髙山右近の旧領、仏教墓と混在 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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2013.3.23(土)禁教後も残ったキリシタン墓・大阪府茨木市 / 千提寺西遺跡の現地説明会に行って来ました。
 現場は、新名神高速道路の建設予定地で、「上野マリヤ墓碑」や「佐保カララ墓碑」が発見されたクルス山とは、谷をへだてて隣接しています。(標高約250m)

「千提寺口」までの阪急バスは、1時間に1本しかありませんし、見学者が多くて乗れないことが考えられますので、夫婦で相談して、思い切って、わが家から自転車(変速機なし)で出かけていくことにしました。
 何しろ、標高250m。往きしは上り坂ですので、かなりの距離を自転車を押して歩いていくことになりましたが、それでも、1時間半ほどで到着しました。

 これまでも、何度か来た地域ですが、その時には、木々が生い茂っている山であったわけですが、新名神高速道路の建設が進んでおり、木々はすべて伐採されていて、別世界のようです。
 今回、「墓の丸」と呼ばれる、尾根上に埋葬された、中世を中心とする墓地の墓穴群の中に、長方形の墓坑で、伸展葬で埋葬された「キリシタン墓」と思われる、2基のお墓が見つかったのです。そばには、4基の子ども用の墓もありましたから、あるいは、キリシタン夫婦とその子ども達のお墓なのかもしれません。

 ただ、人骨の一部が出土しましたが、副葬品は見つかっていません。体は溶けて、土の一部になっていると考えられますが、辺りの土をふるいにかけて注意深く調べられましたが、それらしいものはなかったようです。
 
 中世末から近世にかけての一般的な墓は座棺で、方形または円形の土坑墓で、深く掘られているのが特徴です。そのような墓がほとんどである中に、長方形の伸展葬の墓坑があるわけで、副葬品は見つかってはいないのですが、周辺の墓と異なる特殊性や、この墓地遺跡のある山の持ち主が、キリシタン遺物が伝えられてきた中谷家であることなどから、「キリシタン墓」として確認されたのでした。

 現地の公開は今日一日だけで、あとは新名神高速道路の建設が進められていくことになりますから、残念ながら、写真や記録として残されるだけになるのですネ。
 帰りは下り坂ですので、往きの苦労がウソのようでしたが、「いい一日だったネ!」と言いながら、自転車を走らせていましたよ。

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