平敦盛の 背につけた 「 母衣 」 ( ほろ ) を思わせる 【 敦盛草 】
● 髙山右近さん達は、ふだん、どのような言葉を使って、どのように
話されていたのでしょうか?
映画や テレビドラマなどの時代劇で 話されているのは、標準語に
近い 現代語ですから、あまり参考にはなりません。
昨日 ( 7/2 ) の 朝日新聞の [ 天声人語 ] で、
「 敦盛草 」 ( あつもりそう ) のことが記されていました。
源平合戦で、一の谷で 熊谷直実 ( くまがい なおざね ) に討たれた
平敦盛に由来していて、敦盛が背につけていた武具 ・ 母衣 ( ほろ ) を連想させてくれる花です。
● 髙山右近は、「 源氏物語 」 や 「 太平記 」 などを読んでいましたが、宣教師たちが 日本語を学ぶ テキストとして 「 平家物語 」 も、
キリシタン版として 出版されています。
髙山右近も、まちがいなく読んだ物語のはずです。
「 平家物語 」 巻九 の “ 敦盛最期 ” の場面から、
熊谷直実と 平敦盛 の会話の部分だけを 抜粋して、
当時の 会話の言葉を 再現してみることにしましょう。
髙山右近さん達も、このような言葉を使って、このように話されていたと思われます。
● 「 平家の君達 ( きんだち ) 助け舟に乗らんと、汀 ( みぎわ ) の
方 ( かた ) へぞ 落ち給ふらむ。あッぱれ、よかろう大将軍に組まばや。」
「 あはれ 大将軍とこそ 見参らせ候へ。まさなうも 敵 ( かたき ) に
うしろを 見せさせ給ふものかな。返させ給へ。」
「 抑 ( そもそも ) いかなる人にてましまし候ぞ。
名のらせ給へ。助け参らせん。」
『 汝 ( なんじ ) は 誰 ( た ) そ。』
「 物その者で 候はねども、武蔵国 住人、熊谷直実。」
『 さては、汝に会うては 名のるまじいぞ。汝がためには よい敵ぞ。
名のらずとも 頸 ( くび ) をとって 人に問へ。見知らうずるぞ。』
「 あッぱれ、大将軍や。此の人 一人 ( いちにん ) 討ち奉ッたりとも、
負くべき戦に 勝つべきやうもなし。
又 討ち奉らずとも、勝つべき戦に 負くる事も よもあらじ。
( 我が子 ) 小次郎が 薄手 負うたるをだに、( 父親として ) 直実は
心苦しうこそ思ふに、
此の殿の父、討たれぬと聞いて、いか計 ( ばかり ) か 嘆き給はん
ずらん。あはれ、助け奉らばや。」
「 助け参らせんとは 存じ候へども、御方 ( みかた ) の軍兵
雲霞 ( ぐんぴょう うんか ) のごとく候。よも 逃れさせ給はじ。
人手にかけ参らせんより、同じくは 直実が手にかけ参らせて、後の
御孝養をこそ 仕 ( つかまつ ) り候はめ。」
『 ただ とくとく 頸をとれ。』
「 あはれ、弓矢とる身ほど 口惜しかりけるものはなし。
武芸の家に生れずは、何とて かかる憂き目をばみるべき。
なさけなうも 討ち奉るものかな。」
「 あな いとほし、この暁、城 ( じょう ) の内にて管弦し給ひつるは、
此の人々にて おはしけり。
当時 みかたに 東国の勢 何万騎か あるらめども、戦の陣へ
笛もつ人は よもあらじ。上臈 ( じょうろう ) は、猶 ( なお ) も
やさしかりけり。」
熊谷直実の 背につけた 「 母衣 」 を思わせる 【 熊谷草 】
※ 今日 ( 7/3 ) の 一曲 バッハの 【 シャコンヌ 】
正式には、 無伴奏 ヴァイオリンのための パルティータ
第2番 第5曲 「 シャコンヌ 」
● 2017.7.2 ( 日 )
藤井聡太 四段 ( 14 ) vs. 佐々木勇気 五段 ( 22 ) の対局
結果は、佐々木五段の完勝で、藤井四段の 公式戦最多連勝記録は
29 でストップ。
この対局について、
“ ひふみん ” こと 加藤一二三 九段 の感想は、
━━ ひとことで言えば、 「 バッハの シャコンヌ 」
無伴奏の ヴァイオリン独奏曲で、
最高の技術が求められ、
荘厳にして 流麗、感動的
━━ そんな 見事な 佐々木五段の将棋でした。
お二人とも、感動を ありがとう !
「 シャコンヌ 」 の バッハの 自筆譜
https://www.youtube.com/watch?v=QqA3qQMKueA
※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )
http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12171608642.html
http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12171851847.html