

 

作業中に彼と少し話す機会が有ったので

 

ディスカッションは大事だね、と

 

私から話しかけたら

 

彼からも「とても大切だからいつでも意見して欲しい」

 

と言われ、先ほどの激論が嘘の様になっていました。

 

 

 

全ての業務が終了して帰る時にも

 

彼のプライベートの写真を見せてくれて

 

激論によりむしろ仲良くなれました。

 

 

 

これが多くの日本人だと遺恨が残り

 

その後一緒に仕事をする上でシコリになってしまうのです。

 

 

 

1月にメチャクチャ多くシフトを入れられたので

 

2月は7日間、3月は1日も出られないと申告しています。

 

 

 

ここ1週間で色々と考えたのですが

 

私はフリーランスとしてビジネスをしていた時が

 

1番やり易かったです。

 

 

 

それは自分の仕事や仕事のルールを

 

全て自分が決めるからです。

 

 

 

人に縛られて働いても

 

何も面白くないですし意見交換は無いと言えます。

 

 

 

脱サラ・起業後3年間外勤無しで食べられませんでしたが

 

派遣先を入れるとその数30社くらいだと思います。

 

 

 

それはその現場で人とぶつかって

 

自分も嫌になりますし、相手も変な奴と思うからです。

 

 

 

 

 

そこで私はもう外勤をしないことに決めました。

 

私も相手も不愉快になるのなら

 

働く意味が無いどころか働かない方が

 

お互いのためだと想ったからです。

 

 

 

冒頭に書いた精神疾患についてですが

 

話や思考が合う人には全く影響が無いのですが

 

合わない人には、特に論理的思考ができない人には

 

物凄い口調でけなして完膚無きまで叩きのめします。

 

 

 

その差があまりにも大きいので

 

これ以上他人様と関わらない方が良いというのが

 

現在の考え方です。

 

 

 

昨年から60歳になって年金を繰上げ受給しています。

 

質素に暮らして行けば十分生活できます。

 

 

 

しかし、妻はその生活は無理だと言って

 

中途半端に高くて不味いものを買って来ます。

 

私は事前に何も言われていないので

 

自分の分だけ1日分の食事の計画を立てています。

 

 

 

親切心からなのは理解していますが

 

何度言っても私の食事の計画が狂ってしまうのです。

 

 

 

今では妻と自宅内でできる限り

 

顔を合わせない様にしています。

 

 

 

 

 

私も人と喋らず、どこにも出かけずに

 

1日中ボーッとしているのは段々苦痛になるのは

 

過去の経験上十分理解しています。

 

 

 

他人様はおろか妻とも喋らない毎日が続くと思うと

 

私が死ねば私・妻と他人様の全てにとって

 

良いと考え出したのです。

 

 

 

まだ、確実に決定していませんが

 

4月14日の年金を受給して

 

家賃以外を好きな様に使ってしまい

 

16日の未明に睡眠薬を大量に飲もうかと考えています。

 

その日は母の命日なのです。

 

 

 

4月の年金受給直後ですと

 

妻が遺族年金を6月から受け取れる可能性も高いのです。

 

 

 

私は今まで自殺する人間は最低だと想って来ましたが

 

61という年齢になり考え方も変わりました。

 

酒の飲み過ぎで肝臓も相当悪いと自覚しています。

 

 

 

母は肝臓がんで逝きましたが

 

最後は痛み止めのモルヒネを寝る前に打っていました。

 

医療従事者がその様な行為をするのですから

 

睡眠薬で楽に死んでも構わないのではないかと思います。

 

 

 

また若くて健康なのに嫌な事があるから自殺する

 

という思考とは全く違うと思います。

 

 

 

人生でやり残したことはないですし 

 

人との諍いを避けて健康な内に死ぬのが

 

ベストなのかと思考する様になりました。

 

 

 

但し、酒無しで質素な生活に慣れてしまえば

 

金銭的に遊ぶ余裕もあるのでそちらを選ぶ可能性もあります。

 

 

 

今は1月の激務から解放されて

 

少しほっとしているのでこんな事を考えているのかも

 

知れないとも想っています。

 

 

 

 

 

地球上の人間以外の生物は絶対に自殺しません。

 

必死で食べて生きて繁殖して一生を終えるのです。

 

知能が発達し過ぎると生物の本能を

 

踏み外してしまうのも事実です。

 

 

 

 

 

結論から言いますと

 

1、外国人に話しかけようとしない

 

2、発音を完璧に近くしたがる

 

3、文法を忠実に守ろうとする

 

 

 

これは日本人の国民性によると考えます。

 

多くの日本人はこの様な思考に陥りがちです。

 

 

 

私は真逆で上記の3項目ができなくても

 

居住地が観光地の多い神奈川県ですので

 

観光地にいる外国人に理解を深めて貰う為に

 

自ら積極的に話しかけます。

 

景色の説明や簡単な歴史も交えます。

 

 

 

そもそも何故私が英語で話しかけるかと言うと

 

小学3年生の頃から欧米人的な思考をしていて

 

欧米に産まれたかったと思っていたからです。

 

 

 

学校の英語の授業はほぼ聞いてませんでした。

 

その代わりに中学1年生〜3年生までは

 

当時のNHKラジオ第一の基礎英語・続基礎英語と

 

英語会話を1年間ずつ聞いていました。

 

 

 

月曜日から金曜日まで毎朝6時から

 

家族がまだ寝ている間に学びました。

 

 

 

基礎英語は日本人講師がレッスンを進めて

 

発音のお手本はマーシャ・クラッカワーさん

 

(現在、聖心女子大学教授)が担当していました。

 

 

 

マーシャさんの発音は本当に綺麗で

 

できる限り近づける様に努力しました。

 

 

 

詳細な話は忘れましたが初回のレッスンは

 

This is a pen. では無かったのは間違い無いです(笑

 

 

 

先ずはアルファベットや数字の発音練習から入り

 

曜日・月の呼び方等の基礎練習だったと思います。

 

その後は挨拶から始まったと記憶しています。

 

 

 

日本の英語の学校教育は文法重視の為

 

This is apen. (S V O)になるのだと思います。 

 

フランス語も C'est un livre. (それは本です)から

 

始まりました。

 

 

 

日本人でない方もいらっしゃるとは思いますが

 

ほとんどの方は日本人で最初に覚えた言語は

 

日本語だったのではないかと想像します。

 

 

 

ではあなたはどうやって日本語を覚えたか

 

記憶または理解していますでしょうか❓

 

 

 

私が結婚して長男が産まれる前から

 

妻はお腹の中の息子に向かって

 

絶えず話しかけていました。

 

 

 

もちろん、産まれてきてからもずっとです。

 

ある公共施設では息子に ブーブ(車)とは言わずに

 

「赤い車」と言う様にと教わったそうです。

 

 

 

その教えに従って話しかけ続けたところ

 

10か月で息子は親にしか理解できない言葉を

 

発する様になったのです。

 

 

 

ドラえもんのことは「もーん」でしたし

 

メロンパンナちゃんは「ビー」でした。

 

 

 

もう答えはお解りですよね。

 

徹底して親の言葉を聞きまくりそれを真似する。

 

たったそれだけのことです。

 

 

 

日本の学校の英語教育の目的が

 

私には全く理解できません。

 

 

 

話せる様になるのが一番の目的です。

 

文法は極端に言ったらどうでも良いのです。

 

 

 

私はNHKの番組で簡単な文法を聞き流して

 

会話を中心に学んできました。

 

 

 

また、中学生からは洋楽が好きになりました。

 

今ではメジャーな曲の歌詞は

 

ネットから無料で手に入ります。

 

 

 

当時はLPレコードに日本人が聞き取った歌詞が

 

印刷されていました。

 

 

 

それには個人差がありましたし

 

明らかに間違っている物もありました。

 

 

 

ですから私はカセットテープが

 

擦り切れる位、少なくとも100回は聞き

 

英語とカタカナを混ぜて書き出しました。

 

 

 

自分でも間違っているだろうと思っても

 

これ以上は無理、と言うことは多かったです。

 

しかし、一緒に唄うと同じ様に聞こえます。

 

 

 

ヒアリングを100回以上してそれを真似て歌う。

 

赤ちゃんが日本語を覚えるのと全く同じです。

 

 

 

私は現在60歳です。

 

約45年前に当然 GoogleMap は当然無いです。

 

 

 

都心へ行くと先ずCan yot speak English?

 

と聞かれました。

 

あなたも聞かれて、No I can't.と答えた事は

 

ありませんでしょうか❓

 

 

 

No. と答えた時点で相手は英語を理解したと

 

判断しますので

 

その後の応答に困りませんでしたか❓

 

 

 

そして殆どは道を聞いて来ます。

 

私は簡単に説明できる所は口頭で話しましたが

 

曲がる箇所が多いと相手が覚えきれないと思い

 

Come with me I'll show you the way,

 

と言って目的地まで連れて行きました。

 

 

 

その間10分間ほどネイティヴの英語を

 

学ぶことができるのです。

 

 

 

私は失礼にならない程度に

 

どこの国から来たか?何の為に日本にいるのか?

 

などの質問をしました。

 

 

 

相手のほとんどの方は私の会話力に合わせて

 

わかり易い単語を選びゆっくりとした口調且つ

 

正確な発音で話してくれました。

 

 

 

その積み重ねが今に繋がっています。

 

正直に言って私の英語は「学者さん」が聞けば

 

こんなものは英語ではないと言われると思います。

 

 

 

簡単なことは綺麗に会話できますが

 

知らない単語が出てきたり

 

長文をどう言い回したら良いかと考えると

 

文法はほぼ無視して単語を並べるだけに近いです。

 

 

 

ここが冒頭で申し上げた結論なのです。

 

誤った文法でも意思の疎通ができれば良いのです。

 

 

 

要は相手に自分の意志が伝わって

 

相手の意志が感じ取れれば良いだけです。

 

難しい理論はいらないと断言できます。

 

 

 

もちろん、ビジネスや専門知識のレベルでは

 

通用しない事は解り切っています。

 

日常会話で意思の疎通ができれば良いのです。

 

 

 

私は以前、神奈川県藤沢市の鵠沼海岸という

 

江の島からかなり近い海岸の近辺に

 

約20年間住んでいました。

 

 

 

昨年の11月8日に絶対に久しぶりに訪れ

 

地元に住んでいるラフな服装をしたアメリカ人と

 

思われる人に吸い寄せられる様に話しかけました。

 

 

 

彼の日本語は挨拶程度しかできませんでした。

 

私は少し話しても良いかと質問し

 

さまざまな話題を話し合いました。

 

 

 

首都圏で自動車を保有する事に意味は無い。

 

渋滞したら自転車の方が絶対速い(特に湘南は)

 

 

 

どうしても必要な時にカー・シェアをすれば良い。

 

という様な点で共感しすぐに打ち解けました。

 

 

 

むしろ多くの日本人の方々より価値観が近くて

 

とても嬉しかったです。

 

 

 

彼は65歳のカナダ人でしたが

 

多分奥さんが日本人でここに住んでいると

 

推測しました(彼から話さない事には質問しません)

 

 

 

彼は自宅だけでできるパソコン仕事をしていて

 

ストレスが溜まると自転車でここへ来て

 

「ただ、海を見るだけ」をしに来るそうです。

 

 

 

私も平日の昼下がりの海岸をゆっくり歩き

 

江の島・大島・伊豆半島・三浦半島・房総半島

 

天城山・箱根山・富士山・丹沢・大山等を見て

 

日頃イライラしたり怒ったりするのは

 

大自然の雄大さに比べたら無意味だと思いました。

 

 

 

彼とのその後の会話の中で

 

パソコンは絶対にMac だと共感したり

 

音楽ソフトはこれが良い。

 

などと教えていただきました。

 

 

 

奥さんは欧州でそこそこ有名な音楽家で

 

STEIWAY & SONGS のピアノと

 

河合楽器の電子ピアノを微妙にP.C.で

 

ミックスさせて幻想的な音楽を

 

創り出すそうです。

 

 

 

俺は5時間以上、彼女の録音が終わるまで

 

ずっと静かにしなければならないんだ、と

 

言って笑っていました。

 

 

 

俺は週に3回位ここに来ているから

 

また逢おう、と言われて嬉しく思いました。

 

 

 

その後3回行きましたが

 

残念ながらまだ彼とは再会できていません。

 

 

 

価値観と思考が合いますし

 

私の英会話レベルに丁度よく合わせてくれるので

 

お互いに意思の疎通がし易くてありがたいです。

 

 

 

あなたも話しかけることから始めてみてください。

 

その回数を増やしていけば、最後は慣れです。

 

 

 

経験を多く積むことが英会話上達への

 

最短・最速の近道と言って間違いありません。

 

 

 

写真は小学校3・4年生に昨年度より義務化された

 

簡単な英会話のテキストです。

 

 

 

週に1時間だけ授業があるそうです。

 

週に一度だけならやってます感だけで

 

生徒の身に付くとは思えません。

 

 

 

週2回、20〜30分の補講が必要だと思います。