【 「 聚楽第 」 での 豊臣秀吉 と 伊東マンショ の やりとり 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/

     

     ( ヴェネツィア滞在中に、 ドメニコ ・ ティントレット / 画 )

 

 

Q. 「 聚楽第 」 で 豊臣秀吉が、伊東マンショを スカウトしようとした

そうですが、どのような やりとりがあったのですか。

 

A. 聚楽第での、「 天正遣欧使節 」 の青年たちの様子については、

 

 ※ 右近研究こぼれ話  【 聚楽第での 西洋楽器演奏 】

 

 http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12135683847.html

 

で、くわしく 紹介していますが、繰り返しておきましょう。

 

● 宴会が終わり、食膳が取り下げられた後、関白秀吉は、普段着姿になって、近づいて来て、ジョアン・ロドゥリーゲスを通訳として、

伊東マンショ と話を交わします。

 「 もし、汝が 予に仕える気持ちがあるならば、多大の報酬をとらせ

よう。」

 

 マンショは、イエズス会に入会することを考えていましたので、

 「 巡察師は、常に、私ならびに同僚たちを 我が子のように育て参られました。それゆえ、私は少なからず、巡察師に恩義を蒙っており、たとえ多大の報酬を受けるためであっても、今、巡察師のもとを去っては、忘恩のそしりを免れ得ませぬ。」

 

 ━━ と、丁重に辞退しました。 関白秀吉は、ひとこと、

 「 なるほど。その通りだ。」

 

 食膳が取り下げられて広くなった座敷に、関白秀吉は、

4名の遣欧使節の青年たちに、

 「 音楽を奏でて、聞かせてもらいたいから、自分の前に出るように。」 と命じました。

 このために用意されていた楽器が、すぐに 届けられました。

 

 4人は、クラヴォ(チェンバロ) ・ アルパ(ハープ) ・

ラウデ(リュート) ・ ラヴェキーニャ(ヴァイオリン) の楽器を巧みに

演奏し、それに合わせて、歌も披露しました。

 4人は、イタリアや ポルトガルに滞在中に、演奏技術を 十分身に

つけていましたので、実に上品に ・ 軽やかに演奏しました。

 

 関白秀吉は、これらの音楽を 非常に注意深く ・ 珍しそうに聞き、

演奏が終わったら、リクエストして、もっと 歌を歌わせました。

 リクエストは、3度に及びました。

 

 その後、それらの楽器を 一つずつ手にとって、楽器について

いろいろと質問しました。

 更に、先の4つの楽器以外のものも 持って来ていましたので、

「 ヴィオラ ・ デ ・ アルコ 」  と  「 レアレージョ 」 ( 携帯風琴 ) の演奏をも希望し、このようにして、きわめて珍しそうに、西洋の音楽を聞き、4人といろいろ話をしながら、かなり長い時間を過ごしました。

 

 「 汝らが、日本人であることを 大変 うれしく思う。」

 

 関白・豊臣秀吉は、万事につけ、この日一日は、それ以上望めないほどの喜悦と満足を感じていたのでした。