今は、「完訳フロイス日本史」を、毎週2章ずつ、読み進めてきたが、2013/05/02(木)の例会で、第6巻の最終章・第26章まで来た。全12巻の内の第6巻まで、即ち半分を読み進めて来たことになる。
ただ一人で読んでいても、又、短時間で読んでしまっては、見えなかったことが、いっぱいあった。来週から、第7巻「大友宗麟篇Ⅱ・宗麟の改宗と島津侵攻」に入っていくことになる。 又、どんな出会いがあり、深まっていくのか、楽しみである。
第6巻の最終章(26章)に、フランシスコ・ザビエルのよき協力者であり、働きを継承してくださったコスメ・デ・トルレス師が、1562年に大村領の横瀬浦に移られた時、「司祭はすでに、非常に高齢で弱っていたし・・・」と記されている。
「非常に高齢」って、何歳だったのだろうと調べてみましたら、トルレス師は1510年の生まれですから、1562年のこの時は、52歳なのです。
非常に高齢 = 52歳 !? 厳しい戦国の世で、しかも外国生活ですから、早死だったというのならまだしも、非常に高齢というのは、違和感があります。
でもでも考えてみましたら、髙山右近さんは63歳での召天(1615年・マニラ)で、当時からすれば、長生きだったと言えそうです。
私は今(2013年)、71歳ですが、クラシック音楽の作曲家でみてみますと、私以上に生きた人を数えるのは、むずかしいことなのです。
私の大好きなブルックナーが72歳。それ以上は、ハイドン・77歳、テレマン・86歳ぐらいなのです。
30代で亡くなった、シューベルト・31歳、モーツアルト・35歳、メンデルスゾーン・38歳、ショパン・39歳。ベートーヴェン・57歳、バッハ・65歳などなど。
みんなみんな私よりも、ずっとずっと早くして亡くなっていっておられます。
まさに、「非常に高齢・52歳」なのです。
ベートーヴェン より長く生き 石蕗(つわ)の花 (山中 宏)
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