![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160923/07/ukon-takayama/9d/26/j/t02200293_0480064013755264658.jpg?caw=800)
~ 仙台領の キリシタン遺跡 ・ 殉教地を巡る ~
● 岩手県 ・ 東山町長坂にある、屹立した 石灰岩の岩壁にある
鍾乳洞窟に、“ 石造 子安観音像 ” が 安置されています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160923/07/ukon-takayama/0e/39/j/t02200293_0480064013755264659.jpg?caw=800)
この地域には、かつて キリシタンが多くいたことから、キリシタン研究者や 教会関係者が、この像を一見して、
“ 胸に抱かれたイエスが、口を開けて 聖母マリアから 乳をいただいている ”
「 マリア像 」 であると言い、「 マリア観音 」 として 言い伝えられてきています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160923/07/ukon-takayama/85/6f/j/t02200293_0480064013755264657.jpg?caw=800)
そのことを承知で、伝え 守って来てくださっているのは、やはり
禅宗 ・ 曹洞宗の、「 安養寺 」 です。
そういった言い伝えを 葬り去ることなく、そのことをさえ 案内板に記し、伝えてくださっていることは、感謝なことで、こうした 仏教 ( 特に
禅宗 ・ 曹洞宗 ) の皆さんの協力があって、史実が、今に伝えられて来ていることを思わされます。
● ところで、「 マリア観音 」 って、何なんでしょうネ?
プロテスタントのクリスチャンである 私には、よくわからないことです。
仏教徒である皆さんは、「 子安観音 」 として 拝み、礼拝しておられる。そのことは わかりますが、キリシタン ・ クリスチャン は、どうなのでしょうか?
こうした像を 拝む ことは、「 十戒 」 の 第二戒 で、警告 ・ 禁じられています。
“ 偶像礼拝 ” の罪を犯すことになってしまいますので、 “ 拝む ” ことは しなかったはずです。
まして、「 マリア 」 は 神ではありません。
子なる神 イエス ・ キリストの母ではありましたが、神ではありません。礼拝の対象ではありません。
この像が 「 マリア観音 」 であったとしても、拝む対象ではありません。
そのように、キリシタン達は、宣教師や 信徒リーダー達から 教えられていたはず ・・・・・ だと思うのですが ・・・・・
さあ、どうなのでしょうか?
● 少し、気になることがあります。
宣教師たちは、どのように、「 偶像礼拝 」 について、教えていたのでしょうか。
[ 旧約聖書 ] の 「 出エジプト記 」の 第20章に、「 十戒 」 が記されているわけですが、
① あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
② あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の 水の中
にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それら
に仕えてはならない。
━━ と、あるのですが、
キリシタン達が、宣教師たちを通して教えられていた 「 十戒 」 は、
当時の キリシタン書 「 どちりな きりしたん 」 によりますと、
① 第一、御一体のデウスを うやまひ、たっとび奉るべし。
② 第二、デウスの たっとき御名にかけて、むなしき誓ひ
すべからず。
・・・・・ となっていて、
アレレ ??? [ 第二戒 ] の “ 偶像礼拝の禁止 ” は どうなっているの? ・・・・・ という感じです。
ただ、[ 第一戒 ] の補足のようにして、
「 御作 ( ごさく ) のものを、デウスの如く、うやまわざるをもて、
この まんだめんと ( 第一戒 ) を保つものなり。」
と あり、びるぜん さんたまりあ [ 処女 聖マリア ] を 拝むことについては、
「 デウスの如くには 拝し奉らず、
ただ デウスの ガラサ ( 恵み ) をもて、現世にて
善行 ( ぜんぎょう ) を つとめ給ひ、奇特なる御所作をなされたる
御人 ( おんひと ) なれば、
今 デウスの御内証に叶ひ給ふによって、
我らが 御執り成し手 と用い、拝み 奉るべし。」
━━ と なっています。
「 マリア 」 を、“ デウス ” の如くには拝まず、“ とりなし手 ” として拝む
━━ ということなのですが、なかなか 微妙です。
隠れキリシタン達は、どのような思いや 心で 拝んでいたのでしょうか。
東山町 ・ 安養寺の 「 マリア観音 」
石巻市 ・ 永厳寺の 「 子どもを抱く地藏尊 」
黒川郡 ・ 糟川寺の 「 マリア観音 」
他にも、
東山町 ・ 観林寺の 「 黒地藏尊 」 ( キリシタン仏 )
東山町 ・ 曽我寺跡の 「 不動明王像 」 ( 剣十字を持っている )
・・・・・
などの 仏教仏を、隠れキリシタン達は、
厳しく禁止されている 「 偶像礼拝 」 としてではなく、
一体 どのような形で、“ 拝んでいた ” のでしょうか。
● 今回、旧仙台領を巡り、
多くの 「 マリア観音 」 や 「 キリシタン仏 」 として伝えられて来ている 仏像を見てきましたが、
キリシタンと言えども、少し前まで、かつては 仏教徒などであったわけで、こうした 仏像 ・ 観音像 に手を合わせ、神仏として拝んできた人たちです。
そして、キリシタンになった時に、そうした仏像類は、「 偶像 」 として、“ 拝んではならないもの ” として、告白し ・ 決別したはずです。
いかに、キリシタン弾圧が厳しくなって来たからといって、仏像を、
「 キリシタン仏 」 あるいは 「 マリア像 」 に見立てて、しかも、「 拝む 」 ということは ・・・・・
━━ キリシタンとして、めったに 出来ることではありません。
● だとしたら、
隠れキリシタン達は、厳しい キリシタン弾圧が、延々と 200年以上も 続いていく中で、
信仰の拠り所を求めて、
丁度、仏教徒が 仏像を拝むのと同じように、隠れキリシタン達も、
“ 子安観音 ” などを、「 マリア観音 」 と見立てて、像そのものを
「 礼拝 」 していたのかも しれません。
それは、本来の キリシタンの信仰の姿からは、はずれてしまっている行為だった、とも言えるものです。
しかし、そのことは、
200年以上に亘る、江戸幕府による 徹底的な キリシタン弾圧や、
指導する 宣教師たちが いなかったことを考えると、
隠れキリシタン達の、自分たちに出来る、命懸けの、精一杯の、
信仰告白だった
━━ と言えるのではないでしょうか! ハレルヤ !!