【 世界で初めての 「 髙山右近 美術展 」 】  ( 4 ) | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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     「 髙山右近生誕の地 ・ 高山 」 戸高明義  ( 水彩 )

 

 高槻城主であった キリシタン大名 ・ 髙山右近は、没後400年を越えた。意思を貫いた 多才な戦国武将の生誕地を訪れる。

 標高600m級の山に囲まれた町役場から更に峠を越えると、民家と

田畑が寄り添いながら下る集落に出た。

 気温3度、寒風の中で スケッチ。 先人の苦労を思う。

 

 

          「 驟雨 ・ 高山 」 戸高明義  ( 水彩 )

 

 髙山右近。

 少年 ・ 彦五郎が生まれたのは、1552年、摂津の高山でした。

 お父さんの 飛騨守は、箕面の勝尾寺の荘園 ・ 高山荘の地頭をしていました。

 彦五郎は、今で言うと 幼稚園の頃まで、ここ 高山ですごしましたよ!

 髙山右近の生涯を象徴するような、穏やかな髙山と 驟雨の高山。

 

 

     「 妻ジュスタ 生誕の地 ・ 余野 」 戸高明義  ( 水彩 )

 

 髙山右近と結婚した ジュスタは、高山の隣にある 余野で生まれ

育ちました。右近とは、お母さんどうしが きょうだいで、親戚でした。

 高山も 余野も、静かな山里で、二人は そのような 自然豊かな中で

育っていきました。

 

 

        「 JUSTO 」 田ヶ原 弘  ( ステンドグラス )

 

 髙山右近 ・ 幼名 彦五郎は、12歳の時に、大和 ・ 沢城で、ロレンソ修道士の、神 ・ デウスに関する話を聞き、信仰を持って 洗礼を授けていただきました。

 キリシタン名は 「 Justo ・ ジュスト 」  “ 義人 ” という意味。

 その後の生き方を象徴するような名前を つけていただきました。

 

 

        「 マニラでの 髙山右近 」 中野勝二  ( 陶芸 )

 

 信仰ゆえに 祖国 ・ 日本を追われ、南海に趣き、異国の地 ・

フィリピンの マニラに着いた頃の 髙山右近。

 40日ほどして、重い熱病にかかり、召天していかれました。 63歳。

 洗礼を受けて 50年の生涯でした。

  “ 義人 ( ジュスト ) は、なつめやしの木のように栄える。”

                           ( 詩篇 92:12 )

 

 

       ( 来場くださった 野々上 愛 市会議員と一緒に )