不思議なんです。どんな形でどんな言葉でも`先生´とのこと少し話すと距離が広がっていくような、もう会えないような、想い出に変わってしまうような気持ちになります。
文字では平気なのに、言葉で発すると消えていく感じがします。
だからもう口にはしません。
大事だから心の中に。



クリスマスはただただ嬉しかった。貰ってもらえた事だけに。「有難う」なんて私には幸せ過ぎて勿体無くて。望みすぎな気がして。


年が明けてからも沢山話したと思う。本当に吃驚したんです。診察室に入ったら`先生´は少し息を吸って
「今日は天気がいいね」
って言った言葉。まだ憶えてる間合い。私は「はい」って言ってそれで空を見上げて笑って、それでもう一回目を背けて笑ったんだ。
その小さな一言はとても大きな意味を持っていたから。だって診察には関係ないでしょう?あの時も胸いっぱい幸せで帰りのバスでもずっとニコニコしてたんだ。

あと、仕事3ヶ月続いたら「頑張ってるじゃん」って、半年続いたら「だいぶ変わったね」って笑って言ってくれた。『死にたい』と思った頃、その後の私の状態から考えると、本当に変わったよって。
私より`先生´が喜んでくれました。それで私は実感は無かったけど、もっともっと嬉しかったんです。


仕事は順調なようで、実はそうではなくて。ロッカーが荒らされたり、帰りに付きまとってくる人居たり、疲れる方が多かった。


「仕事どう?」って聞かれると浮かない顔になることもあった。
そうすると`先生´は「どうしたの?」って聞く。私は決まって「話したくない」って言った。
悔しくって話したくなかった。弱音吐いたら自分に負けてる気がして。
でも`先生´は優しい声でもう一回聞いた。
「仕事で何かあった?」って。諭すような、そんな口調だった。
優しくって暖かくって溜まっていた不安が一気に涙に変わって、泣いちゃったんだ。
堪えてもポタポタ流れてた。

全部話したら`先生´は凄く怒って、「そんな会社辞めちゃえば?」って言った。
私はその言葉に吃驚して泣き止んだ。色々あっても辞めたくはなかったから。

感情出すの下手なんだ。だから表情で読み取る`先生´は凄い。いつも上手に引き出してくれて、私より喜んで、私より怒ってくれた。それが嬉しかった。言葉にしなくても伝わったことが、とても。






休職して復帰した時はね、もっと嫌なことあったんだ。でもね、あの時は言わなかったんだ。
『強くなりたくて』
今は可笑しいね。泣くどころか気が強くなっちゃった。ちょっと言い過ぎかな?って思う位、モノ申せます。
物理的にやられたらやり返すの嫌いだし、相手と同じステージに上がるのは嫌だから…無かったことにして、仕事で嫌がらせされたら、正攻法で仕事で返しています。本当にそこは成長したと思います。
ねえ先生?そういうことお話したかったな。でも、『診察』には必要ないんだよね。
でも去年の`先生´の気持ちがあるから、十分なのかも。

寝る前布団に入ると、診察最後の日に読み取れなかった`先生´の表情の意味、あの日からずっと考えてるんだ。起きても不思議と『どんな気持ちだったかな?』って、私が考えても解けない問題を朝一で考え出すんだ。
少し経って仕事のスイッチが入るまで。仕事前タバコの灰が気がつけば膝の上に落ちてたこと何度かあって、まだ日が浅いのに考えて考え抜こうとするんだ。
でもそれは日が浅いから考えようとしているのかな?もうぼやけてしまってる笑顔は…いつまで思い出せるかな?
忘れたくないよ。
消えないで心から。



退院してから、先生は驚くほどおしゃべりになってた。診察行くと「○○はどう?」と前より突っ込んで話すように。私は答えて笑うこと多くなった。あの頃飾らず目の前で笑えた人は`先生´だけだった。

退院後、仕事が出来なかったから、家で家事をしていた。そんな漠然と過ごす日々の中で『痩せたい』って思うようになった。体重は今より20キロ多かった。今は痩せすぎでちょーっとマズいけれど。
ぽっちゃりしてることに特に負い目とかもなく、ただ自分で決めた『目標』を自分一人の力で達成出来たら、何か変わる気がした。ただそれだけで、はじめてみたダイエット。

ウォーキング/半身浴/良く噛んで食べて我慢はしない食事/ストレッチ等3ヶ月続けたら、あっという間に9キロ落ちた。
普段運動しなかったことが実感出来たのと、今でも歩くのがサラリーマンより早いのがちょっと嬉しい。痩せたことはもっと嬉しい。


`先生´に言わなかったダイエット。日に日に落ちて診察が週に3回だったことで、ある日`先生´が吃驚した顔で「痩せたよねえ?」って言った。私は「はい」と笑顔で答えてダイエットのこと話した。付け加えて「まだ続行中」とか言ったかもしれない。それに対して`先生´は「僕も痩せなきゃ」って言ったんだ。でも普通体系だから必要ないのにと思って首をかしげた。それ以上の会話はありませんでした。

本当は`先生´のそんな一言に驚いて何も言えなかったんだ。

退院して3ヶ月後、仕事をしたくて相談をした。
たぶんその時期かな?私はカウンセリングだけ行っている所でカウンセリング受けていて、そこのカウンセラーが「発見しにくいうつ病かも知れないから先生に聞いておいて」って言われた。それを`先生´に言ったら凄く怒ったのまだ憶えてる。
「君の主治医は僕だからね?もうカウンセリング行く必要ないんじゃない?」と言われ、はじめて見た『先生だけど素の部分』に圧倒されたんだ。その勢いでカウンセリングはやめた。
`先生´はまだ仕事は早いと言ったけれど、私は大丈夫な気がして面接とテスト受けて無事働くことが出来た。
週3回。前は接客ですぐ辞めることが多かった。それで、以前から友達に絶対に合うと言われた事務系で働き始めて、気づけば一年以上。今は週4で働ける。まだまだ辞める気はしません。


働きはじめた年のクリスマス、はじめて`先生´にプレゼントを渡した。『好き』も強い反面、『ありがとう』も込めて…。

「もらっちゃダメですか?」って聞いたら、「小さなものならいいんじゃない?」って言って受け取ってもらえた。

嬉しくって嬉しくって泣きそうだった。一緒に入れたクリスマスカード、読んでくれたかな?

ちょっとツイテナイみたいで、元旦からインフルエンザにかかってしまった。
`先生´のいる病院に行く理由はそういえばこういう突発的な事でしかないのも解って、高熱と横になっても痛くて寝れない関節痛の中でもボーッとそんな事考え、お正月で居るはずもないけれど見渡す院内。
きっとそれは具合が悪いからで、でも私の支えだったからしょうがないのかも知れない。


`先生´が主治医になってから半年はまともに話出来なかった。私は紙に症状書いて渡していた。それを受け取ってカルテに貼り付けて、『今回も変わらず同じ処方で』って言って終わるのが当たり前だった。会話はゼロに等しい。本来そういうスタンスの先生なのかな?って思い始めた頃、急に、本当に急に景色が変わった。

その時何があったかは憶えていない。けれど、`先生´が話して私が笑ったら`先生´が笑い返して、はじめて面と向かって見た笑顔がとてもとても綺麗で、3月の青空と溶けて一瞬で『好きだな』と感じた。

正直その気持ちは一過性のものだって思ってた。大学で専攻ではなく保育士の資格を取りたくて、心理学を少しだけ勉強していた。その時、カウンセラーに好意を寄せてしまう患者っていう話を聞いた憶えがあって、私もそれに近い感情なのだと思ってた。
だから好きだと感じても『違う』と『一時的なもの』だと言い聞かせていた。そのうち移り気な性格だから忘れるだろうって。

『好き』と自覚しながらその気持ち打ち消しながらも、それから症状を紙に書いて渡すということを徐々に減らしていった。余程具合が悪くなければ自分の言葉で伝えるようにした。
けれどその年の夏、リストカットが止まらなくなった。常にカッターを持っていないと落ち着けない日が続き、再び死にたいと思うようになった。その状態を見て入院することになった。
入院中はひたすらボーッとしてて、病室から出るのはシャワーとトイレ位で2週間くらい病室にこもっていた。3週間経ったある日、病室をちらちら覗く男の子が居た。
誰とも話したくなかったけれど、不思議とその男の子とは『話してみたい』と思えた。
個室のドア空けて「お話する?」って聞いたら「勝手に入っちゃだめなんだよ」と彼は言った。
そして、互いの部屋に入るのは禁止されているから、病棟のベンチに座って話をした。
話してすぐ解ったのは凄く純粋で優しい子だということ。
他愛ない話をしていたけど、彼の病状は見ていて悲しかった。でも、まだ若い彼が頑張ってるのを『可哀想』って思っちゃ駄目だと思った。自分が苦しいのに私のリストカットした腕を握って「もう切っちゃ駄目だからね?家族も心配するでしょう?約束だからね」って指切りしたの憶えてる。
とても強い子だとも思った。そして自分がどれだけ弱いかも解った。
あの指切りからもうリストカットする事は無くなった。したくても我慢すること知った。

不思議なことに『精神科』と言うけれど、聞こえは良くないけれど、私は入院中『天使』に出逢ったと思った。今の私があるのも天使のような少年のおかげだと。


そして沢山`先生´と話した。忙しいのに泣き止むまで、話終わるまでずっと聞いていてくれた。「うん」と相づちをうちながら、ひたすら聞いてくれた。

多分入院したことで話す機会も増え、私は`先生´の事も少しだけ解った。少し不器用で、凄く恥ずかしがりで真面目過ぎる位大真面目で厳しいぶん、倍に優しいとこ。

私の疑問に沢山考えて出た答えは「焦らなくていい」だった。年齢が年齢だから、将来に焦りと不安があった。でもその一言で全部吹き飛んだような、そんな言い回しだった。

これからもずっと宝物の言葉ひとつ。『焦らなくていい』

今、たまに仕事で参っちゃう時、『焦らなくていい』って言い聞かせてる。そうすると不思議と『大丈夫』になる。


ねえ先生?本当に不思議なんだよ?
今は仕事が楽しくて仕方ない。誰かと関わり合うことも。
`先生´が主治医になった2年半前よりだいぶ私変わったよ?


ねえ先生?今なら解ります。あの時の『好き』は本物で一目惚れだったんです。
だってそれはお医者さんじゃなくて人としてだから。
`先生´が笑えば私も笑うっていうとても簡単なことだもの。
はじめて笑った時のこと、二年くらい前なのに未だ鮮明です。
はじめて`先生´に会ったのは、私が自殺未遂したあと。
特に感情なく、ただ「もういい」と三階の部屋から飛び降りた。

友達も家族も将来も、全部全部要らなかった気がする。何もかもどうでも良かったんだと思う。


なのに私は生きてた。


骨折だけで済んじゃった。
唯一望んだのは死ぬことだけだったのに。


今考えると、どうしてあのとき飛び降りたのかよく覚えてない。ひとつだけ理由つけるなら『寂しかった』って事だけ。


以前から気持ちが不安定で心療内科に通ってた。自殺未遂少し前、近くの精神科に転院した。その時の主治医はとても有名な先生だった。

何度か診察を重ねて
「あなたは頭が凄くいい。もしカウンセリングを受けてもあなたに敵うカウンセラーはなかなかいない。あと、甘えん坊だね」
って言われた。


それから病院に通い続けても良くならない日々と、漠然と襲う『寂しい』に勝てなくて『生きてる感覚』が欲しくて、ずっとやめてたリストカットをしだした。
血が出るとどこかほっとして、満足感があってやめられなかった。

たぶんそれでも足りなくて私は飛び降りた。
自分を傷つけないと自分で居られなかったのかな。

そして車椅子で親に押され病院へ行ったら、その時の主治医に怒鳴られた。私は怯えきってた。頭が物事考えるのを拒否してる。ごちゃごちゃと、ぐるぐると…恐怖しか感じられなかった。


怒られて当たり前の事と今なら思えるのに。周りをどれだけ心配させたか、悲しませたか、自分をどれだけ大事にしなかったか…そのときはまだ解らなかった。


もう病院にも行きたくなくなって、主治医にも会いたくなくて、そして主治医が代わり`先生´になりました。

はじめて話したのは電話口だった。
病院を拒否していた所、先生本人から電話がかかってきて、それに応じたのがはじめて交わした言葉だった。
翌週あたり診察に行って新しい`先生´と話した。そして診察室での第一声に驚いた。「部長から頼まれたのであなたを診ます。」そう言ったのをまだ覚えている。『頼まれたから仕方なく引き受けた』のだと。


話さなくていい
聞かれた事に答えればいい
アテにしなくていい
ただ眠れるお薬さえくれれば


それだけが病院へ通う意味で、それ以上なんて望んでも何も無かった。


それが一瞬で変わるなんて、
生きる意味を見つけただなんて、
頑張ろうと思えただなんて、
`先生´を好きになるだなんて
はじめは考えもつかなかった。むしろ嫌いだったのに。本当に一瞬で心囚われた。
想いひとつひとつ思いだそう

整理つくまで書き続けよう

詩でも何でもなく

「先生」と「私」のお話

私が書いて誰かが読んでくれたら最高じゃない?

だって私一人の気持ちであるけど、そうでないから

ここからは詩ではなく本当のお話

私が「生きる」と決めた事も全部

そして

それから先の一人の私も