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La Vie Riche

あなたにとって豊かな人生とは?
豊かな人生へのご案内をさせていただきます。

私は今では数少ない信販会社に

 

2014年9月末日まで自責していました。

 

一時は「ダブルカード」という提携カードを

 

創ることも使命にありました。

 

 

 

石川県の金沢支店に転勤した際

 

地元の放送局は北陸放送(MRO)でした。

 

TBSの系列ですが地元密着番組が

 

県民には快く受け入れられていました。

 

 

 

平成4年3月に私が赴任する直前までは

 

TVはNHK総合・同教育とMROの3局しか

 

映らなかったそうです。

 

 

 

同局のラジオ番組の中に当てもなく歩いて

 

出会った人に話を聞いたり

 

人の家に上がり込んで茶の間で話し合ったり

 

飼っている犬や猫が行方不明になった時に

 

探して欲しいと言うコーナーもありました。

 

 

 

その際には飼い主さんの自宅の電話番号を

 

公開放送するという、今ではあり得ないことが

 

日常のこととして行われていました。

 

 

 

この番組については、松任谷由美氏も

 

出演したことがありカルチャーショックだったと

 

述べていましたが、今はその記録さえも

 

残っていないのかも知れません。

 

因みに金沢市の郊外には「松任市」(現在は白山市)

 

がありました(笑

 

 

 

MROの関わっている事業の中に

 

「ワンダフル・リバー石川」がありました。

 

 

 

これは加賀の白山を源とする「手取川」を

 

美しく残そうという企画でした。

 

 

 

私は金沢支店に丸4年間在籍しまいしたが

 

3年目にトレーニングを積んだ上で

 

標高差 1,400m を7 時間で登り切り

 

海抜 2,702m の山頂に立つことができました。

 

 

 

その日宿泊し翌朝のご来光に期待しましたが

 

残念ながらの曇天でした。

 

 

 

私は当時初心者で晴天の下でのご来光を

 

拝みたかったですし、混雑していた事もあり

 

宿泊施設から少し離れた高山植物のお花畑で

 

大自然の中にいることを実感し満喫していました。

 

 

 

下山してきた方々にご来光の様子を

 

伺ってみましたが

 

それなりにという回答がほとんどで

 

綺麗に見えなかった事は間違いないです。

 

 

 

その一週間後に天気予報で

 

明日は快晴とあったので

 

午前2時に自宅を出て

 

空が白み始めた4時から登り始めました。

 

 

 

ご来光が無理なのは理解していました。

 

しかし予想通り東側の登山道からは

 

北アルプスの槍ヶ岳・穂高連峰・乗鞍岳

 

御嶽などの名だたる山々が純白の雲海の上に

 

浮かんでいて感動しました。

 

 

 

翌年も2回登山し綺麗なご来光に

 

恵まれることができました。

 

 

 

 

まだ33歳で若かったのと

 

初めての経験でしたので

 

自然に涙がこぼれ落ちる自分の心を

 

理解することができませんでした。

 

 

 

今でははっきりとその時の気持ちを

 

理解して大切にしています。

 

 

 

心肺機能は特別強くなかったので

 

3か月前から町営の温泉プール(150円)に通い

 

自宅でスクワットを中心に

 

自己流の筋トレを続けて

 

目標を達成したことは

 

後の人生にも大きな自信となりました。

 

 

 

山では自分の力だけで登って

 

下りてこなければなりません。

 

(下りの方が疲れますし事故も多いです)

 

 

 

体力の配分は、登り1/3、下り1/3

 

予備1/3と言われていました。

 

 

 

「お花松原」と呼ばれる高山植物の宝庫に

 

行きたかったのですが

 

見た目の推定ですが、400m 位の急斜面を下り

 

それを登り返して来ないとならないので

 

予備の体力が無くなると判断して

 

断念せざるを得なかったです。

 

 

 

登頂しご来光を見た時には

 

大自然に比べて一人間の力は

 

余りにも無力だと感じさせられました。

 

 

 

都会で産まれて育った私には

 

人生観を変えるほどの大きな出来事でした。

 

 

 

 

 

話は提携カードに戻ります。

 

当時の石川県民の人口は約117万人でした。

 

(その次に転勤したのが川崎支店で川崎市の人口も

 

約117万人でしたので転任の挨拶に使用しましたし

 

新入社員の配属先は銀座支店で

 

日本一地価の高い鳩居堂の3件程、隣のビルでしたので

 

この様な地で働けることを誇りに思う等と言いました

 

因みに推定で100m2 位広さ事務所の家賃は

 

月450万円でした)

 

 

 

この内の約30万人にカードを所持して戴いて

 

その中で稼働会員をおよそ3万人と見込みました。

 

 

 

3万人に月平均1万円使用していただければ

 

(これは当時稼働していた他のカードのデータです)

 

その内の0.5%相当の150万円を

 

ワンダフル・リバー石川へ寄贈したい

 

という構想でした。

 

 

 

私の受け持っていたある取引先の方が

 

元MROの社員の方でしたので

 

MROの現役の幹部のご紹介を頂く事は

 

難しいことではありませんでした。

 

 

 

当時はパソコンは愚か携帯電話も

 

少数の方しか持ってない時代でしたので

 

プレゼンは簡単な紙の資料だけで

 

あとは口頭での説明のみでした。

 

 

 

当時の直属の上司は私より一つ年上でした。

 

静岡県の出身と言っていましたが

 

東京での生活と仕事に慣れてしまっていて

 

地方都市の習慣に全くついて行けない人でした。

 

 

 

FAXを送ってもらえれば済むだけのことでも

 

一々来いと言われるのが当たり前で

 

私も初めのうちは正直に言って

 

鬱陶しいと思っていました。

 

 

 

しかし、わざわざ逢う必要の無い用事で

 

逢いに行く事を重ねる事によって

 

お互いの信用が信頼関係に変わっていく事を

 

私は3年間で十分に理解していたので

 

呼ばれて嫌になることは無くなっていました。

 

 

 

私は白山の登山を経験した事により

 

白山と手取川への県民の方々の愛を

 

理解できる様になっていました。

 

 

 

冒頭でお話しした「ダブル・カード」を

 

手取川を愛する県民の皆様に

 

使って戴いた上で結果的に

 

150万円の寄付ができることを

 

説明しご理解いただける様に努めました。

 

 

 

しかし、詳細を伺ってみると

 

MROさんが主導しているわけではなく

 

建設省(一級河川ですから当然です)や

 

行政も絡んでるという複雑なものでした。

 

 

 

カードによる貢献となれば

 

同業他社にも参加権を与えねばならない等

 

私が当初考えたほど易しい事では無いことを知り

 

再度の話し合いをお願いしました。

 

 

 

結局、直属の上司は横に居ただけで

 

一言も発言せず、100万円の寄付を

 

迫られた際に何も抵抗できず

 

連れて行った意味がありませんでした。

 

 

 

その約一週間後に紹介して戴いた方に

 

お逢いしました。

 

 

 

彼からは「山本さん、ここは1度100万円

 

出した方が良いと思うよ」と言われました。

 

 

 

私は「仰る事はよく理解していますが

 

弊社から現金で100万円は出せないので

 

先日ご提案させて戴いた方法しかないのです。

 

 

 

少しお時間を頂き何とかして妙案を

 

ご提示させていただく所存です」と

 

申し上げました。

 

 

 

結局、その方のご好意でに

 

何度もご相談させていただきましたが

 

カード利用額からの寄付という形は

 

認可が降りるにしても時間がかかるし

 

建設省の許可や他社の参入も排除できない。

 

という事実を変える術はありませんでした。

 

 

 

東京産まれ・東京育ちの私が

 

金沢市を中心とする石川県へ転勤で赴任し

 

登山も含めて地方の文化に溶け込み

 

会社の為では無く一人の石川県民として

 

取り組んだビジネスは夢として終わりました。

 

 

 

しかし、それから26年を経た今でも

 

その時の気持ちと行動力は変わっていません。

 

 

 

やりたいと思ったことは

 

ダメで元々でもできるだけ多くの人達の

 

ご協力を戴いた上でやってみる!!

 

 

 

お願いしなかったら夢が叶う確率は

 

完全に0%にしかなりません。

 

 

 

お願いしてみれば夢が叶う可能性は

 

たとえ、限りなく0% に近くても

 

提案した瞬間に0%では無くなります。

 

 

 

それを26年間続けてきた結果

 

多くの方が絶対無理と諦める事を

 

成功させた事は少なくないです。

 

 

 

人生の夢も諦めた時に終わります。

 

 

 

 

 

写真は上から

 

・ワンダフルリバーである手取川の渓谷部

 

・北陸放送(MRO)本社

 

・木場潟(小松市)から見た白山(1番美しく見えます)

 

・白山山頂から雲海と北アルプス越しのご来光

  

 

 

 

私は平成7年の9月頃にうつ病を発症しました。

 

その約1年前に一人息子が産まれて来たのです。

 

 

 

私は新しい家族を迎え入れた喜びと共に

 

当時、2人の家族を養わなければならない

 

という責任感に良い意味で満ち溢れていました。

 

 

 

東証一部上場の大企業の金沢支店に属していて

 

まだ企業は若干ながら右肩上がりでした。

 

 

 

私は平成7年度の上半期に出世と昇給を目指し

 

その企業で全国の営業マンNo.1になりました。

 

 

 

1番難しかった部門は7月中に全ての目標を

 

クリアし残りの2か月はほぼ何もしなくても

 

大丈夫な状況でした。

 

 

 

私はその年の9月に転勤が無かったのですが

 

次の3月にはほぼ100%の確率で転勤があるので

 

営業のテリトリーを持たずに

 

新規取引先の開拓や新提案の締結等を専門に

 

任せられる事になりました。

 

 

 

しかしその業務に対する目標設定は無く

 

正直「何もしなくても良い」様な状況でした。

 

 

 

私はその年と前年に合計4度

 

加賀の白山に登頂していました。

 

(因みに、富山県の立山と富士山で

 

日本3霊山と言い全3山登頂しました)

 

 

 

10月頃だったと思いますが

 

今までに経験したことの無い倦怠感

 

やる気の無さに襲われて1,500m位の山に

 

気分転換の為、ハイキングに行きました。

 

 

 

しかし目指していた山のはるか手前で

 

それ以上進む気がなくなり途中で

 

引き返しました。

 

 

 

そんな日々が続いて3月を迎え辞令が出て

 

神奈川県の川崎支店に転勤となりました。

 

 

 

その頃には体力も落ちてしまい

 

ほぼ1週間で引越さなければならないのに

 

私は勤務時間を使用しても

 

夕方までしか作業ができず

 

妻に頼るしかありませんでした。

 

 

 

妻の力と幼児だった息子を

 

同じマンションの方が見てくださったので

 

無事引っ越しを終えることができました。

 

 

 

新任地に行くには地方都市と違い

 

超満員の東海道本線に1時間ほど

 

乗らなければなりませんでした。

 

 

 

当初は行きだけグリーン車を使用し

 

毎日600 円位払っていたと思います。

 

 

 

一度真剣にグリーン車の定期券の検討をして

 

金額を調べたら途方もない額でした。

 

 

 

異動後胃腸の調子が悪く

 

初めて行った病院の内科の女性医師に

 

神経科・精神科を受診した方が良いかを

 

尋ねたらそれを勧められました。

 

 

 

初めて神経科の医師と面談した時は

 

30分位、話を聞いて貰えたので

 

内科とえらい違いだと嬉しく思いました。

 

 

 

病名は「心身症」と診断されましたが

 

後に知ったら病名自体は医師の判断で

 

多少変わることがあり

 

これだと決めつけるのは難しいのです。

 

 

 

リーゼ、という極軽い精神安定剤を

 

処方され最初は恐る恐る飲みましたが

 

約2時間後には気分爽快となり

 

これならすぐ治ると思い込みました。

 

 

 

しかし今考えると浅はかな思いでした。

 

最初の薬が効くのは当たり前です。

 

 

 

そして少しずつ薬の量や強さが

 

増していきます。

 

 

 

勤務していた企業は福利厚生に優れていたので

 

心理カウンセリングも年間4回は

 

無料で受けられると知って

 

3か月程は毎週通っていました。

 

 

 

当初は質問攻めにされましたが

 

私は自己分析ができると判断し、続けました。

 

 

 

しかし何回伝えても伝わらずに

 

完全に誤解されていることがありました。

 

 

 

それを指摘して説明し直すのですが

 

全くカウンセラーには伝わりませんでした。

 

 

 

しかし、今思えば心理学で学んだツボに

 

はまった時には生き生きと話すその人を

 

感じる冷静な自分がいました。

 

 

 

結論を言うと学者でしか無いのです。

 

カウンセラーは心理学者です。

 

 

 

ある日行かないと決めましたが

 

事前に連絡をしていなかったので

 

カウンセラーの部屋まで行き断りました。

 

それをあっさり受けていただけたのも

 

今思えばそう言う人が多いと容易に想像できます。

 

 

 

そしてそのカウンセラーに勧められた

 

自宅から一番近いメンタルクリニックに

 

通う様になりました。

 

 

 

そこに通い始めた頃は院長ともう一人の医師が

 

いて院長でない医師に担当してもらっていました。

 

 

 

何ヶ月か経って突然その医師は辞めたので

 

院長が担当しますと言われました。

 

 

 

初めて院長と面談した時に

 

ダメだコリャ、と思いました。

 

 

 

私の具合の悪さに応じて

 

薬をどんどん増やして行きました。

 

 

 

ある日「アモキサン100mg」を処方され

 

帰宅後飲んでみたら頭がぼーっとして

 

意識障害とは言いませんがそれに近い感覚に

 

陥ったことは今でも忘れられません。

 

 

 

私は副鼻腔炎を産まれつき持っています。

 

中学生の頃から喉を痛めることが

 

しばしば有って耳鼻咽喉科にも通いました。

 

しかし出される薬は軽目の抗生物質と

 

消炎鎮痛剤だけです。

 

 

 

副鼻腔炎の為、就寝時には口呼吸になります。

 

それで冬場は乾燥した冷気で喉を痛めます。

 

 

 

その時期は杉の花粉症の時期と重なるので

 

耳鼻咽喉科はめちゃくちゃ混みます。

 

 

 

その頃から私は自分の症状と

 

それに合った治療法や対処法を

 

自分で考えてどう吸えば良いかの

 

答えを出せる様になり始めていました。

 

 

 

取り敢えずですが耳鼻咽喉科に行くのは

 

時間の無駄でしたので近所の内科に行きました。

 

耳鼻咽喉科で処方される薬の名前と強さを

 

全部暗記していたのでその薬、若くは同等の物を

 

処方して欲しいと依頼したら快諾されました。

 

 

 

私は杉と松の花粉のアレルギーもあったので

 

アレジオン20mg も一緒に処方して貰いました。

 

 

 

ここでただ喜んでいては何の為にもなりません。

 

何故内科で処方してくれたのでしょうか?

 

簡単です、内科医は生活費の足しになるからです。

 

 

 

これは完全に私の推測ですが

 

開業医は開業費用が重くのしかかるので

 

他の科の診察や処方を喜んでする筈です。

 

 

 

少し話が脱線しましたが

 

40歳位から自分はこういう感覚になったら

 

軽い感冒、インフルエンザ、過労、などと

 

自己診断し何が必要かも理解し始めたのです。

 

 

 

それを精神科の薬の処方にも活かしました。

 

医師の臍を曲げると精神科は面倒なので

 

処方は受けますが自己判断で

 

飲む・飲まないを決めると上手く行き出しました。

 

 

 

今では冬場の喉の薬は飲まずに

 

ガーゼのマスクを二重にして寝ています。

 

それなら口呼吸でも喉を痛めません。

 

中にはマスクに耐えられない方もいると思います。

 

私にとっては容易なことでした。

 

 

 

その後先程の内科医の勧めで当時の自宅に

 

より近い医師を紹介して貰い今迄の医師に

 

紹介状を書かせて違うクリニックに変えました。

 

 

 

その医師は私が「先生」と呼ぶに

 

相応しいと初めて思えた医師でした。

 

 

 

私の話を良く聞いてくれて

 

精神的なアドバイスと薬の処方の

 

3点セットで診察してくれました。

 

 

 

その医師にかかってからは

 

比較的安定した日常を送れました。

 

 

 

しかし、コロナ禍で一転しました。

 

待合室の蜜を避ける為に

 

面談時間が10分程減らされたのです。

 

 

 

予約した前々日から医師に伝える言葉を

 

先ずは思いついたまま書きます。

 

それをおおよそ1/10に要約して

 

面談に臨みます。

 

 

 

直近2回のやり取りをご紹介します。

 

 

 

11月8日に私はある薬を1日だけ1錠

 

増やしましたと報告しました。

 

その時に医師は眉間に皺を寄せながら

 

そうすると副作用が強くなる危険があります。

 

と言われ、私は即こういう副作用ですよね。

 

と返答しましたが医師にはそれが不愉快でした。

 

(でした、と言うほど表情が解りました)

 

 

 

そして直近の12月13日に

 

今の私はこう言う状況ですと報告すると

 

前回増やすと危険と言っていた薬を

 

私が判断して1日だけ増やした通りに増やし

 

更に、私がこれは飲まないほうが良いと判断し

 

2週間飲んでいなかった薬を切りました。

 

 

 

面談時間が短くなり過ぎて

 

私の言うことを把握しきれていないことは

 

明らかですし、私が自己判断した処方箋になりました。

 

 

 

私は昨日から薬を一切飲んでいません。

 

精神科で処方される区S理の大半の副作用は

 

眠くなるだけだと言われてきましたが 

 

そんな筈は無いと根拠なく思う様になりました。

 

 

 

私はもうすぐ還暦を迎えますが

 

物心ついた頃から大病や大怪我は愚か

 

殆ど病院や開業医の世話になっていません。

 

 

 

それはありがたいことに

 

産まれ持った免疫力の高さと

 

自己分析能力も高いのだと今では解ります。

 

 

 

これは私の最終結論です。

 

精神科医が本気で患者と向き合ったら

 

医師が絶対に精神病になります。

 

精神科医も学者でしかありません。

 

 

 

医師がそれぞれ自分で線を引いているのです。

 

当たり前ですが精神科医は精神病になったことは

 

無い筈です。

 

なって無いから精神病患者の気持ちになれないのです。

 

しかも精神病は百人百葉です。

 

 

 

私は今後死ぬまで医療機関に頼らないです。

 

今現在、アルコール性肝炎か胆嚢の摘出要な

 

状態かも知れません。

 

 

 

お酒を美味しく感じられる内は止めないと

 

昔から決めていたので死んだら

 

天寿を全うして幸せだと思います。

 

 

 

人生100年時代などと勝手に言われていますが

 

男性の平均寿命は81歳代で女性が87歳代です。

 

これ以上少子高齢化が進んだら90歳まで働く

 

なんていう時代になるのではないでしょうか?

 

 

 

それが幸せなのか、不幸なのかは人それぞれです、、、

2020年度の消費税収は約 60 兆円でした。

 

税金収入全体の 44.7% を占めました。

 

 

 

税制を大きく改定すれば

 

今後この問題が解決できると思います。

 

 

 

先ず消費税を15%に上げ

 

100万円超の商品の消費税は20%にし

 

500万円超の消費税は30%にします。

 

食料品は逆に0%へ下げます。

 

 

 

次に所得税の一部を改定します。

 

年収700899万円迄を25%

 

9001,499万円迄を35%

 

1,5002,999万円迄を40%

 

3,0004,999万円迄を45%

 

5,000万円以上を50%にします。

 

 

 

税収だけで150兆円になります。

 

公債費を20兆円とし歳入総額は

 

170兆円とします。

 

 

 

歳出ですが

 

社会保障費を110兆円に(約3倍)

 

国債費等を25兆円に(-5兆円)

 

少子化対策費を10兆円に(2倍)

 

地方交付を15兆円に

 

教育費等を5兆円に

 

防衛費を1兆円に(-4兆円)

 

その他は4兆円にします。

 

 

 

防衛費は自衛隊を

 

最低限維持し戦闘機をはじめ

 

武器等を一切放棄し丸腰になる為。

 

 

 

丸腰の国家を攻撃したら

 

国際社会は黙っていません。

 

米国に対する配慮だけで良いと思います。

 

 

 

同時に年金制度を廃止します。

 

既に受け取っている方々は

 

国からそのままもらい続けます。

 

 

 

社会保障費は現在約106兆円で

 

約半分は税金から補填しています。

 

 

 

20歳未満の方々は完全に廃止します。

 

2064歳の方々は自分が支払った額に

 

(増税した分)から + α をして

 

適切な金額を受け取れる権利を残し

 

そこからはご自身で資産形成して

 

いただきます。

 

 

 

単純計算だと45年間で年金は完全廃止し

 

個人の資産は個人が創る時代へと

 

完全に移行できます。

 

 

 

もちろん、こんなに単純に考えて

 

実現するには難しいのは承知しています。

 

 

 

要はこれくらい大胆な政策をせずに

 

継ぎ接ぎだけでその場を凌いでも

 

根本から変わらないと言うことです。

 

 

 

細かい数字を算出するには半年〜1年は

 

軽くかかりますので大雑把ですが

 

全く根拠のない数字ではありません。

 

 

 

反対の方が多い事は想定済みです。

 

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