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今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラクイズの第12回がCSのファミリー劇場で、再放送されました。
その番宣番組として「今だから話せる裏話」という、10分ほどの短い番組が3本作られ放送されました。
その第2話で、当時の美術スタッフの黒木遠志さんが出演した時のエピソードで「黄色のハットが立たない」というエピソードを紹介しましたが、番組の中ではその顛末が良く理解出来ないうちに、別の話に変わってしまい、そのエピソードをもっと解りやすく紹介して欲しいというリクエストが私のブログにありました。

こで、私の知る限りの思い出を書いてみたいと思います。
この事件が起こったのは第14回でした。
この回は、アメリカ大陸を西海岸から東海岸まで、全ての行程を車で移動してクイズを行うというスタッフにとっては体力的に一番ハードな回でした。
その中の3番目のチェックポイントがソルトレークシティーでした。
この地はその昔、大陸横断鉄道が東西から工事を開始し、中間点でドッキングした記念するべき場所だったのです。

大陸横断鉄道


ところでアメリカの貨物列車は日本と違って運行が実に不定期なのです。
1日に2~3本しか走らない時もあれば、10数本立て続けに走るなどバラバラなのです。

しかも、車両が50輌、60輌、中には100輌と言ったように長ーいのが特徴です。
距離にすると延々1km以上もある車両がガッタン、ゴットン時間をかけて走って行きます。
踏切でこの様な列車に遭遇したら、通過するまでどのくらい待たされるか解りません。
我々はこの長い貨車を使ってクイズを行う事にしました。
題して「空席待ち列車タイムショック・クイズ」です。

大陸横断鉄道の線路の脇に、早押し解答台が3台用意され、あらかじめ並ぶ順位を決め12人の挑戦者が3列に並びます。
そして大陸横断鉄道の先頭車両が目の前を通過した瞬間にクイズが開始され最後尾の車両が通過し終わった時点で終了します。
この間に先頭の3人がクイズに回答し、誰か1人が正解すると残りの2人は席を離れて最後尾に並ばなければなりません。
この様に回答権が次々と後ろの人にバトンタッチされ、列車が通過し終わるまでに何問正解するかが競われます。
その間の総合得点で、成績の悪い2人が敗者になるというルールでした。

大陸横断鉄道2


我々スタッフは全ての準備を終え、後は列車の到着を待つ体制に入っていました。
何時、列車がやって来るのかは鉄道会社に問い合わせても正確な時間は解りません。
そこで耳を線路に押し付けて、線路の音でそろそろやって来るだろうと待ち構えていました。
かすかに線路に振動が伝わってきたので、間もなく列車がやって来るだろうと判断したその時です。

「そろそろ始まるので最終確認!」
という声が響きました。
そこで、ウルトラ・ハットの電源は通じているか最後のテストが始まったのです。
すると美術スタッフのS君が、真っ青な顔で絶叫しました。
「黄色のハットが立ちません!」
「バカヤロー!それじゃクイズが出来ないぞー」
本番前にウルトラハットの調子が悪くなるなどという事は、過去13年間に1度もあった試しがありません。
美術スタッフは総出で配線のチェックを始めたのですが、別に不具合も無いようなのです。

「間もなく列車がやって来まーす!」
線路の振動は次第に大きくなってきました。
「S! どうするんだ? 別のハットに交換しろ!」
と叫んだところで、そのような時間はありません。
可愛そうにS君は全スタッフの冷たい視線を浴び、オロオロするばかり。
結局、寸前でハットの不具合が解消して、クイズは通常通り実施されました。

もし、このまま立たなければ、クイズは中止せざるを得ませんでした。
列車はその後いつやって来るか全くわからないのですから、その責任は美術班にやって来るでしょう。
これを称して、ウルトラの美術班では
「黄色いハットが立たない」
という言葉が、呪いの言葉になったのだそうです。
黄色と言えば「幸福の黄色いハンカチ」という高倉健さん、倍賞千恵子さんの名作映画が思い浮かびます。
黄色は幸せの色、とばかり思っていましたが呪いの色とは黄色にとっては迷惑な話です。

大声クイズ

メリカ横断ウルトラクイズは、テレビ番組としては莫大な費用をかけ、壮大なスケールで制作された番組でした。
日本の景気も良くて、あの時代だからこそ実現出来たという説がありますが、正にその通りだと思います。
私は、その様な稀有な番組に関われたのは、テレビマンとして実に幸せな事だったと感謝しています。
しかし、今思えばとんでもないスケールだっただけに、それに関わったスタッフも各分野の選りすぐりのプロの皆さんでした。
プロが集団で移動しながら、各自が自分の分野をより効果的に作り上げるか、真剣勝負の旅を続けていたのですから、時には意見の食い違いも起こります。

レビ制作の現場は、普通は意見が衝突した場合、責任者であるプロデューサーが纏めて丸く収まる場合が多いのです。
しかし、仕事に自信のあるプロの職人は、一度思い込んだらそう簡単に意見を曲げないという特徴もあります。
そうなると、プロデューサーの鶴の一声では収拾が付かないという事にもなりかねません。
ましてや、年齢が若いディレクターの場合、父親のようなベテランの技術者が「ダメ!」と言い出した時にはその説得に苦労をします。

ルトラクイズでは、毎年同じメンバーの技術者が担当していたので、仲間意識もあって衝突する事は少ない方でしたが、それでも時にはぶつかり合いが起こります。

それは第13回の「コンボイ・リレー・クイズ」の前日に起こりました。
その時のディレクターは、総合演出のK氏でした。
この時のいきさつは、彼と13回のチャンピオン長戸勇人さんの「QUIZ JAPAN」の対談でも紹介されていますが、前日の打ち合わせの時に起こったのです。

コンボイリレークイズ2


イズ形式は、オレゴン街道を80kmにわたって遮断し、6台のコンボイを走らせながらリレー形式でクイズを出題。先頭の車が正解すれば一気に勝ち抜けできます。
二番手以降が正解の時は先頭車と並び、ここで一対一の対決。正解すれば勿論勝ち抜けですが、残された方は先頭車として次の勝負を待つ事になります。
このクイズは車の配列が勝つための重要な要因となるのですが、勿論これを決めるのは、事前に行われたクイズでした。

本番前日の会議で、この形式に「待った」を賭けたのは音声班でした。
このクイズは、全てを無線で行うため不公平になりかねないというのです。
彼らの言い分は、当時のアメリカでは強い電波が飛び交っているので、いつ切れるかもわからない。
もし電波が切れた時に、全員に聞こえているはずの声が一人だけ聞こえない様な事が起こったら不公平になる、という意見でした。
誠に尤もなご意見でした。
しかし、その様な事態を防ぐ目的で、本命と予備の回線の2回線を用意してあったのですが、音声のプロはそれでも安心出来ないと反対していました。

このコンボイのリレークイズは、ウルトラ史上に残るスペクタクル画面として記憶に残る方も多かったと思いますが、本番前には大変な準備がなされていたのです。
ヘリコプターのパイロットは、映画の空撮シーンで有名なハリウッド屈指の腕前のパイロットを
呼び寄せていました。
また、オレゴン街道を80kmも遮断しての撮影なのですから、この許可を取るまでが大変な作業です。
そのように準備した夢を実現させるため、K氏は夜中まで音声、カメラの大先輩の部屋で膝ずめ談判をして、口説いたのだそうです。
カメラにしても音声にしても、業界ではプロとして名高い人達ですから、自分の職責の範疇では中々妥協をしてくれません。
最後は根負けしたのか、しぶしぶ了承を取り付け、あのダイナミックな撮影が敢行出来たのです。
この様な、頑固なプロに囲まれながら演出をした訳ですから、傍目にはお山の大将のように見えるディレクターという仕事も、実は苦労が多かったのです。
戦いは常に真剣勝負 ラクでは無い のでした。

コンボイリレークイズ1

メリカ横断ウルトラクイズでは、毎年沢山のクイズ問題をつくりましたが、中には問題そのものがはてな? とマークが付くような珍問もありました。
まさか、この様な問題で間違える人はいないだろうと思いながらも
「いや待てよ。これは引掛けで反対が正解だ!」
と裏の裏を考える人がいるものなのですね。
特に○×問題は正誤の確率は2分の1ですから、丁半バクチに近いきわどい判断が決め手になってしまいます。

第7回の後楽園での○×問題に、次のような珍問が出題されました。
・紅衛兵で有名な文化大革命の頃、中国の信号は革命の色「赤」が進めだった。

信号機


・×

解説
当時、勢いの有った紅衛兵が、赤は革命の色なので、信号も赤を進めにするように申し出ていました。赤は止まれで、青が進めは世界の常識。しかし、常識に囚われていたのでは革命は出来ないという言い分も解らないわけではありません。
多分、この様な申し出を受けた、中国共産党の内部でも意見は分かれた事だろうと推察できます。といって、若者たちの言い分を認めてしまっては、世界の常識を根底から覆す事になりかねません。世界の一員として、外国人観光客の混乱も予想されるでしょうね。
諸々を検討した結果、この申し出は却下され、その様な改革はなされませんでした。
勿論、答えは×が正解です。

面白いのは、この様な突飛な問題でも意見が2つに分かれる、それがウルトラクイズの問題の楽しさだったように思います。
要は、クイズ好きは疑り深い
従って、常識の裏の裏を常に覗いているという事のようです。
確かに、通常では常識と思っている事が間違いだった、という問題も沢山ありましたし、それを探すのもクイズ問題の醍醐味ではありました。
クイズ問題は 素直じゃない、これが答のようです。
メリカ横断ウルトラクイズの象徴ともなっていた「自由の女神様」、何故か第一問に採用されて以来、番組の象徴的な存在になっていました。

ニューヨーク


「ニューヨークへ行きたいかー!」
という福留アナの第一声から番組が始まっていたので、ニューヨークの象徴の自由の女神が、番組の象徴になるのは自然の流れで、ウルトラクイズと言えば、自由の女神、と結びつくほど皆さんの記憶に焼き付いている事でしょう。

肉な事に毎年、クイズ問題を作っていた我々の一番頭を悩ませていたのも、自由の女神様でした。
何故か? 我々は毎年、たった一つの銅像に関するクイズ問題を考えなければなりません。
しかも、問題は書物に記載されていない情報から問題を作る、という条件付きなのです。
自由の女神ほど、知名度のある建造物となると、あらゆる情報が書籍に記されています。
その隙を突いた問題、となると自らの発想しかありません。
そこで出てきた疑問点、
「自由の女神」の著作権はどの様になっているのか?」
 という謎でした。

像の制作者である彫刻家のバルトルディーは死後50年以上経過しているので、多分著作権は切れているはずだ、と想像できます。
しかし、家族に引き継がれているかもしれません。
あるいは公共の場に建っているので、権利はニューヨーク市にあるという事も考えられます。
そこで、我々は女神様の肖像権について、アメリカで調査をいたしました。
その結果、何と
「著作権フリー」という回答を得たのです。

近、中国でエジプトのスフインクスの偽物が建造されニュースになりました。
勿論、御本家のエジプト政府は抗議しています。
また、同じ中国ではパリのエッフェル塔のコピーが誕生したり、色々なコピー商品が話題になっています。
また、日本各地で自由の女神のコピーの像が建っています。
でも、これらは本家からクレームが付いたという噂は聞いた事がありません。
それは、著作権がフリーだからなのです。

我々は、この点に着目して第15回の第一問を作りました。

・アメリカの象徴、自由の女神を他の国が国旗に採用してもアメリカの許可はいらない×か、 という問題でした。




解説
自由の女神の肖像権は消滅していました。
理由は公の場所に建ち、一般に公開されているからであり、その前で写真を撮ろうが、絵に描こうが誰の許可もいらないというものです。これは全てに於いて平等で、国旗に描こうが、硬貨にデザインしようが、構いません。
当時、全国に誕生したクイズ研究会がサークルのシンボルマークにしても、誰からもクレームは付けられなかったのですね。
でも、その様な噂は聞いた事がありませんでした。
自由の女神は全てに於いて自由だったのでした。

りカ横断ウルトラクイズは、アメリカ各地でロケを行った番組です。
ロケで一番心配なのはスタジオ収録と違って、当日の天気に左右される事があるという点です。
前にも書きましたが、ウルトラクイズは雨が降ろうが、槍が降ろうが、ロケを中止しないで決行しないと番組が成立しないという過酷な条件で始まった番組でした。
だからこそ、17年間一度も天候に左右されずに、ロケを行ってきました。

天候に左右されずにロケを行うのは、我々スタッフの常識になっていましたが、しかし、天候がクイズ形式を左右するようなものもありました。
その良い例が、第11回のカンクーンでのクイズ形式でした。
それは「日の出タイムショック」という形式でした。
これは、クイズ形式案として前々から出ていて検討されていましたが、当日の天候に左右されるというリスクが高い形式でした。
ルールは、早朝薄暗い内に準備を始め、夜が白々と明ける前にセットアップを終え、太陽が東の空に顔を見せたのを合図にクイズがスタートします。
そして、太陽が丸い姿を全部見せたところで、クイズは終了するというものです。

その間に早押し問題が次々と出され、終了までの間に正解獲得の多い順に勝ち抜けるというルールでした。
お手付き、誤答はマイナス点が付きます。
太陽がすかっり出るまでの短い時間の戦いです。
太陽がすっかり顔を見せた時に、得点が一番低い一人が敗者になる訳です。

の形式を成立させるには、クイズ当日、東の空が快晴で雲一つ無いのが条件となります。
私達の経験ではアメリカ西部の砂漠地帯なら、どこでも実現出来る環境はありました。
しかし、その様な場所の場合、恒例のばら撒きクイズが行われていたのです。
その様な時に、メキシコのカンクーンの情報が入ってきました。

cancun


カンクーンは、その頃はまだ無名の観光地で、アメリカの新婚さんの旅行先として人気が出始めたばかりの地でした。
10年前にはユカタン半島のジャングルだった場所で、観光地としては全くのニューフェースだったのです。

では、何故このジャングルの地が観光地に変身したのか、実はメキシコ政府の涙ぐましい努力の成果なのですね。
海の透明度砂の美しさ温度湿度などリゾート地としての条件をコンピューターにいれて調査したところ、世界中で最もリゾート地として相応しい場所として選ばれたのがこのカンクーンだったのです。
そこで急遽ジャングルは切り開かれ、観光地建設が始まったのです。
年間の平均気温が28度C,湿度は低く、雨季も無いし、ハリケーンが襲ってくる心配もまるで無いという理想郷なのです。

この地をロケハンした我々は、早朝の暗い内からクイズ会場候補地に出向き、胸をわくわくさせながら東の空を眺めました。
すると全く雲一つない東の空が次第に明けて来て、真っ赤な太陽が顔を見せ始めました。
「これなら行ける!」と確信出来る手応えを掴み、この地のクイズ形式は決定しました。

クイズ当日、挑戦者は、暗い内にホテルから連れ出され、一体何をさせられるのか、不安に思った方もいるでしょうね。
でも、それから間もなく世界一美しい日の出の場所での、クイズを体験したのでした。
あれから20年以上、カンクーンがハリケーンで被害を受けたというニュースも聞いた事が無くやはり、あの地は世界一の理想郷なのかもしれません。