【 紙芝居 「 髙山右近 」 】 (2) | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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④ ロレンソの説教

 キリスト教の宣教師たちが、仏教の腐敗を激しく非難したため、方々で、「仏教とキリ スト教と、どちらがよいか」という宗教論争が行われました。

 右近の父 ・ 髙山飛騨守は、熱心な仏教信者で、「キリスト教は、間違った宗教だ。言い負かしてみせましょう。」と 、宗教論争の場に出ました。外国人の宣教師たちは、日本語が十分にはわからず、論争には不利でした。


     

 しかし、飛騨守の相手は、「ロレンソ」という洗礼名のついた日本人で、片目は見えず 、もう一方の目の視力もほとんど無く、みにくい顔かたちをしていました。

 しかし、いったん論争に入るや、ぐんぐんひき付け、ぜったいに負けませんでした。彼らは、三日間論争し、ついに ロレンソの言葉に皆屈服しました。 この時から、髙山飛騨守も熱心なキリスト教信者となり、飛騨守の長男 ・ 右近の一生を決めることにもなったのです。


     

⑤ 沢城の礼拝堂

 右近の父 ・ 飛騨守は、周りの人々にも熱心にキリストの教えを説き、自分の領地の沢城(現在の奈良県宇陀市)を理想の地にしようと、息子と語りあいました。

 右近は、アルファベットやポルトガル語も勉強し、ジュスト( 義人 )と言う洗礼名をもらいました。


     

 飛騨守は、ロレンソに設計をたのみ、沢城に小さな礼拝堂を建てました。
 山の上の眺めのよい所にあり、花を植え、庭を美しく整えました。

 そこには、ジュストの若々しい声が 響き渡りました。  
「七つの悪に向かう七つの善は、 一つ、驕慢を無くし謙遜の心で  
二つ、貪欲を無くし寛容の心で ....」  
 人々は、うっとりと少年 ・ 彦五郎の声を聞きました。

 しかし、武士社会の争いのため、親子の夢はあっけなく崩れ去り、沢城を追われることになりました。


     

⑥ 右近 高槻城主となる

 髙山親子は、この後、高槻城主 ・ 和田惟政 (これまさ)を頼り、高槻に移りました。
 惟政は、キリシタンの理解者でもあったのですが、近隣の大名との争いで命を落としてしまいます。

 この時、城を必死に守ったのは髙山親子でした。領民は、彼らを慕いました。 これをねたんだのは、和田惟政の息子で、新しく高槻城主となった惟長でした。


     


 惟長は、父親ほどの人物でなく、領民の信頼も無かったのです。
 彼が髙山親子を暗殺しようとしているという情報が入り、ついに親子は惟長と戦う羽目になりました。

 重傷を負いながらも右近が勝ち、周りの大名にも認められて、高槻城主となりました。右近が21歳の時でした。
 この時から、彼は髙山右近友祥(ともなが )と名のるようになりました。