古地図には、京都・伏見城下にあった髙山右近屋敷の場所が、明記されています。
「豊公伏見城ノ圖」(太閤摂政関白太政大臣正一位豊臣朝臣秀吉公泰平御代 御旗本諸大名御屋敷之圖)に、現在の京阪電車・中書島駅の近くで、濠川にかかる「肥後橋」を渡ると、府道124号線に沿って、まず町家があって、その隣りが宗対馬守・松浦肥前守・津軽右京亮、そして「髙山右近」の屋敷と続きます。
400年前と現代では、町並みも、道路の様子も違ってしまっているものですが、Googleマップで検索してみますと、肥後橋から「髙山右近屋敷」にかけての、三栖町(みすちょう)3丁目の辺りは、それぞれの屋敷跡も、位置を確認することが出来るほど、はっきりしています。
是非、いつか、近い内に出かけていきたい ━━ と思いながら、叶わないままになっていました。
今回、「高山右近研究会」で、川崎桃太さんにお会いした後、小栗栖(おぐりす)の「明智籔」を巡り、つづいて伏見の「髙山右近屋敷跡」を、実際に訪ねることになりました。
同行の誰もが初めてで、Googleマップの写真をもとに、何と私が「ここです!」と案内させていただきましたよ。
下の写真の場所ですが、遠くの方に、両手を挙げている私が、小さく写っていますよ!
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