A. 髙山右近のことを、直接見聞きして描いたという、同時代のものはありません。
残されている“信長像”や“秀吉像”なども、本人が生きている間のものではなく、追善ないしは尊崇のために(信長の一周忌に供養のため・豊国大明神像として など)描かれ、寄進され、祀られ、礼拝(らいはい)されているものばかりです。
( 絵だけが紹介されていることが殆どですが、大体は“賛”として、文章が書き記されています。)
ですから、現在、それらの絵が残されている場所は、寺社であり、今も礼拝の対象として、拝まれているというわけです。
髙山右近の場合、そうしたこととは無関係でしたから、そのような類のものはありません。
「髙山右近」を描いた絵で一番古いものは、髙山右近が召天して、31年後(1646年)、ローマで刊行された、ポルトガルのイエズス会士・カルディム(1596-1659)の著した「日本殉教精華」の中のさし絵です。
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“ Iustus Vcondono Iappon ”
さし絵の下方に記されている文章の意味は、
“日本人ジュスト右近殿、信仰に殉じて追放され、航海の苦難に困憊(こんぱい)し、1615年2月3日マニラに死す。”
召天日(帰天日)が、1615年2月3日だと、はっきり記されていますよ。
よく紹介されています、スペイン・マンレーサにある“聖イグナシオ聖堂”のモザイク壁画の「髙山右近像」は、【右近Q&A】の別の項で取り上げていますが、90年ほど前(20世紀・1920年頃)、マルティ・コロネスによって制作されたものです。
日本のものでは、作者がわかっているものでは、単独画ではありませんが、「山崎大合戦之図」の中の「髙山右近像」です。
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“太閤記”物の錦絵で、作者は一魁斎芳年(月岡芳年:1839~1892)。慶応元年(1865)頃に描かれ、版元から印刷・出版されました。
いずれにしても、すべての“髙山右近像”は、髙山右近の実像を知っていてのものではありませんので、皆さんそれぞれが、自分の思う「髙山右近像」を想い描かれるといいのではないでしょうか。
「髙山右近は誠に思慮深く、かつ傑出した人物である。
その人となりは勇敢無双、教養あり、また廉直である。」 (前田利家)