【 紙芝居 「 髙山右近 」 】 (1) | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/


● 来年3月開催の 【 髙山右近フェスタ 】 の 【 髙山右近美術展 】 に、高槻 ・ 手作り絵本サークル “ いろえんぴつ ” の皆さんが協力いただけることを、感謝しています。

 メンバーの 岡本紘子 ・ 荘司和美 ・ 林 浩子 ・ 堤 九重 の皆さんが、18年前の 1998年に、絵物語と 紙芝居で 「 髙山右近 」 を作ってくださっています。


     

 皆さん、「髙山右近」 という人の名前をご存じでしょうか。
 右近は、今からざっと450年ぐらい前の、戦国時代に生まれ、後の世の人々から、「悲劇のキリシタン大名」と言われています。


     

 なぜ、「キリシタン大名」と言われるようになったのか。また、なぜ、「悲劇の」と、形容されるようになったのか。彼の一生をたどりながらご覧いただきましょう。


     

② 右近の誕生

 髙山右近は、幼名は「彦五郎」と言い、1552年、摂津の国高山、現在の大阪府豊能町で生まれました。父は、髙山飛騨守と言いました。
 その頃、日本は、国をまとめる力が弱くなり、各地の大名が、武力にものを言わせて、すきあらば、よその国を奪い取ろうと戦争をしかけている、「戦国時代」でした。


     

 そんな中で、尾張の一大名、織田信長が、次第に他国を従え、天下統一の野望をむき出しにしていました。
 こういう武士たちに支配されている民衆は 高い税金や、自分の食べる分もないほどの年貢米を取られ、戦いになれば、いつ家を焼かれるか分からないという不安の中で、おびえる生活をしていました。


     

③ ザビエル来る

 このような人々は、仏教に心のよりどころを求めました。けれども、その仏教も、「欲を持たず、死後の世界の幸せを祈れ」と教えるだけでした。そして、寺に寄付することが、あの世の幸せを約束することだと教えました。
 中には大名のように武器をたくわえ、大きな力を持つ寺さえ出てきました。  
 
 そんな時に、ポルトガルの宣教師、フランシスコ・ザビエルが日本にやってきて、
「万物の造物主・デウスの前では、どんな人間も平等である。」と熱心に説き、人々の悩みを聞いてくれました。


     

 日ごろ、武士や金持ち達に虫けらのように扱われていた人々は、驚き、喜び、信者は次第に増えていきました。  
 一方、信長は、宣教者たちに、割合 好意的でした。これは、キリスト教を理解したのではなく、西洋のいろいろな物が、信長の、珍しい物に対する好奇心を満足させ、鉄砲等の 新型武器を彼らが紹介したためでした。