こんにちはー。
出張と試験とのはざまにおります。やっぱり近大通信の司書課程はむずいっす。いや、頑張ればなんとか1年でクリアできるとは思うのですがレポート作成でクオリティを極めようと思っちゃうと苦戦を強いられます。
今回はこんなこと考えてみました。目次いきます。
目次 0.めくらのジョエロニモ 1.そもそもの構図 2.神様の最善? 3.与えられた試練と対策 |
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0.めくらのジェロニモ
ドイツの シュニッツラーの作品であります。中学生向けの名作集などに収められてたりする。
兄のカルロと弟のジェロニモ。幼い日、カルロの不注意でジェロニモは盲目になってしまいました。以来カルロは自責の念から弟と共に生きようと決意します。
ジェロニモはギターを弾いて歌を歌い、兄は弟に寄り添って聴衆から金を受け取る。二人はそうやって旅を続けていました。
ところがある日、とある男がジェロニモにこうささやいた。
「あの帽子に金貨を入れたんだ」
「君の連れは嘘つきだから気をつけろ」
この言葉がもとになって、ジェロニモはカルロを盗人と疑う様になってしまいます。
このくだり、人間の疑い深さの根源をあらわにする場面はよく演劇にも取り上げられます。アメブロさんにもいらっしゃったからリブログします。るーちゃんさんどうもありがとう。
結局、カルロは「自分が稼いだ金貨を手にしたい」と言い張って聞かない弟のために盗みを働き、警察がやってくるところで幕となる。ジェロニモはそこでやっと、自分が騙されていたこと、兄が自分への信頼を勝ち取るために盗みを働いた事実に気づくのです。
うーん、感動する物語のはずなのに今のクルミさんには全然響かなかった。
第一、ジェロニモをだました男がどうなったか、この物語は何も記していない。どんなに人々がツライ、悲しい思いをしても、神様は原因を作り出した者たちになにもしない。そのことを象徴するかのようです。
1.そもそもの構図
この先はクルミさんの独断と偏見で進みますが、ジェロニモをだました男のようなクリスチャンはごまんといます、よね。
えーっと、この場合ですと、ジェロニモがまず目を悪くするところから「神様のおぼしめし」などと言ってくるケースすらある。そして、こんなみことばをちらつかせます。テサロニケ人への第一の手紙 5章 16-18節:
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
ジェロニモやカルロは、ジェロニモに襲い掛かった不幸を喜ぶべきで、かつ、ジェロニモをだました男の言葉によって傷つくことも素晴らしいと感謝すべきだ。そのように受け取れてしまう表現です。
2.神様の最善?
「あの帽子に金貨入れたんだ」
そう言ってジェロニモをだました男ですが、少しは良心が痛んだらしいのです。が、こう考えなおします。
「きっと神様が最善に導いてくださる」
このセリフは厄介です。パウロがこんなこと書いちゃってるからです。ローマ人への手紙08章 28節:
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
すなわち、この男は自分の行為は「神の計画」の内にある、と勝手に思うことにしました。
こういった事柄はあちこちで目に耳にします。たとえば欧米圏の子供達は嘘をつきながら、手の人差し指と中指をクロスさせてキリストの十字架を作り出し「神様がすばらしいご計画によって罪を背負ってくれるから嘘をついても大丈夫」なんて行動をとります(クルミさん、そういう絵本を読んでたまげたことがある)。そういう子供達が異端の教派などで育っちゃうと、遅刻をしても損害が発生しても「主のみこころ」などという、とうてい受け入れられない言動を繰り返すようになります。
カルロが盗みの罪で警察へしょっぴかれるのは最善なのでしょうか?
弱者らが打ちのめされ未来への希望を失うことが最善なのでしょうか?
ひとつ明らかなことは、神様は何も示さない。きっとそれが最善だから……あれれ?
3.与えられた試練と対策
そういえばこんなみことばもありますね。コリント人への第一の手紙 10章 13節 前半:
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはない
ここね、前半だけでぶった切って示されることが多いのよ、怖ろしいことに。
いままで引用したみことばだってそう。牧師さんをはじめ、ちゃんとしたクリスチャンなら言うはずだよね「聖書全体を通して理解しなさい」って。
自らの都合のよい部分だけ切りとり、それがあたかも事実であるかのように指し示すことは沖縄ヘイトでもよくされる手法です。ちゃんと歴史を追いつつ筋道をたてて考えれば、沖縄の置かれている状況がどれだけ日本本土と比べて不利益極まりないかよくわかるはず。それを探ろうともしない人々が一神教を攻撃しても、それこそ天にツバキっすよ。
話それました。さきほどのみことば、ちゃんと引用してみましょう。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
「のがれの道」についての記述があります。耐えるだけじゃないって。
この後半部分をすっとばすことを異端はやりがちです。彼ら彼女らはひたすら弱者を攻撃し、逃れようとすると「信仰が生ぬるい」などという表現を好んで使います。
お、たまたまこのシーンが映っております。これこそ神に感謝だわ。
この動画の事例ね。「忍耐強く信仰の上に立つ」ことを求められたんだけど命の危機にさらされて逃走したんだわ。
それこそが神様の用意した「のがれの道」だったとクルミさん思うんだけどさ、この宗教団体は当事者を悪魔扱いみたいにしているからね。自分のやるべき仕事の責任を取らない奴を「神のご計画を聞いた」って軍配を上げたんだからね。
そして神様は今のところ何もしていない、ようにクルミさんには見える。クルミさんが動画作っても、ものがたりを書いても、とある裁判記録を指し示しても、クリスチャンみんな見ないふり、聞かないふりをし続けてる。
クルミさん、もう疲れたよ。
だからクルミさんは「教会へ行かない」ことを「のがれの道」と思うことにした。演劇研究をやっていくことを「神のご計画」って思うことにする。
それを「信仰が生ぬるい」とおっしゃるなら、クルミさんはあなたをゆるさない。一緒に地獄へ連れ込むよ。マタイによる福音書の18章、知らないとはいわせない。
他者の示すことを全部無視して自分の主張だけ通す、クリスチャンらのこの手口でどれだけ多くのノンクリスチャンが傷つき、イエスキリストを嫌いになってしまったか。「万事を益」としてくださる「神のご計画」を単なる我田引水にしてしまうのは、いい加減やめたほうがいい。主なる神の義はただ愛によって示されるもの。多くの人々の傷をいやすことがまず先決なのだ、とクルミさんは思う。
本日も読者の皆様によって、穏やかな一日でありますように。
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小説「わたまわ」を書いています。
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