某30代男性公務員(独身)のおことば


「弁当のすきまにブロッコリーとプチトマトを詰める女はダメだ」


いったい何があった?(笑)


全面的に賛成はできません

言いたいことはなんとなくわからんでもないな。



名古屋は円頓寺に程近く、僕が愛してやまない一軒の店がありました。


今回店名を出すのは若干はばかられるので


昭和の時代から何十年も続く洋食系の店、とだけ言っておきましょう。


15人も入ればいっぱいのその店は、一日三時間週5日のみ営業(!)。


店は古武士の如きマスター(敬意を込めて以後ジジイと呼ばせていただきます)と、


往年の大映女優のようなマダムの夫婦で営まれておりました。


料理がバツグンに美味いのもさることながら、


なんと言ってもそのジジイの職人っぷりが実にお見事!な店でした。


一度に3つも4つも同時にフライパンをあやつる魔法のような手さばき。


両手と脇で抱え込んだ巨大なフライパンを全身のバネであやつる華麗な力技。


ストレートで無骨極まりない料理にさりげなく添えられる季節の薬味。


隠れた名店という言葉が真にふさわしい店でした。




と、ここまでずっと過去形で語ってきましたが、


実は今でもこの店は存在します、というのが今日のおはなし。




先日僕は久しぶりにこの店を訪れました。


扉を開けてまず驚いたのは、小奇麗に改装された店内。


そしてもっと驚いた事に、そこにはジジイもマダムもいませんでした。


かわりに、揃いの黒Tシャツに黒ハンチングの男子数名。


一瞬ひるみましたが、とりあえずは腰を落ち着けました。


メニューは以前からほぼ変わってないようでした。


仕込みに手間のかかる一部の料理がなくなっているのは少々気になりましたが、


少なくともまるっきり別の店になったというわけではないようでした。




いわゆる経営譲渡というやつでしょうか。


たしかにジジイの年齢を考えればいつ引退してもおかしくない状況でしたから、


いつそうなってもおかしくはなかった、というかむしろ、


こういう形でも残ってくれた事は奇跡にも近い、まさに僥倖というべきでしょう。



ところで突然話は専門的になりますが、ジジイ夫妻が経営していたころの収支は


僕の推定ではだいたい以下のようなものであっただろうと思われます。


月商  60万

仕入れ 15万

人件費(パートのおばあさん一人) 5万

水道光熱その他消耗品など  5万

償却 ゼロ

家賃 ゼロ


税金引いて残りが夫婦の取り分。


家業としてならまあ全然アリですが、会社として経営するということは、


ここから店長の給料出してバイト募集して時給出して


ジジイに対しても家賃かロイヤリティか何がしかの支払いが発生するであろうと考えれば


普通なら躊躇する、ていうかあきらめる。


なのにやってるのは、


「名店のともし火を絶やしたくない」という義侠心なのか、


まさかとは思いますががこれを足がかりにチェーン化でも考えているのか・・・。




ともあれ、新しい経営者が、ジジイが数十年かけて作り上げてきたジジイの店、ジジイの味を


そのまんまの形で引き継ごうとしていることはあきらかなようです。


確かに看板もメニューも値段も(ほぼ)そのまま。


そしてソースの味なんかは、確かにジジイのレシピをわりと忠実に再現していました。


しかし全体として見ると、


仕込みの時点であきらかに味付けを失敗している(というか味付けをし忘れてる?)料理があったり


手際の悪さは百歩譲って許すにしても、そのせいであおりものの仕上がりがグダグダだったりと


その完成度はジジイの時代とは雲泥の差、というか正直


「金とって出していいレベルじゃねーだろコレ」というものでした。




こういうクラシックな料理の技術は


専門書があるでなし調理師学校で教えてくれるわけでなし


一子相伝はおおげさにしても、そのまんまの味を継承するというのは


相当にハードルの高いものでありましょう。


そのあたりを、あまりにも甘く見積もっていたのではないでしょうか。




などと苦言を呈しつつ、


しかしとりあえず名店のともし火を普通だったら考えられないようなオトコ気で残してくれた人がいた、ということは事実であり、


その人がジジイとその味とその店を心から愛し尊重しているであろうこともおそらくは確かですので


あとはその志に現場の技術が追いついてくれることを心から願うばかりです。





願うだけでしばらく行く気はありませんが。





まだ引っ張るかすかいらーくネタ、と思った方ご心配なく。


全く関係ないガストの話です。


まあちょっと前回から引っ張ると、


僕は「ガスト」というすかいらーく新業態の名前を耳にしたとき「なんて不穏な名前だ」と思ったわけですが


その一つの理由はドラクエにおいて三体であらわれバギマ連発で勇者御一行を苦しめるモンスターと同名であったためであろうと思われます。


もうひとつの理由がパンクバンド「ガスト」です。


たぶん誰も覚えていない、というか誰も知らない


1987年結成1987年解散。鹿児島のローカルシーンにひと時咲いた仇花。それがガスト。



ともあれガストは当時鹿児島で間違いなくいちばんびっとしたパンクバンドでした。


中心人物でボーカルのYは僕と学校は違うけど同学年。つまり当時まだ高校生ってことです。


どういうヤツだったかと一言で言うならばまさにシド・ヴィシャス。


当時、日本全国に500人くらいは「おらが町のシド」が居たであろうと推測されますが


Yはおそらくその中でもトップクラスのシドだったはずです。反論は認めない。


そしてYはシドであると同時に、丸顔の超かわいいKちゃんを巡って僕の恋ガタキだったわけです。


しかしこの争いにあっけないほど簡単にケリが付きました。もちろん僕の完敗です。


そりゃそうです。


唇と耳に十本以上の安全ピンをその場でぶっ刺し、

そこにわざとあちこち引っ掛かるように細鎖を渡し、

カミソリでコメカミから頬にかけてを5センチ切り裂いて、

タラタラと鮮血を垂らしながらステージに上がるシドヴィシャス。


1987年の時点でこんな男に勝てるヤツが居るわけありません。


ステージを終えた楽屋で、

「ずおおおお、いてえなあ、やっぱいてえなあ」と呻き続けるYの傍らで

その顔中にスプレー式の消毒薬をばしゃばしゃ浴びせかけながら

コットンで、固まりかけてどろどろの血をかいがいしく拭うKちゃん。


その常軌を逸したほほえましさたるや筆舌に尽くしがたく

僕は「この勝負、負けて一切の悔いなし」と、むしろ爽やかな気持ちで見守ったものでした。




熱い季節の終わりはあっけなく訪れました。


Yのあまりの狼藉ぶりにブチ切れたYの親父さん(そうとうなエラいさんだったらしい)が


Yをむりやり自主退学させ、「福岡の親戚の寿司屋」に強制送還してしまったのです。


この強引な展開にYを知るものたちが唖然としたのは言うまでもありません。


さらに我々を唖然とさせたのは、この暴挙とも言える親父さんの処置に


Yはあっけないくらい素直に従い、むしろ嬉々として荷物をまとめとっとと家を出たという噂。


僕は「非常に残念きわまりない」と思ったり、

しかし心の片隅では若干まだKちゃんの事に関する恨みもあって「ざまあ」と思わなくもなかったり。


ただまた全く別の心の片隅で「寿司屋かよ。ちょっと悪くないじゃん」と羨む気持ちも確かにありました。。




さて、そんな青天の霹靂でひとり鹿児島に残されたKちゃんがその後どうなったかと言うと・・・。