● “ 天平の疫病大流行 ” の様子が、
「 続日本紀 」 ( しょくにほんぎ ) に記録されているようですので、
図書館から借りてきて、確認しました。
● 「 続日本紀 」 は、「 日本書紀 」 に続く、
奈良時代の 基本史料で、漢文表記されています。
それを、感謝なことに、宇治谷孟 ( うじたに つとむ ) さんが、現代語訳してくださっています。
※ 「 続日本紀 」 巻第十二
天平7年正月より 天平9年12月まで 聖武天皇 ( 第45代 )
● 天平7年 ( 735年 )
この年、穀物の実りが非常に悪かった。
夏から冬にかけて、全国的に 豌豆瘡 ( 俗に 裳瘡 ・ もがき ) を
患って、若死にする者が多かった。
● 天平8年 ( 736年 )
去年の冬には、瘡のともなう疫病 ( 天然痘 ) が流行し、男女すべてが苦しんだ。
農作業も出来ぬことがあり、五穀の実りは豊かでない。
そこで、今年の田租を免除し、人民の命をつながせるように。
● 天平9年 ( 737年 )
・ 1/27 遣新羅使の大使の 阿倍継麻呂は、津島 ( 対馬 ) に停泊中
に卒 ( しゅっ ) し、
副使の大伴宿禰三中 ( すくね みなか ) は、病気に感染して、
入京 ( 平城京 ) することが出来なかった。
・ 4/19 大宰府管内の諸国では、瘡のできる疫病が よくはやって、
人民が多く死んだ。
貧しくて 疫病にかかっている人の家に、物を恵み与えると共に、
煎じ薬を支給して 治療させた。
・ 5/19 4月以来、疫病と旱魃が並び起こって、田の苗は枯れしぼ
んでしまった。
・ 6/1 朝廷での執務を取りやめた。
諸官司が疫病にかかっているからである。
6/10 大宅大国 ( おおくに ) が 卒 ( しゅっ ) した。
6/11 小野老 ( おゆ ) が 卒した。
6/18 長田王が 卒した。
6/23 多治比真人が 卒した。
7/5 大野王が 卒した。
7/13 参議 ・ 藤原麻呂が 卒した。
7/17 百済王郎虞 ( ろうぐ ) が 卒した。
7/25 右大臣 ・ 藤原武智麻呂 ( むちまろ ) が 卒した。
8/1 橘宿禰左為が 卒した。
8/5 参議 ・ 藤原宇合 ( うまかい ) が 卒した。
8/20 水主内親王 ( 皇女 ) が 卒した。
この春以来、災厄の気が しきりに発生し、
天下の人民で 死亡する者が 実に多く、
百官の人たちも、死亡で欠けてしまった者が 少なくない。
この年の春、瘡のある疫病が大流行し、
はじめ、筑紫から伝染してきて、夏を経て、秋にまで及び、
公卿以下、天下の人民の 相次いで死亡する者が、数えきれない
程であった。
このようなことは、近来このかた、いまだかってなかったことである。
( 原文 )
是年春、疫瘡大発。初自筑紫来、経夏渉秋。
公卿以下天下百姓、相継没死、不可勝計。
近代以来、未之有也。
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