こどもの自死とその背景 その4 | エーテル・21 仙台

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子どもたちの命を守るには?
事故、災害や病気など。
でも、若者世代の死因の1位は
自死です!
追い込んだのはこの国の社会です。大人たちの責任ですよね?
1人でもいいから何とか助けたい、そういう気持ちで活動しています。

ブログ、しばらく間が空きましたが、

亘理町中学生いじめ自死事件から今日で5年となりました。

ご遺族の悲しみはいかほどか、とても言葉では表せません。

先日、地元紙の河北新報にこの日を迎えるにあたって、そのお気持ちを記事にしていただきました。

自死遺族はまず何より自責の念を持つものなのですね。

救ってあげられたのではないか?と、きっと何度も何度も...



河北新報デジタル版記事の一部では次のようになっています。



「息子を救ってあげることはできなかったのか」。自責の念を抱えて暮らす両親が河北新報のインタビューに応じ、60回目の月命日を前に胸中を明かした。(亘理支局・橋本智子)


両親は生徒の制服と渡せなかったBMXを自宅で大切に保管している=2月25日


「うちの子は運動部の青いジャージーを着た中学生のままで…」

 「同級生は今年、二十歳になる。でも、うちの子は運動部の青いジャージーを着た中学生のままで止まっている」。父親(57)はやりきれない思いを口にする。


 5年前、両親は激しく落ち込む様子を何度も見せる息子を心配し、学校に繰り返し相談をしていたさなかに自死が起きた。

今も悔やむ「あの日」の会話

 亡くなる当日の朝、仕事に出かける準備をしていた母親(54)は息子から「行ってらっしゃい」と声をかけられた。玄関を出るタイミングではなかったので「まだ行かないよ」とだけ返した。それが最後の会話になるとは思いもしなかった。「帰るまで待っていてね、というような言葉をかければ、死を選ばずにいてくれたのかも」と母親は悔やむ。

 同じ日、父親は息子が以前から欲しがっていたBMX(競技用自転車)を入手し、サプライズで贈ろうと計画していた。「息子がBMXを見ていたら、亡くならなかったかもしれない」

 心優しい子だった。小学生の時、地元の夏祭りに行き、金魚が1匹ずつ入った袋を四つほど持って帰ってきた。「友達がいらないって言ったから」と母親に差し出した。「捨ててしまうのはかわいそう、そんな風に考える子だった」。誇らしいわが子の姿として母親は思い出を記憶に刻む。

 自殺の原因を明らかにするため、学識経験者らによる町の再調査委員会の協議が続く。報告書は今夏にまとまる予定だ。両親は「息子にきちんと報告ができるような、納得のいく内容になってほしい」と願う。

 音楽好きでロックバンド「ONE OK ROCK(ワンオクロック)」の大ファンだった息子のため、戒名には「音」の字を入れてもらった。仏壇と墓には、たくさんの季節の花を欠かさない。

 2人は今日も心の中で語りかける。「もうどうか、苦しんだり悩んだりしないで」「お父さんとお母さん、毎日手を合わせるから、安心して心穏やかに過ごしてね」


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河北新報の橋本記者さん、書き記して下さりありがとうございました。



今日は、音楽を聴く気持ちにはなれません。

お読み下さりありがとうございました。