スタミナラーメンの潮流 | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。


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以前から何度かスタミナラーメンの発祥について見聞きした事を書いてきて、

今まで忘れられていたカボチャが入った昭和56年の話や昭和57年から10年弱続いた茨城町の幻の名店『水車』とアイデアマンだった町田さんの事を何度か紹介してきました。


当時は、長井さんと町田さんはお互いを意識していて色々と話を聴きましたが、私からすれば、どちらも素晴らしい思い出を作ってくれた恩人です。


その二人の味は系統として実は今にも生きています。


長井さんの味は甘辛餡かけでいわずと知れた松五郎系列。水戸と東京の松五郎、つくば市のがむしゃ、日立と鹿島の三四郎、水戸の松喜吉。

甘辛い餡かけにキャベツのシャキシャキ感等の新鮮な野菜をよくまあ包み込めると感心する至高の餡かけだと思いますね。


町田さんの味は甘辛餡かけとはいっても甘さ抑え目ですね。醤油の配合も違うとか聴いたことはあります。更に六国寅さんの頃と幻の名店水車の二潮流。

6号国道の寅さんラーメンの味を作り、昭和56年に長井さんが入院していた時に勝田駅前の寅さんを切り盛りした町田さんの味は、6号国道の寅さんラーメン、6号国道の方から教わった八エ門、直接町田さんに教わった我流食堂などに引き継がれています。ラッキー飯店は行った事が無いのですが、六国は町田さんが教えた職人ばかりですから町田さんの味の流れとは思っています。

近所の八エ門が出来た時に、味付けが高校三年生の昭和56年の時に食べたスタミナの味に似ていたので、『水車の味に似ていますね!』と言ったら、六国の寅さんの方に教わった話を聴きました。

歩いて5分ということもあり、八エ門を贔屓にするようになったのでした。

水車については、我流食堂の勝田高校応援団の後輩が町田さんから直接レシピを教えてもらっていまにいたっています。アレンジしているので、完全にそうではないですが、餡が多くて具がてんこ盛りで甘さが抑えられているのは水車の味の再現ですね。水車の方が餡自体はもう少し多くて餅も乗っていましたが。具はどっこいどっこいか我流食堂の方が多いでしょうか?

水車が出来た頃は茨城町の森の中の辺鄙な場所に、町田さんフリークが沢山駆けつけていました。

あの当時は、長井さんの味と町田さんの味、大進の味の三つしかありませんでした。

町田さんはおとなしい方で黙々と仕事する人でしたが、その味には熱狂的ファンが多かったですね。

町田さんがスタミナを辞めて20年ほど経ちました。

今はある大きな料理屋で料理人として働いているそうです。

高校の同級生の間でも、水車が復活したら絶対に行く!と言っていた人間が多く、今は我流食堂に通い詰めているそうです。

時は巡りますね。


今は、勝田駅前には冷やしでも餡がスープの様に多くて物凄いボリュームの大進と、餡が独創的てやはりスープの様な餡の『現代』があります。

M’sという店や、横浜ラーメン系なのにスタミナも出す春木屋という店も凄く評判がいいそうですね。

スタミナ好きの店主の方が創意工夫して独自のスタミナを作られている店も増えてきているようです。


私からすると、味わいは、長井さん系、町田さん系、その他、となります。

あくまで、私の舌が感じる思い入れから来るものです。

勿論その他の沢山のお店がそれぞれの熱烈なファンをつくり、やがて新しい潮流が出来てくるのだと思います。


私が常々言っているスタミナラーメンは最早味噌ラーメンや塩ラーメンと同じくスタミナというジャンルだといっているとおりになってきている気がします。


昨日、長井さんと話していた時に長井さんも同じ様な話をしていました。

スタミナは味噌ラーメンみたいに広まればいいんだ、と。

まさか私のブログを見ているわけではないでしょうが?


でも、思いは一つですよね。

一つの料理に色々な人の思い入れが詰まって、徐々に全国、世界に広がっていけば良いと思います。


みなさん、応援しています。頑張ってください!