まだ引っ張るかすかいらーくネタ、と思った方ご心配なく。


全く関係ないガストの話です。


まあちょっと前回から引っ張ると、


僕は「ガスト」というすかいらーく新業態の名前を耳にしたとき「なんて不穏な名前だ」と思ったわけですが


その一つの理由はドラクエにおいて三体であらわれバギマ連発で勇者御一行を苦しめるモンスターと同名であったためであろうと思われます。


もうひとつの理由がパンクバンド「ガスト」です。


たぶん誰も覚えていない、というか誰も知らない


1987年結成1987年解散。鹿児島のローカルシーンにひと時咲いた仇花。それがガスト。



ともあれガストは当時鹿児島で間違いなくいちばんびっとしたパンクバンドでした。


中心人物でボーカルのYは僕と学校は違うけど同学年。つまり当時まだ高校生ってことです。


どういうヤツだったかと一言で言うならばまさにシド・ヴィシャス。


当時、日本全国に500人くらいは「おらが町のシド」が居たであろうと推測されますが


Yはおそらくその中でもトップクラスのシドだったはずです。反論は認めない。


そしてYはシドであると同時に、丸顔の超かわいいKちゃんを巡って僕の恋ガタキだったわけです。


しかしこの争いにあっけないほど簡単にケリが付きました。もちろん僕の完敗です。


そりゃそうです。


唇と耳に十本以上の安全ピンをその場でぶっ刺し、

そこにわざとあちこち引っ掛かるように細鎖を渡し、

カミソリでコメカミから頬にかけてを5センチ切り裂いて、

タラタラと鮮血を垂らしながらステージに上がるシドヴィシャス。


1987年の時点でこんな男に勝てるヤツが居るわけありません。


ステージを終えた楽屋で、

「ずおおおお、いてえなあ、やっぱいてえなあ」と呻き続けるYの傍らで

その顔中にスプレー式の消毒薬をばしゃばしゃ浴びせかけながら

コットンで、固まりかけてどろどろの血をかいがいしく拭うKちゃん。


その常軌を逸したほほえましさたるや筆舌に尽くしがたく

僕は「この勝負、負けて一切の悔いなし」と、むしろ爽やかな気持ちで見守ったものでした。




熱い季節の終わりはあっけなく訪れました。


Yのあまりの狼藉ぶりにブチ切れたYの親父さん(そうとうなエラいさんだったらしい)が


Yをむりやり自主退学させ、「福岡の親戚の寿司屋」に強制送還してしまったのです。


この強引な展開にYを知るものたちが唖然としたのは言うまでもありません。


さらに我々を唖然とさせたのは、この暴挙とも言える親父さんの処置に


Yはあっけないくらい素直に従い、むしろ嬉々として荷物をまとめとっとと家を出たという噂。


僕は「非常に残念きわまりない」と思ったり、

しかし心の片隅では若干まだKちゃんの事に関する恨みもあって「ざまあ」と思わなくもなかったり。


ただまた全く別の心の片隅で「寿司屋かよ。ちょっと悪くないじゃん」と羨む気持ちも確かにありました。。




さて、そんな青天の霹靂でひとり鹿児島に残されたKちゃんがその後どうなったかと言うと・・・。