Q. 「 天正遣欧使節 」 の 4人の内、中浦ジュリアンは、病気のため、法王との謁見は 3人とは別に持たれたようですが、それは、3人より前ですか、後ですか?
A. 1585年 3月23日 (土) に、「 天正遣欧使節 」 の少年たちは 晴れて、教皇 グレゴリオ13世に 公式謁見することが出来ましたが、
伊東マンショ ・ 千々石ミゲル ・ 原マルチノ の3人でした。
中浦ジュリアンは、病状が悪化していて、医師から、
“ 絶対に 外出してはならない ” と命じられていたほどでした。
ジュリアンは、「 至聖なるパッパ様にまみえることが出来れば、
いっさいの病は癒える。
パッパ様に お目通りが叶えられたならば、死んでも本望だ。」
と語っていましたが、
高熱のため、とても 迎えの馬に乗ることが出来る状態ではありませんでした。
見るに見かねた アントニオ ・ ピンチ司教が、ジュリアンを 馬車に
運び込んで、ヴァチカン宮殿に連れて行き、
謁見式前の 教皇グレゴリオ13世に、いわば私的に、会う機会を作ってくれました。
教皇は、ジュリアンを抱擁し、
“ 公式謁見式に 臨席したい ” と 懇願する ジュリアンに対して、
「 今はただ、健康のことだけを考えるがよい。汝が全快することは、
予の慰めである。
公式謁見は、特に、汝一人のみに 行なってもよろしい。」
ところで、この “ 汝一人のみ ” の 公式謁見は、実現したのでしょうか?
教皇グレゴリオ13世は、84歳の高齢で 弱ってきておられました。
中浦ジュリアンが、宿舎にしていた イエズス会の修道院で、独り寂しく病臥し 静養していた折に、19日後の 4月10日に、天に召されていかれましたので、
中浦ジュリアンとの謁見は、3月23日の 私的な謁見が、唯一 ・ 最後のものとなりました。
病める 中浦ジュリアンに対して、
教皇グレゴリオ13世は、ローマ最高の名医を 6名も招集して、治療に当たらせられました。
毎日、ヴァチカンから イエズス会の本部へ 使者を派遣して、
ジュリアンの病状を尋ねさせ、彼を 慰められました。
ジュリアンが、医師たちが勧める薬を 飲みたくないと言っていることを聞かれ、
「 予を喜ばせると思って、その薬を飲んでほしい。」
と、申し伝えられましたよ。
こうした 教皇の 愛の配慮と 名医たちの治療を受けて、
中浦ジュリアンの病状は回復し、
グレゴリオ13世の後、新教皇となられた シスト5世に、即位2日後の 4月26日に謁見。
5月1日の 新教皇の 戴冠式には、
中浦ジュリアンも、参列することが出来ましたよ!