A. インド人ではありません。ポルトガル人です。
巡察バテレン・ヴァリニャーノが、インド副王の使節として、関白秀吉に接見したのは、1591年3月3日(天正19年閏正月8日)のことです。この時、届けられたインド副王からの親書は、「ポルトガル国インド副王信書」として、京都・妙法院に伝えられています。(国宝)
りっぱな羊皮紙にしたためられ、まわりの縁には、色あざやかにローマの七丘などが描かれ、横75cm・縦57cmの見事なものです。
併せて、親愛のしるしとして、長剣・甲冑・アラビア馬・拳銃・野戦用テントなども贈呈されています。
ところで、「インド副王」についてですが、この時の「インド副王」は、13代目ドゥアルテ・デ・メネゼスでした。[在位1584年~88年]
(その親書が手渡された時には、14代マティアス・デ・アルブケルケに代わっていますが)
実は、インドの地には、植民地として、「ポルトガル領インド」が存在していたのです。インド西岸の飛び地が中心で、ゴア・ダマン・ディーウ・ボンベイなどが含まれます。
そして、アジアにおけるポルトガルの領土を治める「ポルトガル副王」(または総督)が任命され、ゴアの地に駐留しておりました。ポルトガル本国の国王から、全権委任を受けた「副王」ということですから、副王に任命されたのは、勿論、ポルトガル人です。
この、ポルトガル領インドは、現在は存在しませんが、つい最近まで続いていたのです。
1510年8月15日、ポルトガル提督のアルブケルケが、インドのビジャプール藩国を打ち負かして、ゴアを植民地として手に入れたのをスタートに、1961年1月14日、独立国インドによる併合で消滅するまで、151年間続きました。
最初の副王は、フランシスコ・デ・アルメイダ。その後、副王の形では18代まで・総督の形では20代まで、副王または総督が任命され、在任していきました。
今回、話題となっているのが、13代目の副王ドゥアルテ・デ・メネゼスということになります。しかし、メネゼスの在任期間は1584年~1588年で、1588年~1591年までは、19代総督のカウチンホが引き継いでいきます。
関白秀吉に親書が届けられた時には、インド副王または総督は、メネゼスではなかったというわけです。
※ 京都・妙法院に伝えられている「ポルトガル国インド副王信書」 (国宝)
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