【 続日本紀 ・ 天平のパンデミック 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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● “ 天平の疫病大流行 ” の様子が、

 「 続日本紀 」 ( しょくにほんぎ ) に記録されているようですので、

 図書館から借りてきて、確認しました。

 

 

天平の疫病大流行 - Wikipedia

 

続日本紀 - Wikipedia

 

 

● 「 続日本紀 」 は、「 日本書紀 」 に続く、

 奈良時代の 基本史料で、漢文表記されています。

 

 それを、感謝なことに、宇治谷孟 ( うじたに つとむ ) さんが、現代語訳してくださっています。

 

 

 「 続日本紀 」 巻第十二 

  天平7年正月より 天平9年12月まで  聖武天皇 ( 第45代 )

 

● 天平7年 ( 735年 )

 

 この年、穀物の実りが非常に悪かった。

 夏から冬にかけて、全国的に 豌豆瘡 ( 俗に 裳瘡 ・ もがき ) を

 患って、若死にする者が多かった。

 

● 天平8年 ( 736年 )

 

 去年の冬には、瘡のともなう疫病 ( 天然痘 ) が流行し、男女すべてが苦しんだ。

 農作業も出来ぬことがあり、五穀の実りは豊かでない。

 そこで、今年の田租を免除し、人民の命をつながせるように。

 

● 天平9年 ( 737年 )

 

・ 1/27 遣新羅使の大使の 阿倍継麻呂は、津島 ( 対馬 ) に停泊中

  に卒 ( しゅっ ) し、

  副使の大伴宿禰三中 ( すくね みなか ) は、病気に感染して、

  入京 ( 平城京 ) することが出来なかった。

 

・ 4/19 大宰府管内の諸国では、瘡のできる疫病が よくはやって、

  人民が多く死んだ。

  貧しくて 疫病にかかっている人の家に、物を恵み与えると共に、

  煎じ薬を支給して 治療させた。

 

・ 5/19 4月以来、疫病と旱魃が並び起こって、田の苗は枯れしぼ

  んでしまった。

 

・ 6/1 朝廷での執務を取りやめた。

     諸官司が疫病にかかっているからである。

 

  6/10 大宅大国 ( おおくに ) が 卒 ( しゅっ ) した。

  6/11 小野老 ( おゆ ) が 卒した。

  6/18 長田王が 卒した。

  6/23 多治比真人が 卒した。

  7/5   大野王が 卒した。

  7/13  参議 ・ 藤原麻呂が 卒した。

  7/17  百済王郎虞 ( ろうぐ ) が 卒した。

  7/25  右大臣 ・ 藤原武智麻呂 ( むちまろ ) が 卒した。

  8/1  橘宿禰左為が 卒した。

  8/5  参議 ・ 藤原宇合 ( うまかい ) が 卒した。

  8/20  水主内親王 ( 皇女 ) が 卒した。

 

 この春以来、災厄の気が しきりに発生し、

 天下の人民で 死亡する者が 実に多く、

 百官の人たちも、死亡で欠けてしまった者が 少なくない。

 

 

 この年の春、瘡のある疫病が大流行し、

 はじめ、筑紫から伝染してきて、夏を経て、秋にまで及び、

 公卿以下、天下の人民の 相次いで死亡する者が、数えきれない

 程であった。

 このようなことは、近来このかた、いまだかってなかったことである。

 

    ( 原文 )

    是年春、疫瘡大発。初自筑紫来、経夏渉秋。

    公卿以下天下百姓、相継没死、不可勝計。

    近代以来、未之有也。

 

 

 

 

 

 

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 ( 1年前の今日、アップしたブログ )

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