【 「 マリア観音 」 考 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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   ~ 仙台領の キリシタン遺跡 ・ 殉教地を巡る ~

● 岩手県 ・ 東山町長坂にある、屹立した 石灰岩の岩壁にある
鍾乳洞窟に、“ 石造 子安観音像 ” が 安置されています。


     

 この地域には、かつて キリシタンが多くいたことから、キリシタン研究者や 教会関係者が、この像を一見して、

 “ 胸に抱かれたイエスが、口を開けて 聖母マリアから 乳をいただいている ”
「 マリア像 」 であると言い、「 マリア観音 」 として 言い伝えられてきています。


     


 そのことを承知で、伝え 守って来てくださっているのは、やはり
禅宗 ・ 曹洞宗の、「 安養寺 」 です。

 そういった言い伝えを 葬り去ることなく、そのことをさえ 案内板に記し、伝えてくださっていることは、感謝なことで、こうした 仏教 ( 特に
禅宗 ・ 曹洞宗 ) の皆さんの協力があって、史実が、今に伝えられて来ていることを思わされます。

● ところで、「 マリア観音 」 って、何なんでしょうネ?

 プロテスタントのクリスチャンである 私には、よくわからないことです。

 仏教徒である皆さんは、「 子安観音 」 として 拝み、礼拝しておられる。そのことは わかりますが、キリシタン ・ クリスチャン は、どうなのでしょうか?

 こうした像を 拝む ことは、「 十戒 」 の 第二戒 で、警告 ・ 禁じられています。
 “ 偶像礼拝 ” の罪を犯すことになってしまいますので、 “ 拝む ” ことは しなかったはずです。

 まして、「 マリア 」 は 神ではありません。
 子なる神 イエス ・ キリストの母ではありましたが、神ではありません。礼拝の対象ではありません。

 この像が 「 マリア観音 」 であったとしても、拝む対象ではありません。

 そのように、キリシタン達は、宣教師や 信徒リーダー達から 教えられていたはず ・・・・・ だと思うのですが ・・・・・
 さあ、どうなのでしょうか?

● 少し、気になることがあります。
 宣教師たちは、どのように、「 偶像礼拝 」 について、教えていたのでしょうか。

 [ 旧約聖書 ] の 「 出エジプト記 」の 第20章に、「 十戒 」 が記されているわけですが、

① あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

② あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
  上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の 水の中
  にあるものでも、
  どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それら
  に仕えてはならない。

━━ と、あるのですが、
 キリシタン達が、宣教師たちを通して教えられていた 「 十戒 」 は、
当時の キリシタン書 「 どちりな きりしたん 」 によりますと、

① 第一、御一体のデウスを うやまひ、たっとび奉るべし。

② 第二、デウスの たっとき御名にかけて、むなしき誓ひ
  すべからず。

 ・・・・・ となっていて、
 アレレ ??? [ 第二戒 ] の “ 偶像礼拝の禁止 ” は どうなっているの? ・・・・・ という感じです。

 ただ、[ 第一戒 ] の補足のようにして、

「 御作 ( ごさく ) のものを、デウスの如く、うやまわざるをもて、
  この まんだめんと ( 第一戒 ) を保つものなり。」

と あり、びるぜん さんたまりあ [ 処女 聖マリア ] を 拝むことについては、

「 デウスの如くには 拝し奉らず、
  ただ デウスの ガラサ ( 恵み ) をもて、現世にて
  善行 ( ぜんぎょう ) を つとめ給ひ、奇特なる御所作をなされたる
  御人 ( おんひと ) なれば、
  今 デウスの御内証に叶ひ給ふによって、
  我らが 御執り成し手 と用い、拝み 奉るべし。」

━━ と なっています。

 「 マリア 」 を、“ デウス ” の如くには拝まず、“ とりなし手 ” として拝む

━━ ということなのですが、なかなか 微妙です。
 隠れキリシタン達は、どのような思いや 心で 拝んでいたのでしょうか。

 東山町 ・ 安養寺の 「 マリア観音 」
 石巻市 ・ 永厳寺の 「 子どもを抱く地藏尊 」
 黒川郡 ・ 糟川寺の 「 マリア観音 」

 他にも、
 東山町 ・ 観林寺の 「 黒地藏尊 」 ( キリシタン仏 )
 東山町 ・ 曽我寺跡の 「 不動明王像 」 ( 剣十字を持っている )

  ・・・・・

などの 仏教仏を、隠れキリシタン達は、
 厳しく禁止されている 「 偶像礼拝 」 としてではなく、
一体 どのような形で、“ 拝んでいた ” のでしょうか。

● 今回、旧仙台領を巡り、
 多くの 「 マリア観音 」 や 「 キリシタン仏 」 として伝えられて来ている 仏像を見てきましたが、

 キリシタンと言えども、少し前まで、かつては 仏教徒などであったわけで、こうした 仏像 ・ 観音像 に手を合わせ、神仏として拝んできた人たちです。
 そして、キリシタンになった時に、そうした仏像類は、「 偶像 」 として、“ 拝んではならないもの ” として、告白し ・ 決別したはずです。

 いかに、キリシタン弾圧が厳しくなって来たからといって、仏像を、
「 キリシタン仏 」 あるいは 「 マリア像 」 に見立てて、しかも、「 拝む 」 ということは ・・・・・

━━ キリシタンとして、めったに 出来ることではありません。


● だとしたら、

 隠れキリシタン達は、厳しい キリシタン弾圧が、延々と 200年以上も 続いていく中で、
 信仰の拠り所を求めて、
 丁度、仏教徒が 仏像を拝むのと同じように、隠れキリシタン達も、
 “ 子安観音 ” などを、「 マリア観音 」 と見立てて、像そのものを
「 礼拝 」 していたのかも しれません。

 それは、本来の キリシタンの信仰の姿からは、はずれてしまっている行為だった、とも言えるものです。

 しかし、そのことは、
 200年以上に亘る、江戸幕府による 徹底的な キリシタン弾圧や、
 指導する 宣教師たちが いなかったことを考えると、
 隠れキリシタン達の、自分たちに出来る、命懸けの、精一杯の、
信仰告白だった

━━ と言えるのではないでしょうか!   ハレルヤ !!