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※ 日本の 神仏(かみほとけ) は、 “ 懲罰を与える存在 ” ということなのでしょうか?
● 肥前の国の領主であった 大村純忠が、キリシタンとなりました。
大村 バルトロメウ 純忠。 1562年。
日本で、キリシタンとなった最初の領主でした。
宣教師達にとっては、信じられないほどの、喜ばしい出来事でした。
しかし、戦国の世。反対勢力も強力で、純忠は、キリシタンになって 2か月を経ないで、無一物となり、領地から追放されてしまいます。
「仏僧や 異教徒等は、日本中に向かい、自分達の神仏と、司祭(バテレン)達が説く神は、それぞれ いかなるものであるかが判る。
なぜなら、大村殿は、キリストの信仰に入るや否や、神や仏の懲罰を蒙って、破滅し、キリスト教の神の援助を受けることは出来なかった、と叫んだ。」
● 有馬の国主 ・ 有馬義貞が、司祭達の 信じられないほどの歓喜のうちに改宗し、キリシタンとなりました。
有馬 アンデレ 義貞。 1576年。
「ある日、国主が 我らの修院に 食事のために来訪していたが、突如 背に 疼痛を感じ、癌腫瘍であることが解り、そのまま帰館したが、治療法もなく、幾日も経ないで 逝去した。
この為、仏僧や 仏教を信じる領主達はみな、
彼は、キリスト教の信仰に入った為 逝去したのであり、それは 神仏(かみほとけ) の懲罰である、と考えた。」
● 大友宗麟が、キリスト教徒となりました。
大友 フランシスコ 宗麟。 1578年。
「仏僧達は、国主フランシスコが その軍勢と共に滅亡し、豊後には、神や仏の懲罰が下るであろう と叫び、説教した。
大友の敵は、彼を攻撃して、その軍勢を混乱させ、2万以上の兵を殺すに至った。 (「耳川の戦い」)
仏僧達は、これは確かに、神仏の懲罰である、と考えた。」
※ 同じような状況では、キリスト教の神 ・ デウス は、
“ 懲罰をくだす ” ようなことは、されません。
愛の神 ・ “ ご大切 ” の神です。
最後の最後 ・ 「最後の審判」 の時には、すべての罪 ・ 悪に対して、容赦のない さばきをされますが、それまでは、愛し通してくださる 愛の神です。 「 神は愛なり 」
キリスト教と違った信仰を持ったからといって、懲罰を与え ・ 生命まで取られる などという、恐ろしい神 ではありません。
一方、日本の神仏は、
懲罰を与える神仏 ・ 天罰を与えることを願い、実行する
━━ そのような、恐ろしい存在なのでしょうか?
━━ ということであれば、
東日本大震災も、
熊本 ・ 大分などの大地震も、
I S による殺害も、
・・・・・ も、
・・・・・ も みな、
神仏の 懲罰で ・・・・・
━━ ということに なってしまいますよ!