![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160921/14/ukon-takayama/9f/ff/j/t02200293_0480064013753877770.jpg?caw=800)
( 「 支倉常長 メモリアルパーク 」 )
~ 仙台領の キリシタン遺跡 ・ 殉教地を巡る ~
● 「 支倉常長 」 は、「 慶長遣欧使節 」 として、はるばる スペイン や イタリアのローマにまで出かけ、スペイン国王 フェリペ3世 や ローマ教皇 パウロ5世 との謁見を果たしましたが、仙台藩主 ・ 伊達政宗から託されていた 交渉は成功せず、そればかりか、帰国後には、日本では、キリスト教に対する 「 大禁教令 」 が出されていました。
洗礼を受け、キリシタンとなっていた 支倉常長でしたが、
藩主 ・ 伊達政宗に報告し、持ち帰った 「 慶長遣欧使節 関連資料 」 ( 油絵肖像画 や 「 ローマ市公民権証書 」 など ) を手交した後は、
隠棲するようにして 世の中との接触を避け、伊達氏による “ キリスト教弾圧 ” が 厳しさを増していく中、人里離れた地で 余生を送り、
1621年、84歳の 波乱に満ちた生涯を閉じていきました。
● 「 支倉常長の墓 」 が、3個所にあります。
① 伊達政宗が 北山界隈に配した “ 北山五山 ” の一つで、
仙台市にある 「 光明寺 」
② 支倉氏の居城 「 上楯城 」のあった 城下にある、
柴田郡川崎町の 「 円福寺 」
そして、本命ではないかと思われるのが、
③ 今回、「 全国かくれキリシタン研究会 東北大会 」 の みんなで
訪れた 「 支倉常長 メモリアルパーク 」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160921/15/ukon-takayama/a8/de/j/t02200293_0480064013753912879.jpg?caw=800)
● 支倉常長が隠棲したと 言い伝えられていますのは、
黒川郡 大郷町 ( おおさとちょう )。
ここ 大郷町東成田地区西光寺には、常長や 家臣が住んでいたと
言い伝えられている 「 支倉屋敷跡 」 がありますし、
「 梅安清公禅定門 承応三年二月十七日 支倉氏 」
と刻まれた 古碑があって、地元では、古くから、
“ ここに隠棲した 「 支倉常長の墓 」 である ”
と 語り継がれてきました。
だれにも 常長の墓だとわからないように、「 支倉氏 」 とだけ刻み、
常長の義弟 ・ 新右衛門常次 の家中の人々によって、代々 守られてきましたが、
この支倉家に 跡継ぎがなくなって、
家来の 伊藤嘉兵衛 が、旧主家のために、五代にわたって 墓を守り続けて来たのでした。
今は、「 支倉常長 メモリアルパーク 」 として整備され、
公園の入口には、「 支倉常長 」 の銅像 ( 佐藤忠良 ・ 作 ) が 建てられています。