スタミナのエジソン長井さん | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

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昨日は、スタミナラーメンの最大の功労者長井さんに会ってきましたが会うと楽しいですね。

長井ワールドが展開されます。ちょっと話が大きくなりすぎる嫌いはありますが、面白いです。

長井さんの言葉が以前より聴きづらくなっては来ていますが、負けず嫌いの性格と言い、相変わらず味があります。

ネットで玄海の弟子が辞めてしまって長井さんが一人でやっているけれど、もう限界そうだ、等と書かれていたので、心配になって駆け付けましたが、正月に座っているだけの状態から、2月に右手は使えなくても左手で水切りを始めた姿等、定期的に訪ねていましたので、だいぶ良くなっている姿に一安心しました。

とはいえ、昼はやっていても夜はその日の体調で休みを取ることが多いそうです。奥さんは特に休ませる事に気を配っていて、
『この人、頑固だからなかなか言うこと聴かないからねえ。無理はさせられないからねえ。』
奥さんの愛情を感じます。

そういえば、5月のゴールデンウィークの子供の日に我流食堂の櫻井店主夫妻など勝田高校応援団OBの面々でサプライズで伺った時に店が休みだった時も、ゴールデンウィークに頑張って疲れたので5日6日は休みを取ったんだとか。

電話してくれりゃ、家は店の直ぐ近くだから、お前らの為なら開けたのに!
と残念がられてしまいました。

でも、オヤジさんとはまだまだ長い付き合いをしたいから、休みの時は休んだ方が良いですよ。

それから、この前の木曜日は我流食堂の櫻井夫妻が店に寄った事、凄く喜んでいました。
ネットで長井さんが大変そうだってと伝えたら、翌日定休日だったので、夫婦で高校時代からの思い入れのあるオヤジさんを見舞いに伺って来たとか。
櫻井もマネージャーだった奥さんも、30年経っても変わらねえなあ!
深川も変わらねえけどな。

水車の味を復活させた櫻井には、スタミナラーメンというのは、味噌ラーメンみたいに色々な味があっていいんだ。
どんどん広まればいい。
俺の店で作るのがスタミナだ!なんて事はあり得ないんだから。
まあ、発明した最初の人間には苦労があって、その人間の記憶があればいい。
ずっと長い付き合いのお客さんっていいな。
俺の教えた弟子は体壊しても誰も見舞いも挨拶もないけど。

等と話されていました。

仕事が絡むと、何かがあるのかも知れないし、単に忙しくてそれぞれ一生懸命にどんどん時間が過ぎているのかも知れません。
今が長井さんの正念場である事には変わりませんから、長井さんにスタミナに関わってきた少しでも多くの人が会いに行って元気を出してくれる事を期待します。

スタミナ=長井さん

これは確かな思いがあります。

町田さんと言う、カボチャを入れて現在に続く食材の構成を考えた功労者もいますが、長井さん曰く、
『俺だって、カボチャを試した事はある!』
との事。
昭和54年に勝田駅前の寅さんラーメンに通いだしてから毎日の様に食べた頃はレバニラとタマネギの組み合わせで、長井さんが入院していた頃に勝田駅前の寅さんを切り盛りした町田さんが売れ残りのカボチャをただ同然で仕入れてその試食を私がしたのは紛れもない事実ですが、その本人の前でキッパリと、『俺もやってみたことはある!』と言い切れるのですから、長井さんってプライドの塊ですね。
Wikipediaとか2ちゃんねるで過去を知らない誤った情報が一部見受けられますが、長井さんワールドからははみ出せないでしょうね。今作っている人間も、皆さん長井さんの味がスタートラインだと思いますから。だから、長井ワールドからはみ出さない方が良いのかも知れませんね。
長井さんが大進と言う店でレバニラベースの餡掛けスタミナラーメンを始めて、同じような餡掛けを模索していた寅さんラーメンに引き抜かれて月給制で寅さんラーメンの店長をしていた事、その後昭和56年に長井さんの入院中に六国寅さんの町田さんがピンチヒッターで切り盛りしているときに今のレシピが固まった事、しかし、その後に長井さんが寅さんラーメンから独立して松五郎を始めて水戸にスタミナラーメンを根付かせ、全国に知れ渡らせた流れは紛れもない事実です。

町田さんはスタミナを辞めて料理人として別の道を歩んだ中、長井さんだけはスタミナと共に歩んできました。

継続は力なり。
その後の新聞や雑誌やネット情報は長井さんやそのお弟子さん達の情報を素に作られたものでしょうから片寄りが若干あるのは仕方がありませんね。
あの頃を語れるのは長井さんと町田さんと毎日通い続けて試食に付き合って来た私ではあると思っていますが。
その後の世代に聴いても何も出てきません。
まあ、いずれにせよ長井さん抜きにしてスタミナは語れません。
我々の青春の思い出が全部詰まっています。

長井さんが作り続けて広めてきたスタミナラーメン、それを練り上げていった関係者。

エジソンが電球を発明するのに以前から理論があり、エジソン以外の発明者もいれば、材料を日本まで探しに来たエジソンのスタッフがいました。

それが、今に残ったのはエジソンの名前。


昨日、長井さんと話していた時に、長井さんが言っていた事を思い出します。


『スタミナがもっと広まって色々な店がスタミナを出すようになればいい。でも、発明者としてみんな俺の事忘れないで欲しい。』


確かに、長井さんはスタミナのエジソンです。


益々元気になってください!