【 “ 日本人奴隷 ” の 売買 】 | 高山右近研究室のブログ

高山右近研究室のブログ

・右近についての、Q&A 
・右近研究こぼれ話 など

監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/

 

 

Q. 海外に “ 日本人奴隷 ” が たくさんいたというのは、本当ですか。

 

A. 「 デ ・ サンデ 天正遣欧使節記 」 に、国外で、 “ 奴隷 ” として

扱われている 日本人のことについて、次のような 会話が記されて

います。

 

 千々石ミゲル 「 日本人には、欲心と 金銭の執着が はなはだしく、

  そのため、互いに身を売るようなことをして、日本の名に きわめて

  醜い 汚れをかぶせているのを、ポルトガル人や ヨーロッパ人は

  みな、不思議に思っているのである。

 

   そのうえ、われわれとしても、このたびの旅行の先々で、売られて

  奴隷の境涯に落ちた日本人を 間近に 見た時には、道義をいっさ

  い忘れて、血と 言語とを同じうする 同国人を、さながら、家畜か

  駄獣かのように、こんな安い値で手放す わが民族への義憤の 激

  しい怒りに、燃え立たざるを 得なかった。」

 

 原マルチノ 「 実際、わが民族中の、あれほど 多数の 男女やら

  童男 ・ 童女が、世界中の、あれほど さまざまな地域へ、あんな

  安い値で さらって行かれて、売りさばかれ、みじめな 賤役に 身を

  屈しているのを見て、憐憫の情を催さない者が あろうか。」

 

● “ 対話録 ” の形になっていますが、会話の言葉が 速記録され、

それを 文章として 掘り起こしたものではなく、

 巡察師 ヴァリニャーノ が、集められた 公私の記録をもとに、ゴアで、

スペイン語で 編述した原稿を、

 デ ・ サンデ師が、マカオで、ラテン語に翻訳し、刊行されたものです。

 

 日本のことしか知らない、千々石ミゲルの 2人の いとこが、

 帰国した 遣欧使節の 4人に、いろんな事情を質問して、

 それに 答える形になっていますが、

 

 場の設定 そのものが フィクションですし、答えているのは ほとんどが 千々石ミゲルで、語っている内容が かなり くわしいもので、

 “ ヴァリニャーノの執筆 ” と言ってもいいほどのものに なっていますので、そういう事情を踏まえた上で 読む必要が あるのですが ━━

 

● 日本国内においても、古代から、「 奴隷 」 的存在の人達がいましたし、特に、戦国時代には、「 奴隷 」 として売るために、敵地で

 「 乱取り 」 と呼ばれる 人狩り行為は、ほぼ 日常的に 行われていました。

 

 敗者である 戦争捕虜は、「 奴隷 」 でしたし、人が 商品として 売買

されるということは、日本に限らず、全世界的な現象で、

 そういうことが、日常的であったほどの、とんでもない時代でした。

 

● 大航海時代、ポルトガル人による 「 南蛮貿易 」 においても、

 南蛮からの、鉛などの 鉱物や 中国産の 硝石 などの 軍事に関する品物を得るために、

 日本人側は、銀山の銀や、「 奴隷 」 として 人間が商品として 支払われていきました。

 

 こうした ポルトガル商人による “ 奴隷貿易 ” について、

 1570年、“ 日本人の奴隷取引 ” を禁じた、ポルトガル国王 ドン ・

セバスチャン の勅令が 出されました。

 「 ポルトガル人が 日本で行う 奴隷取引が、キリスト教布教を妨げる 」

ことを 理由に、イエズス会の 働きかけによって 発令されたものでした。

 

 しかし、表向きには、何度も禁じられた 「 違法商売 」 でしたが、

 彼ら ・ 奴隷無くしては、維持していけない 社会構造になってもいましたので、

 「 人身売買 」 は、なかば おおっぴらで、日常的な姿になってしまって

いたようです。

 

● イエズス会の宣教師たちは、勿論、そのような行為は あっては

ならないことと思っていますし、

 “ キリスト教布教の拡大を妨げる ” こととして、禁止の勅令を要請

したほどですが、

 

 宣教師たちは、 “ 奴隷として売買される人々 ” の存在を知っていましたし、

 実は、その取引が 正当化されてしまう プロセスに 関与してしまって

いました。

 

 と 言いますのは、

 彼らが 取引される時、

 “ ポルトガル人の奴隷となる際に、洗礼を授けられる ” ━━ という

習慣があったのです。

 

 “ 奴隷たちに、洗礼を授ける ” という、奴隷売買の プロセスで、

 宣教師たちは、一機能を 担っていたのです。

 

 そのことに対して、

 豊臣秀吉は、「 伴天連追放令 」 の “ 覚 ” ( おぼえ ) において、

 

 「 一つ、大唐 南蛮 高麗へ、日本人を売り遣り候事、曲事 ( まちがっ

 たこと ) 為る可く ( きょくじたるべく )、

  付いては、日本においては、人之売買 停止の事。」

 

 ━━ 日本人の売買を禁じる条項を 加えています。

 

 

 

 

    近所の お宅の 「 もっこうばら ・ 木香薔薇 」 と 西国街道

 

 

 

 

 ※ [ Archives ] ( アーカイブ ・ 記録保管所 )

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12196580127.html?frm=theme

 

https://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12197549847.html?frm=theme

 

 

 

 ※ こちらも < おすすめ >  名曲は 名演奏で!

       モーツァルト 【 アイネ クライネ ナハトムジーク 】

 

https://www.youtube.com/watch?v=nPbxIT9W1AY

 

 

 

 ※ この人の こんな言葉 / 花鳥風月  【 どうだんつつじ 】 

 

http://ukon3.sblo.jp/article/81225136.html