本山寺境内剪
採竹木事如先々
堅令停止訖若於
違犯之族者速可
處厳科者也仍状如
件
本山寺境内剪採竹木事
如先々堅令停止訖
若於違犯之族者
速可處厳科者也
仍状如件
髙山右近允
天正弐年三月十三日 重出 ( 花押 )
● これは、髙山右近が 高槻城主となった翌年の 天正2年
( 1574年 ) に、高槻 ・ 本山寺宛に出した “ 禁制 ” ですが、
全文、漢字で記されています。
ということは、純漢文 なのかと言いますと、
そのまま 中国の人たちには伝わっていかない、日本製の漢文です。
「 変体漢文 」 と呼ばれ、当時の古文書の ほとんどは、
この 変体漢文 ・ あるいは 変体漢文に 仮名を 添えるように少し交 ( ま ) じえた 「 漢字仮名 交り文 」 になっています。
● 本来、中国大陸から伝来した 漢字 ・ 漢文でしたが、これらを習得したあと、これを日本語の文章表記に利用しようとしたのが、
万葉仮名文 ( 真仮名文 ) ➡ 変体漢文 ➡ 漢字仮名交り文
・・・・・ と なっていったのでした。
ということは、「 変体漢文 」 は、漢文 とは言っていますが、
日本語を 漢文の形で表現していった ・ 日本式に読まれていった
日本語文 ・ 和文 だった、ということになります。
ですから、古文書を 読み下していく時の ヒントは、基本的に、
和語として 訓読みしていくことになります。
● 最初の、 「 髙山右近 禁制 」 を読んでみますと、
本山寺境内 ( けいだい ) の竹木を 剪 ( き ) り採る事、
先々の如く、堅く 停止 ( ちょうじ ) 令 ( せし ) め 訖 ( おわ ) んぬ。
若 ( も ) し、違犯の族 ( やから ) に於いて者 ( は )、速 ( すみ )
やかに 厳科に處す可 ( べ ) きもの也。
仍 ( よ ) って、 状、件 ( くだん ) の如し。
━━ と なります。
● < 人名 > の読みについて言いますと、
姓 ・ 名字 ・ 実名 などは、和語で 命名されていますので、
訓読みしていくことになります。
“ 姓 ” は、源 ・ 平 ・ 藤原 ・ 橘 ・ 豊臣 の 5つのみ。
“ 名字 ” は、地名からとられることが普通ですので、和語になります。
“ 実名 ” は、和語で命名されていきます。
仏教の法名や 官職名 などは、本来、大陸から入ってきたものですので、音読されていきます。
大友 ( 名字 ) 宗麟 ( そうりん ・ 法名 ) 義鎮 ( よししげ ・ 実名 )
髙山 ( 名字 ) 右近允 ( うこんじょう ・ 官職名 )
友祥 ( ともなが ・ 実名 ) 重出 ( ジュスト ・ 霊名 )
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