碑が建てられている所を見て終わり! にしないで!! | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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「本能寺の変」(天正10.6.2)。つづく「山崎合戦」(6.13)に敗れ、近臣十数名とともに、暗夜に乗じて坂本城をめざしていく明智光秀。途中、小栗栖(おぐりす)の附近にさしかかったところを、竹籔道で襲撃を受け、あえない最后を遂げていきます。

 明智光秀の終焉の地に、「明智籔」の碑と「由緒碑」が建てられています。
 2012.6.2(「本能寺の変」の日)に、出かけていきました。

「由緒碑」(平成3年、京都洛東ライオンズクラブ建立)には、 “ 信長の近臣・小栗栖館の武士集団飯田一党の襲撃により ” 最后を遂げたと、刻まれていました。

 インターネットのいろんなページで紹介されていますのは、この碑の場所のことがすべてなのですが・・・・・。この碑を見て、引き返していったのでは、どうということはないのではないでしょうか。本経寺の寺領の一画で、当時の雰囲気は何もありません。

 他の個所でもそうですが、碑が建っている場所にたどり着くことが目的で、それで満足していては、歴史を体感することは出来ないのではないでしょうか。

「明智籔」がそうです。碑の場所から、少し進んで行きますと、細い竹籔道になります。まさに、籔の合い間から、竹槍がおそってきそうです。

 碑の場所で引き返してしまわないで、よかったなあ、と思いました。

   弓矢 鉄砲 斬り合うやいば
   殺し殺され いのち消えゆき
   小栗栖村の くらき闇より
   おそう竹槍 いのちつらぬく

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