2013.2.23(土) 大阪・玉造にあります「大阪クリスチャンセンター」(OCC)で、毎週土曜日午後2~4時まで持たれています「OCCカレッジ」で、話させていただきました。
※ 歴史神学・キリシタン史
【 髙山右近・細川ガラシャと大坂 】
● 大坂と大阪
・江戸時代までは、土偏の「大坂」
・「大阪」は、明治維新になって、「大阪府」が誕生してから。
・1868.1.12 大阪鎮台 → 1.27 大阪裁判所に改称 → 5.2 大阪府に
5.15 印章「大阪府之印」
(全国的な「廃藩置県」は、1871.7.14・明治4年、300余の県が誕生)
・「摂陽奇観」 大坂の坂の字を土偏にすれば、土に反(かえ)るとて、忌むべき事なるゆへ、こざと偏に書くなり
● 大坂城
・天正13年(1585)天守閣完成 → 築城30年目(慶長20・1615)「大坂夏の陣」で落城
・豊臣大坂城の上に、徳川大坂城。普請総奉行・藤堂(とうどう)高虎。1626年に完成 → 1665年 落雷によって、天守閣焼失
・昭和6年(1931)昭和大阪城完成。昭和天皇の即位を記念して。
それまで、266年間、天守閣のない城
・外観5層・地上7階・地下2階の天守閣。 「大坂冬の陣図屏風」「大坂夏の陣図屏風」
※ ルイス・フロイス「日本史」 (全12巻・中公文庫、完訳:川崎桃太・松田毅一)
※ 豊臣大坂城の城内を、特別に案内しましょう。
・1586.5.4 イエズス会 日本副管区長:ガスパル・コエリョ神父一行30名。
フロイス神父(通訳)、オルガンチーノ神父、修道士、同宿、セミナリオ(神学校)の生徒達
・城下にあった髙山右近屋敷 → 「表御殿」の御遠侍(おとおざむらい)・御対面所・御黒書院(おぐろしょいん) (髙山右近同席)
話題 ━ 大陸侵攻・「ナウ」と呼ばれる大型船の斡旋
・髙山右近が、各部屋や庭を案内 → 天守閣は、秀吉自ら案内
ヨーロッパ風の外套(カッパ)・組立式の寝台・黄金の茶室(解体されていた)
最上階の外廊 (下から見上げて、ビックリする工事中の人たち)
・2時間、関白秀吉の大歓待。コエリョ神父の、政治・軍事に関わる立ち入った発言を、そばで、はらはらしながら聞いていた髙山右近やオルガンチーノ神父たち
→ 1年2か月後「バテレン追放令」
※ 大坂城下・周辺のようす
・羽柴筑前守秀吉 → 天正13年(1585)7月、関白に。
本来、名門の藤原家(一条・二条・近衛・九条・鷹司の各家)が交代で。
・秀吉、近衛家の猶子(ゆうし)に。近衛秀吉として、関白誕生。
正室「ねね」 → 北政所
・2か月後の9月、太政大臣に。「豊臣」姓下賜。
「姓名」は正式には、「源平藤橘」(げんぺいとうきつ)の4姓のみ。
(髙山・細川 ━ 名字)
5つ目の姓として、特別に「豊臣」姓。 関白太政大臣 豊臣秀吉
2か月後の11月 後陽成天皇の即位の礼(15歳)
・主君だった織田信長越えの、城造り・町造りが目標
・天正13年(1585)の本丸部分の完成 → 二の丸の築造工事 → 惣構の築造工事 → 三の丸の築造工事 ・・・・延々と続く工事
濠の工事だけでも、6万人動員。昼夜兼行の工事
・莫大な工事費用はすべて、割り当てられた武将の負担
・石垣石の調達
髙山右近が運んできた巨石が、町の話題に。一千人の人手。
高台にあった大坂教会から、淀川の船着場に入ってくる無数の、石材を満載した船。 一日、千隻以上。
・「日本史」に記されている、工事を請け負わされている武将や工事をする人たちの、悲惨な実情。自殺者多数。(こうした、背後にある実態を頭と心にしっかりと留めておきたい。)
・大坂の町は、南北一里半まで拡大。巨大建設プロジェクトが進む中で、大盛況
・諸武将たちの邸宅・家屋、40日で2500戸以上完成
● 大坂教会
・髙山右近の進言。都地方の責任者のオルガンチーノ神父・ロレンソ修道士・小西ジョウチン立佐(行長の父)・安威シモン了佐(秀吉の秘書)の4人で、関白に接見。
関白の許可。最上の地を提供。自ら現地へ。
・どこなのか? 淀川(大川)にかかる天満橋のたもと、「永田屋昆布本店」の一画に
「八軒家船着場の跡」の碑。高台が「北大江公園」(大阪市中央区石町1丁目)。
上町台地の北の端
・ここに、畿内でもっとも美しかった、河内の「岡山教会」を、解体・移築
(かかった莫大な経費は、すべて髙山右近の自費で)
・1583.12.25 「降誕祭」(ナタル)の日に初ミサ
※ 大坂城下にあった「髙山右近屋敷」
・それまで、右近屋敷が教会代わり。貴人たちが、説教を聴聞
・コエリョ一行30名が待機
・髙山右近屋敷で、関白秀吉と千宗易(利休)に、茶の湯の接待
・大坂城下の北の方面で、大坂教会からも、そう遠くはない場所?
※ 大坂教会や髙山右近屋敷を舞台に、多くの人たちが入信
・多くの人たちが、昼夜を問わず、教会訪問。その人たちに説教する修道士(イルマン)たちも大変。時間が足りないほど。時には、4人が4つの場所で同時並行で。
・人気スポット・観光スポットにも・・・・・
・決心してキリシタンになり、洗礼を受けていく人たちが続出。 11例
③ 牧村兵部 後に「利休七哲」の一人。女性たちと決別
⑥ 蒲生氏郷 最初は右近を避けていた。牧村兵部も応援。洗礼を受けてレオン氏郷に。
⑦ 黒田(小寺)官兵衛 小西行長そして、右近・氏郷が導き、シメアン官兵衛に。
・関白秀吉も、大坂教会に。
「もし、貴殿らが、多くの婦人たちをかかえることを禁じさえしなければ、予はキリシタンになるのに別に支障ありとは考えておらず、その禁止を解くならば、予もキリシタンになるであろう。」 ロレンソ修道士の応答。秀吉の反応
・大坂教会が、一種の人材養成所(セミナリオ)に。
・このような状況も、「伴天連追放令」後は、事態が一変。
● 細川ガラシャと大坂
・細川玉が、生涯、たった一度だけ訪れたのが、大坂教会
1587.3.29(日)「復活祭」(パスコア)の日。 (今年・2013年の復活祭は3/31)
玉造・細川越中屋敷 → 大坂教会
・明智光秀の娘・玉。15歳の時、織田信長の執り成しで、細川与一郎(後の忠興)と結婚。1578年(天正6年)、長岡京市・勝龍寺城 → 2年後(1580年)、丹後の宮津城
・その頃の細川玉は、どんな女性?
舅の細川幽斉は、文武両道の人。 「古今伝授」。城の近くに、禅宗の僧院を建立
後に、キリシタンになってからの玉の述懐
・1582年、本能寺の変 → 丹後の山奥の味土野に、2年間幽閉
三浦綾子・著「細川ガラシャ夫人」に描写
・1584年(天正12年) 秀吉の赦しが出て、玉は大坂玉造の細川越中屋敷に。
・今も、「越中公園」 ここが、1584~1600年の16年間の生活の場
「越中井」 井戸の辻。大阪府史蹟指定第一号(1934年・昭和9)
「越中井 細川忠興夫人秀林院殉節之遺址」
「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」の辞世の歌の碑
・大阪カテドラル・聖マリア大聖堂。入口に、安部政義・作の髙山右近・細川ガラシャの彫像。聖堂内には、堂本印象・画の二人の絵。
・秀吉の赦しは出たが、玉に関わる不祥事を起こさないために、忠興の、妻・玉に対する、異常なまでの徹底した防御措置。
※ 髙山右近と細川ガラシャの出会いは?
・考えられない。でも、夫・忠興から、親友の髙山右近やキリスト教の話は聞いていて、教会に行ってみたいと思っていた。
・今は、天国(パライゾ)で、髙山右近も、細川ガラシャも、キリシタン達も、みんな一緒。いつか、私たちも。皆さんは、天国で、右近さんやガラシャさん達とお会い出来ますか?
※ 教会を訪れる千載一遇のチャンス! 1587.3.29(日)
・日本では、お彼岸の時季。教会では、復活祭(パスコア)
・夫・忠興は、九州の島津攻めのため出陣
・6~7名の侍女たちに、周りを取り囲まれるようにして。
・初めて見る、美しい教会。祭壇・救世主キリスト像
・高井コスメ修道士の話。すぐに洗礼を希望。主任司祭・セスペデス神父の躊躇
・外出は更に厳しくなり、侍女たちを教会に行かせて質問をしたり、信仰書の写本「コンテムツス・ムンジ」(キリストに倣いて)を届けてもらったり・・・・・
※ 受洗は4か月後、1587.7.24に「伴天連追放令」が出された直後
・セスペデス司祭から、洗礼の授け方などの指導を受けた、侍女頭であった清原枝賢(しげかた)の娘・イト、教名マリアから、越中屋敷の、普段、祈りをささげている部屋の聖なる肖像の前で。霊名ガラシャ(恩寵・神の恵み)
※ 細川ガラシャ玉の最期の時のこと
・1600年、関ヶ原の合戦が起こる直前。受洗して13年目。
・4年前の1596年、戦国武将の妻として、自害せねばならない事態に陥った時のことを、司祭に相談している。何年も前から、最期の日に備えての心の準備をしていた。
・1600年(慶長5)夫・忠興は、徳川家康に従って上杉攻めに出陣。
大坂城の石田三成は、諸大名の妻女に、登城を命令。人質が目的。
・忠興の重臣・小笠原少斎が、ガラシャに、最期の時が来たことを伝言。礼拝している部屋で、キリスト・マリアの御名を唱えながら、一刀のもとに・・・・ → 屋敷は火の海に
・オルガンチーノ神父の指示で、キリシタンの侍女が、焼け跡から遺骨数本を収拾 → 葬儀ミサ → 堺のキリシタン墓地に埋葬 → 忠興・帰坂後、細川家・菩提寺の崇禅寺に
→ 翌1601年、忠興が要請して、都の教会で追悼ミサ。忠興をはじめ、一同ただただ涙々々。
細川ガラシャ
① 父・夫 しあわせうすき このいのち
話に聞きし キリシタンたち
迷える玉の つぼみふくらむ
② 玉造 清原マリアの手によって
受洗の恵み 神の恩寵
玉はガラシャに 花と咲きゆく
③ あめつちの 主を知りてこそ うるわしき
花も花なれ 人も人なれ
天の御国(みくに)へ 花は散りゆく