北海道 岩見沢市の ぶどう園
※ 貴重なコメントをいただきました。 感謝!
いろんな方々と一緒に 考えていけたら ・ 一緒に研究していけたら
・・・・・ と思っていますので、コメントを お寄せくださいネ。
特に、若い皆さんや 女性の皆さんの視点は 貴重ですので、
よろしくお願いします。
安土桃山時代の言葉遣い
右近どのとその同時代の人が使っていた言葉遣いについてですが、ご指摘どおり、時代劇で使われるような言葉遣いではありません。
時代劇で使われている言葉遣いは、登場人物の身分や職業などをわかりやすくするために明治になってから作られたものなのです。
また、『 平家物語 』 で使われているような言葉で右近どのが話していたわけでもありません。
また、『 平家物語 』 で使われているような言葉で右近どのが話していたわけでもありません。
平家物語で使われている言葉はだいたい鎌倉時代後期の頃のものと考えていいのですが、しかし、琵琶法師の語る独特な 「 語り物 」言葉でもあったのです。すなわち 「 和漢混淆文 」 というヤツです。
『 太平記 』 も然り。軍記物で和漢混淆文が使われるのは、語る時にメリハリがつくし、対句表現しやすいという利点があるからなのではないかと思われます。
右近どのの時代の言葉遣いや発音を知る上で参考になるのが、「 天草版 伊曽保物語 」 や 「 天草版 平家物語 」 です。これは外国からやってきた宣教師たちの日本語学習のために作られた教材で、元々はポルトガル語に準拠したローマ字表記です。
右近どのの時代の言葉遣いや発音を知る上で参考になるのが、「 天草版 伊曽保物語 」 や 「 天草版 平家物語 」 です。これは外国からやってきた宣教師たちの日本語学習のために作られた教材で、元々はポルトガル語に準拠したローマ字表記です。
岩波文庫でも 「 伊曽保物語 」 を読むことができます。岩波文庫はもちろんローマ字表記ではありませんが、「 天草版 伊曽保物語 」 と江戸時代になってアレンジを加えられた 「 (仮名草子版) 伊曽保物語 」 の両方が収録されています。
大学時代にローマ字版 「 伊曽保物語 」 を見ましたが、ポルトガル語風ローマ字表記のおかげで当時の発音までわかるのです。
「 ハヒフヘホ 」 は 「 ファ・フィ・フ・フェ・フォ 」 と、
「 ワヰウヱヲ 」 は 「 ワ・ウィ・ウ・ウェ・ウォ 」 と発音されていました。
私たちは 「 オ 」 と 「 ヲ 」 を同じように発音していますが、右近どのの時代はちゃんと区別していたのです。
「 天草版 平家物語 」 はすでに物語として成立していたものをローマ字に置き換えたのに対し、「 天草版 伊曽保物語 」 は宣教師が持って来たポルトガル語の本を、不干斎ハビアンが日本語訳したものです。平家物語のローマ字化よりも伊曽保物語の方が自由度が高かったとは思いますが、完全に口語化することはできません。
「 天草版 平家物語 」 はすでに物語として成立していたものをローマ字に置き換えたのに対し、「 天草版 伊曽保物語 」 は宣教師が持って来たポルトガル語の本を、不干斎ハビアンが日本語訳したものです。平家物語のローマ字化よりも伊曽保物語の方が自由度が高かったとは思いますが、完全に口語化することはできません。
現代語でも話し言葉と書き言葉は違います。その壁はいつの時代も乗り越えられないのです。
参考までに、「 天草版 伊曽保物語 」 の中から 『 イヌが 肉 ( にく ) をふくんだこと 』 の部分を例として挙げておきましょう。
「 あるイヌ 肉 ( ししむら ) をふくんで川を渡るに、その川の真中でふくんだ 肉 ( ししむら ) の影が水の底に映ったを見れば、おのれがふくんだよりも、一倍 大きなれば、影とは知らいで、ふくんだを 捨てて、水の底へ頭 ( かしら ) を入れてみれば、本体が無いによって、すなわち 消え失せてどちをも取り外 ( はづ ) いて失墜 ( しっつい ) をした。
下心。
貪欲 ( とんよく ) に 引かれ、不定なことに頼みを掛けて我が手に持った物を取り外すな ということぢゃ。」
こんな感じです。
ここまで書いたあと、ふと思い出した本があり、本棚を探してみました。あった! あった! コリャードの 『 懺悔録 』 ( 岩波文庫 )。
「 あるイヌ 肉 ( ししむら ) をふくんで川を渡るに、その川の真中でふくんだ 肉 ( ししむら ) の影が水の底に映ったを見れば、おのれがふくんだよりも、一倍 大きなれば、影とは知らいで、ふくんだを 捨てて、水の底へ頭 ( かしら ) を入れてみれば、本体が無いによって、すなわち 消え失せてどちをも取り外 ( はづ ) いて失墜 ( しっつい ) をした。
下心。
貪欲 ( とんよく ) に 引かれ、不定なことに頼みを掛けて我が手に持った物を取り外すな ということぢゃ。」
こんな感じです。
ここまで書いたあと、ふと思い出した本があり、本棚を探してみました。あった! あった! コリャードの 『 懺悔録 』 ( 岩波文庫 )。
1619年に来日したスペイン人宣教師コリャードが、日本人信徒の告解を記録したものです。
告解したことを司祭は絶対に口外してはいけないのに、何故そんな記録が残っているのかと思われるかもしれませんね。日本人信徒が告白した罪の内容に対して司祭は何と答えたらよいかを記した 「 宣教師のための告解対応マニュアル 」 本です。
十戒に従って章分けされており、3つめの掟までは知識人男性風の言葉遣いで、「 日常生活の中ではこんなにオカタイ言葉遣いはしなかっただろうな 」 と思わせる言い回しが多いです。
でも、4つめの掟以降は当時のキリシタンたちが使っていた日常の言葉遣いのほか、生活までも垣間見ることができるように思います。
右近どのの時代の政治の中心が京都 ・ 大阪であったことを考えると、右近どのが日常的に使っていた言葉は、琵琶法師が語る平家物語から漢語を抜いたような柔らかい言葉だったのではないかと想像しています。
でも、キリシタンの教えについて語る時は、『 懺悔録 』 の知識人男性風の言葉遣いだったのかも?
右近どのの時代の政治の中心が京都 ・ 大阪であったことを考えると、右近どのが日常的に使っていた言葉は、琵琶法師が語る平家物語から漢語を抜いたような柔らかい言葉だったのではないかと想像しています。
でも、キリシタンの教えについて語る時は、『 懺悔録 』 の知識人男性風の言葉遣いだったのかも?
貴重なコメントを、ありがとうございます。
右近さん達の頃のことを記した史料は、結構あるのですが、普段ふつうに話していた言葉や日常生活していた様子など、史料には現れにくい事柄について、よりよく理解するために、関心があります。
右近さん達の頃のことを記した史料は、結構あるのですが、普段ふつうに話していた言葉や日常生活していた様子など、史料には現れにくい事柄について、よりよく理解するために、関心があります。
当時の空気を何とか ・ 少しでも感じることが出来るのは、文書類 ・ 右近さんも読んでおられた 「 太平記 」 などの文学作品 ・ 絵などの美術作品 ・ 能楽などの邦楽 ━ などでしょうか。
こういう言葉を使っていた。
こういう雰囲気の中で生活していた。
こんなものを食べていた ・ 着ていた ・ 使っていた ・・・
ライフワークの研究の種は尽きませんネ。
こういう雰囲気の中で生活していた。
こんなものを食べていた ・ 着ていた ・ 使っていた ・・・
ライフワークの研究の種は尽きませんネ。
※ 今日 ( 7/4 )、妻が get してきてくれた 【 赤紫蘇 】
※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )