「切腹」について、キリシタン達はどのように考え、対応してきたのでしょうか。 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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Q. 「切腹」について、キリシタン達はどのように考え、対応してきたのでしょうか。

A. キリシタン武士たちは、一人も「切腹」をしてはいません。
 なぜ、そのように言えるのかといいますと、 “切腹して自ら生命を断つ” ということは、デウスの厳しい戒めである「十戒」(十のマンダメントス)の中の、「殺すなかれ」の戒めを犯すことになる、デウスに対する大罪(モルタル科・とが)であり、彼らが切に願っている天国(パライゾ)に迎え入れられることは、ありえないからです。

 宣教師たちは、キリシタン達に、どのように指導したのでしょうか。
 ローマ・ヴァチカンのフランシスコ・ロドリゲス神父の手にかかる、1570年付けの文書「日本の神父が送付してきた質問事項に対する回答集」という貴重な史料があります。
 これは、在日の宣教師たちから、日本のキリシタンの日常生活について、どう対応すべきかをローマに宛てて書き送られてきた46の質問に対する、46の回答集です。

 その[第40項]に、「切腹」のことが採り上げられています。

【質問】敵の手から逃れることが絶望的な場合、或いは、切腹しないと、本人のみならず、子々孫々まで汚名を着せられたり、土地を失ったりするので、それを避けるため、切腹するよう主君から命じられたような場合、キリシタンに切腹は許されるであろうか。


【回答】この件についての神学博士、及び教会法博士の見解に従えば、神意による以外、如何なる者にも断じて「自殺」は許されないことになる。

 というのは、たとえば、キリスト教徒である者が異教徒に偶像礼拝を強要されたり、或いは、そのキリスト教徒に代わって神の名を汚すようなことをされたりするのがはっきりしているような場合に限って、そのキリスト教徒に自殺は許されるとする教会法博士もいるにはいるが、こうした考え方には依然として疑問が残るからである。

 どの博士も口をそろえるのは、この世で汚名を着せられたり、世俗の財産を失ったりするのを避けようとして自殺するのは許されない、ということである。ただし、日本人にとって、それらは命を捨てるほど深刻な問題である。

 次にあげる例は、「切腹」と同等に扱える問題ではない。我々の西洋社会では、罪人(ざいにん)を断頭台に引いていって首をはねることがあるが、これは自らを死に至らしめる行為ではない。それは飽くまでも絞首刑に処せられるのであって、自分の足で断頭台に向かったからといって「自殺」とみなされるものではない。

 しかし、「切腹」は自ら、それも直接手を下す行為であるから、してはならないのである。敵の手にかかりたくないのなら、まずは、何がなんでも逃げるべきである。

※ 映画「切腹」 (監督:小林正樹)

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