【 戦国領主たちは 結構 貧しかった ! 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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       大友 フランシスコ 宗麟 ・ 130万石

※ 「 日本諸事要録 ・ スマリオ 」   第28章
      (巡察師 ヴァリニャーノ ・ 著)

● 戦国領主たちは、大領主といっても、一般には、常に困窮し、金銭に不足していました。

 ヨーロッパでは、王家や メヂチ家などといった貴族達は、一族として、広大な私有地を所有し、そこから上がる莫大な収益や、それを活用して 財産を更に拡大し、権力を手中にしていきましたが、

 日本では、平安 ~ 室町時代にかけては、貴族や寺社が 荘園を所有し、守護や地頭を配して、権益を保持してきましたが、武士が抬頭してくるにつれて、状況が変わってきました。

● たとえば、“ 50万石 ” といえば、すごい 大領主ということになりますが ( 髙山右近は、高槻では 4万石でしたよ)、50万石分の収益が わが手に入るわけではありません。

その理由は、これだけの量の米を算出する国は、1割ほど (5万石) を直轄領として わが物としますが、残りの 45万石の土地は、10名ほどの国衆に分配されます。(4.5万石/人)

 国衆は国衆で、同じようにして、10名以上の 小領主に分配していくことになるわけです。

 50万石の 大領主といえども、直轄領(5万石) からあがる税収入がすべてで、他の土地からの税収入や 権利は何もありません。

 但し、大領主 ➡ 国衆 ➡ 小領主 という関係は、堅い信頼関係の中で 築かれていきますので、平時の必要や いざ戦時という場合にも、それぞれが 自らの分を自己負担しながら、主君に奉仕していく形になります。

 ですが、いったん、信頼関係が崩れていきますと、実際の力を用いることが出来るのは 国衆や 小領主ということになりますから、謀叛 ・ 下剋上も起きやすい体制になっていることは 確かですよネ。

 このような 土地を恩賞として分与していくという 戦国時代の 主従関係でしたから、
 大領主 ・ 国衆 ・ 小領主 ・ 家臣たち ・・・・・ そして、納税していく庶民たち。

 すべての者の 収入は乏しく、金銭に不足していましたから、食べ物 ・ 着る物 一つとってみても、いかにも質素で 貧しい生活をしていた、というのが 実情でしたよ!