明智光秀の終焉の地に、「明智籔」の碑と「由緒碑」が建てられています。
2012.6.2(「本能寺の変」の日)に、出かけていきました。
「由緒碑」(平成3年、京都洛東ライオンズクラブ建立)には、 “ 信長の近臣・小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃により ” 最后を遂げたと、刻まれていました。
インターネットのいろんなページで紹介されていますのは、この碑の場所のことがすべてなのですが・・・・・。この碑を見て、引き返していったのでは、どうということはないのではないでしょうか。本経寺の寺領の一画で、当時の雰囲気は何もありません。
他の個所でもそうですが、碑が建っている場所にたどり着くことが目的で、それで満足していては、歴史を体感することは出来ないのではないでしょうか。
「明智籔」がそうです。碑の場所から、少し進んで行きますと、細い竹籔道になります。まさに、籔の合い間から、竹槍がおそってきそうです。
碑の場所で引き返してしまわないで、よかったなあ、と思いました。
弓矢 鉄砲 斬り合うやいば
殺し殺され いのち消えゆき
小栗栖村の くらき闇より
おそう竹槍 いのちつらぬく
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