【 ウィリアム ・ アダムス ( 三浦按針 ) 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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Q. 徳川家康が 重用した ウィリアム ・ アダムス ( 三浦按針 ) とは、

どのような人ですか。

 

A. 日本に来た 最初のイギリス人。( 1600年 ・ 慶長5年 )

 

 日本に帰化したわけではありませんが、

 異国人でありながら、日本の武士として、250石取りの旗本に取り立てられ、相模国 逸見に領地も与えられました。

 

 名字帯刀が許され、「 三浦按針 」 を名乗りました。

 “ 三浦 ” は 領地のあった 三浦半島から、

 “ 按針 ” は、彼の職業である “ 水先案内人 ” を意味しています。

 

 1564年 生まれ。

 船大工のもとで 年季奉公したことが、後日の 日本での造船に生かされました。

 

 1588年に海軍に入り、イスパニア無敵艦隊を打ち破った時の

 「 アルマダの海戦」 にも、貨物補給船の船長として参加しています。

 

 オランダの ロッテルダム から極東を目指す 5隻の船団のことを知り、航海士として 志願。

 

 

 

 

 厳しい航海で、何とか 1隻だけ 極東にたどり着いた 「 リーフデ号 」 も、 豊後 臼杵の黒島に漂着するというほどの、惨憺たる航海でした。

 

 イエズス会の宣教師たちは、

 ポルトガルや スペインを苦しめている オランダ人や イングランド人を “ 海賊船員なのだから、即刻 処刑するように ” と要求しますが、

 

 家康は、アダムス達を 大坂に送検させ、直接 幾度かにわたって

引見し、その後、釈放します。

 

 特別に、アダムスに対しては、

 米や 俸給を与えて 慰留し、外国使節との対面や 外交交渉に際して通訳を任せたり、助言を求めたりして、

 帰国を認めず、重用していきます。

 

 帰国を諦め、イギリスに 妻 メアリー ・ ハイン と 娘 ・ 息子 がいたのですが、家康の御用商人の娘 ・ お雪 ( マリア ) と結婚し、一男一女が与えられています。

 

● 船大工の経験を買われて、1604年、静岡県伊東市に 日本で初めての 造船ドック を設けて、80 t の西洋式帆船を建造。

 3年後 ( 1607年 ) には、120 t の船舶も 完成させました。

 

 1609年には、オランダとの通商 が成立

 1613年には、イギリスとの通商 が成立

 

 邸のあった 三浦郡 浦賀は、国際貿易港として賑わい、

 「 浦賀フランシスコ修道院 」 が建てられ、関東における キリスト教

伝播の起点となりました。

 

 1616年に 家康が死去し、

 つづいて、貿易を 平戸のみに制限して、鎖国体制が敷かれていきましたので、アダムスの役割も終わっていきました。

 

 1620年に、平戸で亡くなりました。 55歳の 数奇な生涯でした。

 

 

            ( 平戸市 崎方公園にあります。)

 

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%B9

 

 

      ※ 今日 ( 7/12 ) の、 今城塚の 【 姫じょおん 】

 

 
 
 
 
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