三位一体(さんみいったい・チリンダアデ)の デウス(神)について、教えてください。 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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Q. 三位一体(さんみいったい・チリンダアデ)の デウス(神)について、教えてください。

A. 吉利支丹版の「どちりなきりしたん」には、次のように記されていますよ。

「御あるじデウスは、パアテレ(父)と、ヒイリヨ(子)と、スピリツサント(聖霊)と申し奉りて、ペルサウナ(位格)は三つにてましませども、ススタンシヤ(実体)と申す御正体 は、ただ御一体にてまします也。」

 現代の聖書では、全能の天地万物の創造主のことを「神」と「主」という言い方で呼んでい ますが、キリシタン時代は、「神」のことを[デウス]、「主」のことを[御あるじ]と呼んでいました。 現代の聖書で「主なる神」と言っているところは、[御あるじデウス]と言っていたわけです。

 最初に「神・デウス」についてですが、旧約聖書が記された原典(ヘブル語)では「エル」。複数形が「エローヒーム」になります。

 ところで、聖書の最初の最初は、「創世記」の1章1節ですが、 「 初めに、神が天と地を創造した。」
 この「神」の部分には、実は、複数形の「エローヒーム」が使われているのです。(しかも、動詞は単数で受けています。)

 1章26節の、「人間の創造」の場面では、次のように記されています。

 神(エローヒーム)は仰せられた。
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。」

「神」は唯一のお方ですが、単数ではないのです。 父なる神・子なる神・聖霊なる神。父・子・聖霊なる神を、混同することなく、本質を分離することなく、三位(父・子・聖霊)を一体において、唯一のお方として、われらも・キリシタン達も、礼拝しているのです。

 この「三位一体の奥儀」(チリンダアデのミステリヨ)については、四次元の有限の世界 に生きる私たちには、ぴったり当てはまる適当なたとえはありませんので、変に何かにたとえようとはしないで、信仰で受けとめているのです。

 次に「主・御あるじ」についてですが、この御名(みな)については、「出エジプト記」 の3章14~15節に記されています。
「 わたし(神)は、『わたしはある』という者である。・・・・ 主(YHWH・聖4文字)、 これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。」

 この聖4文字「YHWH」については、どのように発音すればよいのでしょうか。

 旧約・当時のユダヤ人(現代もそうだと思いますが)の間では、「十戒」の第3戒「御名をみだりにとなえてはならない」ということで、「YHWH」と出てくると「アドーナーイ」 (「アードーン」 “主”の一般語の複数形)と言い換えて読んでいました。「神・主」(エロヒーム・アドーナーイ)というわけです。

 言い換えではなくて、実際にはどのように発音すればよいのでしょうか。聖4文字の子音字に、2つの母音記号を合わせて、[YaHWeH](ヤハ・ヤハウェ)と読むのが一般的です。古代のヘブル語の発音にも近いようです。

 有名な「ハレルヤ・コーラス」の “ハレルヤ”ということばは、ハレル(ほめたたえる・賛美する)・ヤ(ヤハ・主) ━━ 「ヤハをほめたたえよ・主をほめたたえよ」ということなのです。

 もちろん、この「主・御あるじ」も[三位一体の主]を表していることばであることに、かわりはありません。

 ただ、新約聖書では、神の御子・救い主(ぬし)のことを「主イエス・キリスト」という言い方をしますが、この形で使われている時には、 “子なる神である主イエス・キリスト” という意味であることは勿論です。

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