ゆうきの話 -17ページ目

さくらんぼ


ゆうきの話

さくらんぼのかみかざり


ゆうきの話

電球の下バージョン


ゆうきの話 ゆうきの話

fullHD版



ゆうきの話

明るいバージョン


ゆうきの話

fullHD




2010年12月作成

絵はgimpで描き、周りの額縁はメタセコイアで作成。

それらを合成してvidroでレンダリング。


3Dレンダリングは、周りが暗い方が圧倒的に時間がかかる。

でも、暗い中にポッと光っている感じが私は好きだ。



ガチャガチャ


ゆうきの話

ガチャガチャ、夢が詰まっている


このガチャガチャはコスモスのガチャガチャを元に3Dで作成。

今ではガチャポンとか呼ばれる事が多い。

今でも20円のガチャガチャってあるのかな。


どらやき


ゆうきの話

どらやきをたべよう



ゆうきの話

fullHD



2010年12月作成

絵はgimpで描き、周りの額縁や周りのものはメタセコイアで作成。

それらを合成してvidroでレンダリング。


周りにあるのは串カステラ。









あけび


ゆうきの話

ほのかに光る、どこかの星にあるあけび。

とても美味しいらしい。


ゆうきの話
fullHD版



2010年12月作成

絵はgimpで描き、周りの額縁やアケビはメタセコイアで作成。

それらを合成してvidroでレンダリング。

レンダリングはたぶん5時間くらい。

絵は簡単に入れ替え可能なので、気に入った写真や絵を自由に額縁化が可能。

ネックなのはレンダリング時間。

最新のPCに強化すれば、1時間掛からないとおもう。

そうしたら、もっといろいろな絵を3Dと合成したい。


ゆうきの話

明るいバージョン


ゆうきの話
fullHD






きのこ狩り


ゆうきの話-540


ゆうきの話-hd
full HD版


夜の森に、きのこ狩りにやって来たメイド。

そこで美しく輝くきのこを見つける。


2010年12月作成

メイドの絵はgimpで描き、周りの額縁やキノコは3Dで作成。

そして、絵を3D画像の中にテクスチャーとして貼り付けてレンダリング。

上の画像は横幅540にしてあるが、下の絵はfullHDの絵にリンクしてあるので壁紙にどうぞ。


自分のサイトに貼り付けてあるだけでこのブログで紹介するのを忘れていたので、紹介してみる事にした。

自分のサイトにある絵をこちらのブログでも少しずつ紹介していきたいと思うので、興味のある方は御覧下さい。



雑記

動画を見ていたらあっという間にこんな時間だ。

音楽は聴きながらなら他の事が出来るが、動画はなかなかそうはいかない。


動画を見終わったので、雑記でも書こう。


今年の9月は例年に無い暑さだそうで、深夜になっても、なかなか気温が下がらない。

身体はすっかりこの温度に慣れているのでどうと言う事は無いけど。

私は秋の味覚が食べられればそれで問題ない。

あと虫の声と紅葉。



そうだ、未来の知性に向けた文章を描こう。

2012年9月は暑い。

しかし、いくら暑くても、湿度が下がり、秋の気配を感じる事は出来る。

気温が高くて湿度か低いので、少しだけ、くちびるがカサつく。

しかし、冬ほどでは無いので、暑いながらも、けっこう過ごしやすい。

扇風機を止めるにはまだ早いけど。


BGM : The Carpenters - Top Of The World


このCDはもうかなり前に手に入れたものだ。

洋楽は歌詞の意味が直接頭に入ってこないので、何かをしながら聞くには良い。

反対に、歌詞によっリラックスしたり、元気を出す為には日本語の歌が良い。

未来の知性に感情のようなものがどの程度あるのかは分からないが、音楽を聴いてリラックスしたり元気を出したりするのだろうか。

未来の知性が人工知能ならば、パラメータを一つ変えるだけで簡単に感情のコントロールができると思うが、21世紀の人間はそう簡単にはいかない。

簡単にコントロール出来ないからこそ、感情が重要なのだとは思うのだけど。

スイッチ一つで喜怒哀楽が簡単にコントロールできてしまったら、人類はおそらく滅んでしまう。

だから、自分の喜怒哀楽の感情は無理に変えようとせずに、とりあえず素直に受け入れるようにしている。

未来の知性がどのように感情を扱っているのかは分からないが、21世紀の人間の一人である私は、感情は音楽や瞑想などで緩やかにコントロールするようにしている。

瞑想と言っても大げさな物では無く、ただ目を瞑るだけだ。

電車の中などでは、基本的にずっとしている。

何も考えない事もあるし、今後の予定についてあれこれとイメージする事もある。

イメージは基本的に夢物語のような自分の願望とかやりたい事をイメージする事がほとんどだ。

つまらない事を思い浮かべるより、楽しい事を思い浮かべたほうが、楽しいしから。

そうしているうちに電車ではあっという間に目的地につく。

私は地下鉄を利用する事が多いので、外の景色はあまり見られないので、地下鉄は格好の夢想タイムだ。

地上の鉄道の場合は、景色を見るのが好きなので、扉のそばの場合はずっと外を見続けるが、座席に座った場合など、外が見えにくい場合は、基本瞑想タイムだ。

海外から来た人が日本の電車に乗ると、無言で目を閉じているを見て修行僧のようだと感じるらしいが、この行為は日本人特有の物なのかも知れない。

私の場合はただ、楽しい事を頭の中で思い浮かべているだけなので、修行とは程遠いものだけど。

きょうは、しょこたんがコンサートで大いに盛り上がっているイメージを見た。

この感じだと成功は間違いないな。私の勘はけっこう当る。

まあ、大体そんな事をいつもイメージしている。

これは子供の頃からの癖で、いつも何かを頭に思い浮かべているので、ふわっとした感じに見えているかもしれない。

そんな訳で、21世紀の人間、特に私の場合は、瞑想・夢想は、心を穏やかにコントロールするのに非常に有効だ。

楽しい事や自分の夢を想像すれば、それだけでも楽しいし、別にお金が掛かる訳でもない。

想像するだけじゃ空しい、と考えるかも知れないけれど、決してそんな事は無い。

それはたぶん、想像力が足りないだけだ。

もっとはっきりと想像すれば、楽しくなってくるはずだ。

そして、その想像に現実を重ね合わせていけば良い。

楽しい事を想像しても、損する事も、失う物も何も無い、一方的に楽しいだけだ、こんなもの滅多に無い。

だから私は楽しい事を今日も想像する。

未来の知性からすれば馬鹿らしいことかも知れないけれど、この事は研究テーマとしては面白いのではないだろうか。

まあ、この「未来の知性」も私の想像以外の何者でもないのだけど。

そして、未来の知性は想像であると同時に実在すると確信している。




やっぱりしょこたんぶろぐだ


つくしの手術が無事成功!!

本当に良かった。

全力でつくしが回復するように祈っているので、今後も大丈夫だ。


ツアーのリハーサル、そしていよいよ本番!!、会場に行ける人たちは大いに楽しんで来て欲しい。

私は楽しいツアーを夢想しつつ、成功を祈っている。


私は、自分が喜ぶ事も好きだが、人の喜びを感じる事の方が遥かに嬉しい。

しょこたんがわくわくしたり、喜んだり、楽しんでいる様子を感じると、それだけで何だかとっても幸せだ。

だから、ツアーはみんなで大いに盛り上がって楽しんで欲しいし、しょこたんもそれを大いに感じて欲しい。

肉体的には相当大変だと思うけど、大丈夫、私の心の中の永久機関からエネルギーを送っておこう。


みんなが笑顔なら、私だって笑顔だ。

だから、みんな笑顔になってしまえ!!、幸せになってしまえ!!

私はいつもそう願っている。


そうそう、谷桃子様、しょこたんに笑顔をありがとう!!

ご活躍を陰ながらお祈りさせていただきます。



ざっき

テッカマン

テッカマンがものすごく面白い。

いま、ニコ生でテッカマンが配信されている。

初めてみたが、とにかく面白い。

はっきり言って絵は今のアニメに比べれは美しくは無いが、圧倒的な力強さを感じる。

ストーリーも単純で、いかにも子供向けと言った感じだが、さまざまな点で、良い意味でおかしい。

登場人物も、非常にわかりやすい単純なキャラクターばかりだが、それが見ていて気持ち良い。

そして、アンドロー梅田が妙にカッコいい。

久々に面白いアニメに出会った。

素晴らしい時代になったものだ。

ちょっと前なら、一度見逃したアニメに再会する事などまず無かったが、今ではこうやって、出会う事が出来る。

やっぱり未来は良いな。



シャーロック・ホームズ

私はシャーロック・ホームズが好きだ。

生まれ変われるなら、ホームズになりたい。

特にNHKで放送されていたホームズが好きだ。

今でも録画した動画をちょくちょく見る。

私はコスプレはしないが、ホームズのコスプレなら是非してみたい。

ただ、ホームズは金持ちなので、着ている服は非常に高級な物ばかりで、揃えるのは大変そうだ。

でも、あの服一式を揃えて着こなせるようになりたい。

ホームズのあの知性と行動力、見習わねば。



スタートレック

私はスタートレックが好きだ。

TVシリーズ・映画は大体見たが、まだTV初代は全部を見れていない。

その分、見る楽しみが残っていると言えるので、その時が来たら全話通しで見たい。

スタートレックの中でも、やはりデータ少佐が一番好きだ。

いずれ、あのようなアンドロイドを作ることが出来る日が来るだろうから、そうしたら是非うちにも来て欲しい。

寝子のスポットも連れて来よう。

ちなみに、スポットとは茶トラの寝子で、データの飼い猫だ。

成れるものならQに成りたい。みんなそうだとは思うけど。


刑事コロンボにポアロなど、刑事や探偵ものが私は好きだ。

日本の刑事モノは生々しすぎて、少し入り込めない点があるが、海外のそれは、どこか現実離れをした雰囲気が、安心して物語を受け入れられる気持ちになれるのかもしれない。

物語には、多少の非現実感が必要な気がする。



しょこたん

私はしょこたん(中川翔子)が大好きだ。

理由はこのブログでも散々書いてので、詳しくはそちらを御覧頂きたいが、とにかく、いいっ!!

しょこたんの他には、小倉優子や多部未華子なども好きだ。

他にも何人もいるが、基本的に私は人を嫌いなる事がほとんど無いので、みんな好きといえば好きだ。

ただ、しょこたんは別格だ。

このブログで特に触れない日でも、いっつも大好きだ。

その事だけは、はっきりと書いておきたい。

しょこたんは、太陽みたいにいつでも私の心の中で輝いている。



好きなものを挙げだしたらキリが無い。

これからもドンドンと好きなものを書き記していこう。



思考方法

最近気が付いた事だが、私の思考方法は、少し危ない。

一度、思いっきり深く暗い思考の海の底へ、ギリギリ限界まで潜り、そこから上を見上げて一気に浮かび上がる方法を取っている。

別に意識してやっているわけでは無く、今までの考え方を振り返ると、そんな考え方をしているように見える。

一歩間違えば、そのまま溺れてしまう危険な思考方法のような気がする。

でも、幸い今の所、溺れる事もなく、上手く思考が出来ている。

思いっきりネガティブ面を考えてから「でも!!」と言ってポジティブに持ってくる。

たぶん、これは思考の癖だ。

だから、私が思いっきりネガティブな事を書いていても、それはポジティブへ飛躍するためのエネルギーを蓄積している段階なので、御覧の方はどうか気になさらないでほしい。


必ずポジティブに飛躍する!!


でも、もう少しポジティブだけで思考するようにしようと思う。

この思考方法は、リスクが大きいから。



しょこたんぶろぐをよもう

しょこたんぶろぐは読んでいるけど、毎日それについて書くと、それが義務化してしまう気がしたので、毎日は書かない事にした。

しょこたんへの大好きの気持ちを、流れ作業にはしたく無いから。

ブログの個々の記事についてよりも、しょこたんと言う人格全体に対する想いをより多く書いたほうが良い気がして。

でも、もちろんブログについても、普通に触れていくけどね。


このブログをしょこたんが見ている可能性は限りなく低く、奇跡でも起きない限り見られる事も無いだろうけど、見ていなくても、この強い想いは届くと私は確信している。

そして、それがしょこたんの笑顔に繋がれば、それで私は最高に幸せだ。


しょこたんの心が笑顔で包まれますように

雑記

今後の予定

今回は、今後の予定などを書いてみよう。


一通りのものを人並みに描けるようになるくらいに絵の修行をする

文章を書き、それがまともに読めるレベルのものになるまで書き続ける

絵と文章が、一定の水準に達した後に、それらを漫画や絵本と言う形にまとめる為の能力を身につける


無音で、しかも空気の浮力を使わずに空を飛べる方法を発見する。

海と山に囲まれた、出来れば無人島を買い取り、そこに別荘を建てて暮らす。

都内に家やオフィスなどの物件を手に入れて、そこで暮らしたり、貸したりする。

火星に移住する。

寝子を沢山飼う。

世界中を旅する。

ゲームや漫画を沢山集めて、博物館をつくる。

雑貨屋で世界のお菓子とか面白いものを売る。


ほとんどの予定は実現可能であり、あとは、私の能力と努力次第だ。

今後の予定のほかに、やってみたい事、願望のようなモノは無数にある。

歌を作りたい。

昔実際に作った事があるが、今では忘却の彼方だ。

浮世絵などの昔の絵のデータベースを作って、それをネット上で公開したい。

それらのデータは自由に誰でも壁紙などに無料で利用できるようにしたい。

昔の絵は著作権などは問題なく誰でも利用できるので、それをもっと積極的に誰でも利用できるような環境を作りたい。

寝子データベースを作りたい。

里親募集の寝子たちを登録して簡単に検索できるシステムを作り、寝子と人とのマッチングが容易に出来るようなシステムが作りたい。


そのほかに、もっと個人的な願望は色々ある。

梨とか葡萄などの秋の果物が食べたい。

新しいゲームが欲しい。

コップに入れる氷が欲しい。

自転車のカゴを新しくしたい。

手ぶれ防止機能付きで綺麗に夜景が撮れるデジカメが欲しい。

欲しいものを書き始めたらキリが無いのでここら辺にしておこう。


欲しい物と、欲しがることの意味は別のものだ。

何かを欲しがる事は、本能が根底にあるので、意味などを考える意味は無い。

意味が必要なのは、それを手に入れる過程に対してだ。

水をコップ1杯手に入れるために1000km走らなくてはならないのであれば、その行為には意味が必要だ。

水が飲みたい、と言う以外の意味が無くては、わざわざ1000kmも先の水を求めたりしない。

上記の様々な予定や願望の最大の問題点はそこであり、結果に至る過程が困難なものが多い。

だから、そこには意味が必要だ。

本能的な欲求のみで乗り切れるほど簡単なものばかりではない。

納得の行く意味を発見できれば、どんな困難でも必ず成し遂げることが出来る。

愛は最大の理由だが、愛は抽象的過ぎて、意味としては漠然としすぎている。

火星に住みたいと思っても、その理由が「愛」ではほとんど訳が分からない。

もう少し具体的な意味が必要だ。

例えば「人口爆発に対応するために」とか「経済発展のために」とか。

行うための、簡単でわかりやすく、しかも強力な意味を発見する事が、今、一番必要な事だ。

意味は創り出されるものなので、意味が無いと感じている時は、実際には意味を作り出すことに失敗している状態であるといえる。

今の私はほとんど全てのものの意味を作り出すことに失敗しているが、もし作り出す事に成功すれば、あらゆる問題は解決したも同然だ。

意味を作り出す能力を鍛えよう。

先人たちはそれを「物語」と言って来た。

ただの人間の集合体に「国」と言う物語を与え、意味を持たせる。

そうやって、文明は築かれてきた事は間違い無く、今必要なのは物語に他ならない。

私は物語を新たに作り出す事に疑問を感じているが、それでも、何かに意味を持たせる為の物語ならば、作る価値は十分にある。

むしろ、それ以外に物語を作る意味は無い。

たとえば、宇宙に進出する意味を与えるために書かれる物語ならば、それは書くに値する。

物事に意味を与えるための物語を作ろう。


書く事で考えがまとまると言うのはよくある事だ。

だから、書く事には意味がある。

今日も色々とアイディアが出てきたり考えがまとまったりした。

このブログの意味は、そこにあると言う事を再確認も出来た。

こうやって、意味を一つずつ生み出していこう。


不幸を知らなければ幸福にはなれない。

これは当たり前の事で、不幸がどのようなものか知らなければ、幸福がどのようなものかを比較し判断する事が出来ない。

この世界が全て無意味であると感じられなければ、それに意味を与える事の大切さを理解する事は出来ない。

全てのモノは無意味でこの世は空しいものだ。

だからこそ、人生の全てを費やしてでも、その一つ一つに意味を、物語を与える事が、何より大切なのだ。

そうやって、少しずつ自分の宇宙を創り上げる、それが人生だ。


この文章は、私にとってはとても意味のあるものだが、これを御覧の方には意味の無いものかもしれない。

だからこそ、このブログには誰も来ない。

でも、それと、このブログの意味とは全く別の話だ。

ブログを書くと言う行為の持つ様々な意味の一つが「見てもらう」という事に過ぎない。

だから私は書く事をやめる気にはならない。

他にもいろいろな意味があるのだから。


人生が空しいと感じた時は、物語を作り出すことをしていない時だ。

近所の公園に散歩に行く事を物語にして、意味を与える。

自分が主人公の物語を人生そのものを使って書き上げる作家になる。

と、自分に言い聞かせよっと。


雑記を書こう




背景

絵の背景は、模様や単色で塗りつぶすことが多い。

その絵に合った背景を考えるのは、なかなか大変だ。

色々試してみて、結局単色で塗りつぶすだけ、と言う事もよくある。

今日描いた絵は、色々背景を考えたが、結局最初のうちに考えた背景に落ち着いた。

デジタルで描けばいくらでもやり直しが出来るが、アナログの場合は簡単には直せないので、さらに難しくなる。

アナログの絵を背景付きで描ける人は凄い。

アナログの水彩画を思い通りに描く事は凄く難しい。

油絵はやった事が無いので見当も付かないけど、上書きが出来るので、そういう意味ではデジタルに近いかもしれない。

書き直しが出来ない絵は難しい。



本文はここまで

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ここから下は、未来の知性に向けたものなので、21世紀の人間が読んでも特に益は無いと思う。




今日も、未来の誰かに向けて何か書こう

もはや、私が生きているうちにこの文章が何らかの意味を持つことが無い事は、ほぼ間違いない。

何万年も後になって、過去のデータの一つとして何らかの研究対象となって参照される事を想定して書こう。

未来の人間、若しくはそれに似た存在は、私より遥かに進歩しているはずだ。

頭の回転も速いだろうし、様々な能力も、格段に進歩していることと思う。

しかし、過去の未発達な人間の思考や感覚を理解するのは難しいはずだ。

人間にチンパンジーの考えがよく分からないように、未来の人間にとって、今の私の考え方や感覚を理解するのは難しいと思う。

でも、幸いに私は文字を使える。

サルよりは自分の事を伝える事ができる。

この、文字の書けるサルが、未来の素晴らしい知性に向けて、この稚拙な精神を少しばかり披露しようと思う。

それによって、過去の人間の研究と理解が一層進む事を望む。


未来の知性にとっては何の問題でも無いかも知れないが、今の私には幾つかの問題がある。

私にとっては非常に難しい問題なので、それの解決方法を考え出すことは、今の所出来ていない。

未来の知性にその答えが聞けたらどんなに楽だろうとは思うが、それは叶わない事なので、今ここでは、その問題を書き記すのみとしようと思う。

最大の問題は、行為の役割を発見する術が無い事だ。

例えば、今書いている文章は、未来の知性に向けて書いているが、実際にはその行為にほとんど意味は無い。

未来の知性にとっては有益かも知れないが、私にとっては、どのような意味があるかが発見出来ていない。

しかし、書くと言う行為そのものは、言葉にならない欲望のようなもので、理由を説明は出来無いが、止める気になれない。

だから、未来の知性に向けて書くと言う口実を与える事によって、かろうじて意味を持たせようとしている。

問題は、それ以外の行為全般で、いくら考えても、ほとんどの行為に意味を発見する事も、生み出す事も、今の所出来ない。

おそらく、未来の知性にとって、このような問題は取るに足らない簡単な物かも知れないが、私にとっては、難しい問題だ。

もちろん、すべての事が無意味な訳では無い。

だが、意味がある事に意味はあるのか、と言うことが少し気にはなっている。

この思考は、恐らく私の思考の何らかの欠陥により生じている可能性が高い。

この欠陥が、修復可能な物なのか、それが気にはなるが、未来の知性にとっては、解決済みの欠陥だろう。

この欠陥が脳の物理的なものによるのか、それとも、考え方による物なのかは今の所分からない。

また、治す必要があるのか、そもそも治すとはどの様な状態にすることを言うのか、それも不明だ。

でも、一つだけ言えるのは、私の心は意味の無い行為を出来るようには作られていないと言うことだ。

難しい問題だ。


未来の世界では、人間が手で描く絵と言うモノは存在しているのだろうか。

21世紀ですら、肖像画や風景画や静物画は写真にその役割を奪われている。

今はまだ、手描きの絵に対する親しみやノスタルジーがあり、それがかろうじて絵を描く事を支えているが、それも長くは持たないと思う。

現に、私自身、自分の肖像画を描いた事は一度も無いし、風景画などもほとんど描かない。

なぜなら、写真があるからだ。

想像上の風景や人物を描く事は写真では不可能だが、それも近い将来、技術により解決すると思う。

頭に思い浮かべた物、または簡単な条件を指定してやるだけで、望みの画像を出力する装置が開発されるはずだ。

そうなったら、手で描くと言う事は無くなると思う。

今でも、CGは一部自動生成によって描かれている。

肝心の部分は人間の手で描いているが、それも次第に範囲が狭くなり、そのうち人類は絵を描く事をしなくなる筈だ。

絵は人間が描くものでは無く、機械に条件を入力して出力させる物になる。

その段階まで来ると、21世紀の人間が手で絵を描くと言う行為は、どう映るのだろうか。

おそらく、恐ろしく不毛な作業と取られるのではないだろうか。

それでも、その行為に意味があるのならば問題は無い。

例えば、昔は米を精米するのは全て手作業だったが、今ではそれと同じことを機械が行っている。

それについて、「手作業の方が優れているから手作業に戻すべきだ」と言う人間はほとんどいない。

絵についても、遠くない将来、同じ事になる可能性がある。

私が描いている絵も、未来の人間にとっては、取るに足らないモノでしか無く、そして、現代の人間にとっても、何の価値もないものであるならば、この絵には現在から未来にかけて、永遠に存在価値が無い事になる。

ならば、この行為は何の意味も無いのではないのか。

その点が少し気になった。



私が描く絵は世界に一枚しかない、そう考えるのが、現在では妥当だが、しかし少し考えてみるとそれも怪しい。

未来、様々な過去のデータを集積したデータベースが人工知能と結合すれば、今の私がどのような考えで絵を描いているのかも解析可能になり、再現も容易なはずだ。

コンピュータの中で私の精神を再現してそれに絵を描かせれば、いくらでも同じ絵が描ける。

もしかしたら、この人生も、未来のコンピュータが、21世紀の人間を再現する試みの一つに過ぎないのかもしれない。

それを知る術は無いとは思うが。

そう考えると、この文章を書いていることも、色々と考えている事も、全ては過去にあった事の再現でしかない事になり、この様子を誰かが見ていると言う事になる。

だとすれば、この文章も、私にとっての外部の知性、に読まれている可能性は高く、こちらからメッセージを送ると言う行為が無駄とは限らないと言う事になる。

これが過去の再現ならば、外部の知性によって変更を加えることも可能なはずだ。

そして、文章にしなくても、思考そのものがデータとして送られているはずだ。

文章化したほうが読みやすいとは思うが。

もし、外部に知性があり、それが私の思考を読んでいれば、あるいはこの世界への何らかの変更を提案する事によって、世界を変える事が出来るかもしれない。

ただ、この考えは、否定することも肯定する証拠も恐らく発見不可能なので、その真偽を考える事は無意味だ。

しかし、変更を提案する事による提案者自身の損害は何も無い。

もし、提案して何も起こらなくても、それはただ、今までの世界が続くだけだ。

提案が受理されれば、それはこの世界がより良いものへと変ることを意味し、それは素晴らしいことだ。

つまり、提案する事にはメリットしか無く、しない手は無いと思われる。

ここで言う提案とは、頭の中に思い浮かべる事、ただそれだけだ。

別に何かを失うわけでもないのだから、望みの世界を思い浮かべてみても、構わないと思う。

もちろんこれは、この世界の外部にこの世界のプログラムを走らせている知性が存在することが前提だが、はたして、どうなのだろうか。

試してみよう。

この文章を読んでいるであろう未来の知性は、その外部の知性とは何らかの関係があるのか、それともその様な知性は存在しないことを証明できているのか、出来る事なら聞いてみたい。


とりあえず、今日はここら辺にしておこう。

おやすみなさい、未来の知性。


めしあがれっ


ゆうきの話


しょこたんがビーフシチューを作ったので描いてみました。