Q. 400年前、キリシタンの時代に、ヨーロッパから日本に来るには、どれ位の時間がかかったのですか。
A. 当時の、日本とヨーロッパの間を旅しようとすれば、帆船による アフリカ南端・喜望峰まわりの船旅になりますが、日本と リスボンやローマとの間はもとより、中継地となる インドのゴアとの間でさえ、かなりの距離になります。
しかも、距離だけの問題ではありません。
船の便 ・ 季節や天候なども不確実ですし、費用もかかり、病気や危険も伴います。生命を失うことになるかもしれません。
● 「天正遣欧少年使節」 の場合は、
1582年2月20日に 長崎を出港し、1585年3月23日に ローマで 教皇グレゴリオ13世に拝謁し、1590年7月21日に 長崎に帰港しました。長崎出港からローマまでが 3年1か月、長崎帰港まで、往復 8年5か月かかっています。
ただ、マカオまで帰ってきて、「伴天連追放令」 が出されていることを知り、マカオで 2年間、日本入国の機会を待っていましたから、差し引くと、実際は、往復 6年5か月 かかったことになります。
※ 往路の3年1か月の中には、マカオで9か月・コチンで6か月・ゴアで3か月、合計1年半分の 出帆待ちの時間がありましたので、差し引くと、往路は 1年6か月であるとも言えますヨ。
● 巡察師ヴァリニャーノ の場合をみてみますと、
1573.10.26 イタリア・ジェノヴァ 発
12.24 ポルトガル・リスボン 着 (2か月)
1574. 3.21 リスボン 発
9. 6 インド・ゴア 着 (5か月半)
1577. 9.20 ゴア 発
10.19 マレー半島・マラッカ 着 (1か月)
1578. 8 初め マラッカ 発
9. 6 マカオ 着 (1か月)
1579. 7. 7 マカオ 発
7.25 日本・口之津 着 (18日)
ジェノヴァ 出発から 日本到着までには、片道で 5年9か月 かかっていますが、実際の船旅等の時間の合計は、10か月 になります。