【 支倉常長 の 鼻紙 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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   ~ 仙台領の キリシタン遺跡 ・ 殉教地を巡る ~

Q. 石巻市にある 「 サン ・ ファン館 」 に行った時に、
“ 支倉常長の捨てた鼻紙 ” が 注目されたことが 紹介されていましたが、どういうことですか。

A. 支倉常長たち、「 慶長遣欧使節 」 の一行が、太平洋 ・ 大西洋を渡り、スペインの首都 マドリードでは、
 1615年1月30日には、スペイン国王 フェリペ3世に謁見。
 2月17日には、フェリペ3世 臨席のもと、支倉常長は、王立修道院の付属教会で 洗礼を受け、キリシタンとなりました。

 この後、マドリードを発って、バルセロナから船で、イタリアの ジェノバに直行する途中で嵐に会い、船は フランスの港町 サン ・ トロペ に 一時寄港しました。

 この サン ・ トロペ の町でのことですが、

“ 一行の 鼻をかんで捨てる、絹のような 和紙の鼻紙が、現地の人たちの注目の的になり、捨てられる鼻紙を、みんなが 先を争って拾った。”

━━ と 記録されているのです。


● [ サン ・ トロペ侯爵夫人の手記 ] によりますと、

 彼らは、手のひら大で、中国の絹の布のような薄さの紙で 鼻をかみ、鼻をかむ毎に、その紙を捨てて、決して 同じ紙を、二度と用いることは なかった。

 彼らは、懐中に、相当の量のものを 所持していた。

 サン ・ トロペ の人々は、日本人が外出するのを待ち受けていて、日本人の誰かが、紙の手巾 ( ハンカチ ) を使用して捨てると、駆け寄って行って、それを拾った。

 中でも、最も 貴重視されたのは、支倉 その人の手巾であった。


● こうした 鼻紙の実物は、
 ローマの 「 アンジェリカ博物館 」 と 「 人類学博物館 」 に 保管されていますよ!

 当時の西洋では、手鼻か 布のハンカチを使って 鼻をかみ、
“ 懐紙を用いて鼻をかむ ” という習慣がありませんでしたので、大変 珍しがられたようです。


“ 絹の布のような薄さの紙 ” については、
 仙台藩の 白石 ( しろいし ) で 盛んに作られた 「 白石和紙 」 であったと思われます。