雑記
今後の予定
今回は、今後の予定などを書いてみよう。
一通りのものを人並みに描けるようになるくらいに絵の修行をする
文章を書き、それがまともに読めるレベルのものになるまで書き続ける
絵と文章が、一定の水準に達した後に、それらを漫画や絵本と言う形にまとめる為の能力を身につける
無音で、しかも空気の浮力を使わずに空を飛べる方法を発見する。
海と山に囲まれた、出来れば無人島を買い取り、そこに別荘を建てて暮らす。
都内に家やオフィスなどの物件を手に入れて、そこで暮らしたり、貸したりする。
火星に移住する。
寝子を沢山飼う。
世界中を旅する。
ゲームや漫画を沢山集めて、博物館をつくる。
雑貨屋で世界のお菓子とか面白いものを売る。
ほとんどの予定は実現可能であり、あとは、私の能力と努力次第だ。
今後の予定のほかに、やってみたい事、願望のようなモノは無数にある。
歌を作りたい。
昔実際に作った事があるが、今では忘却の彼方だ。
浮世絵などの昔の絵のデータベースを作って、それをネット上で公開したい。
それらのデータは自由に誰でも壁紙などに無料で利用できるようにしたい。
昔の絵は著作権などは問題なく誰でも利用できるので、それをもっと積極的に誰でも利用できるような環境を作りたい。
寝子データベースを作りたい。
里親募集の寝子たちを登録して簡単に検索できるシステムを作り、寝子と人とのマッチングが容易に出来るようなシステムが作りたい。
そのほかに、もっと個人的な願望は色々ある。
梨とか葡萄などの秋の果物が食べたい。
新しいゲームが欲しい。
コップに入れる氷が欲しい。
自転車のカゴを新しくしたい。
手ぶれ防止機能付きで綺麗に夜景が撮れるデジカメが欲しい。
欲しいものを書き始めたらキリが無いのでここら辺にしておこう。
欲しい物と、欲しがることの意味は別のものだ。
何かを欲しがる事は、本能が根底にあるので、意味などを考える意味は無い。
意味が必要なのは、それを手に入れる過程に対してだ。
水をコップ1杯手に入れるために1000km走らなくてはならないのであれば、その行為には意味が必要だ。
水が飲みたい、と言う以外の意味が無くては、わざわざ1000kmも先の水を求めたりしない。
上記の様々な予定や願望の最大の問題点はそこであり、結果に至る過程が困難なものが多い。
だから、そこには意味が必要だ。
本能的な欲求のみで乗り切れるほど簡単なものばかりではない。
納得の行く意味を発見できれば、どんな困難でも必ず成し遂げることが出来る。
愛は最大の理由だが、愛は抽象的過ぎて、意味としては漠然としすぎている。
火星に住みたいと思っても、その理由が「愛」ではほとんど訳が分からない。
もう少し具体的な意味が必要だ。
例えば「人口爆発に対応するために」とか「経済発展のために」とか。
行うための、簡単でわかりやすく、しかも強力な意味を発見する事が、今、一番必要な事だ。
意味は創り出されるものなので、意味が無いと感じている時は、実際には意味を作り出すことに失敗している状態であるといえる。
今の私はほとんど全てのものの意味を作り出すことに失敗しているが、もし作り出す事に成功すれば、あらゆる問題は解決したも同然だ。
意味を作り出す能力を鍛えよう。
先人たちはそれを「物語」と言って来た。
ただの人間の集合体に「国」と言う物語を与え、意味を持たせる。
そうやって、文明は築かれてきた事は間違い無く、今必要なのは物語に他ならない。
私は物語を新たに作り出す事に疑問を感じているが、それでも、何かに意味を持たせる為の物語ならば、作る価値は十分にある。
むしろ、それ以外に物語を作る意味は無い。
たとえば、宇宙に進出する意味を与えるために書かれる物語ならば、それは書くに値する。
物事に意味を与えるための物語を作ろう。
書く事で考えがまとまると言うのはよくある事だ。
だから、書く事には意味がある。
今日も色々とアイディアが出てきたり考えがまとまったりした。
このブログの意味は、そこにあると言う事を再確認も出来た。
こうやって、意味を一つずつ生み出していこう。
不幸を知らなければ幸福にはなれない。
これは当たり前の事で、不幸がどのようなものか知らなければ、幸福がどのようなものかを比較し判断する事が出来ない。
この世界が全て無意味であると感じられなければ、それに意味を与える事の大切さを理解する事は出来ない。
全てのモノは無意味でこの世は空しいものだ。
だからこそ、人生の全てを費やしてでも、その一つ一つに意味を、物語を与える事が、何より大切なのだ。
そうやって、少しずつ自分の宇宙を創り上げる、それが人生だ。
この文章は、私にとってはとても意味のあるものだが、これを御覧の方には意味の無いものかもしれない。
だからこそ、このブログには誰も来ない。
でも、それと、このブログの意味とは全く別の話だ。
ブログを書くと言う行為の持つ様々な意味の一つが「見てもらう」という事に過ぎない。
だから私は書く事をやめる気にはならない。
他にもいろいろな意味があるのだから。
人生が空しいと感じた時は、物語を作り出すことをしていない時だ。
近所の公園に散歩に行く事を物語にして、意味を与える。
自分が主人公の物語を人生そのものを使って書き上げる作家になる。
と、自分に言い聞かせよっと。
今回は、今後の予定などを書いてみよう。
一通りのものを人並みに描けるようになるくらいに絵の修行をする
文章を書き、それがまともに読めるレベルのものになるまで書き続ける
絵と文章が、一定の水準に達した後に、それらを漫画や絵本と言う形にまとめる為の能力を身につける
無音で、しかも空気の浮力を使わずに空を飛べる方法を発見する。
海と山に囲まれた、出来れば無人島を買い取り、そこに別荘を建てて暮らす。
都内に家やオフィスなどの物件を手に入れて、そこで暮らしたり、貸したりする。
火星に移住する。
寝子を沢山飼う。
世界中を旅する。
ゲームや漫画を沢山集めて、博物館をつくる。
雑貨屋で世界のお菓子とか面白いものを売る。
ほとんどの予定は実現可能であり、あとは、私の能力と努力次第だ。
今後の予定のほかに、やってみたい事、願望のようなモノは無数にある。
歌を作りたい。
昔実際に作った事があるが、今では忘却の彼方だ。
浮世絵などの昔の絵のデータベースを作って、それをネット上で公開したい。
それらのデータは自由に誰でも壁紙などに無料で利用できるようにしたい。
昔の絵は著作権などは問題なく誰でも利用できるので、それをもっと積極的に誰でも利用できるような環境を作りたい。
寝子データベースを作りたい。
里親募集の寝子たちを登録して簡単に検索できるシステムを作り、寝子と人とのマッチングが容易に出来るようなシステムが作りたい。
そのほかに、もっと個人的な願望は色々ある。
梨とか葡萄などの秋の果物が食べたい。
新しいゲームが欲しい。
コップに入れる氷が欲しい。
自転車のカゴを新しくしたい。
手ぶれ防止機能付きで綺麗に夜景が撮れるデジカメが欲しい。
欲しいものを書き始めたらキリが無いのでここら辺にしておこう。
欲しい物と、欲しがることの意味は別のものだ。
何かを欲しがる事は、本能が根底にあるので、意味などを考える意味は無い。
意味が必要なのは、それを手に入れる過程に対してだ。
水をコップ1杯手に入れるために1000km走らなくてはならないのであれば、その行為には意味が必要だ。
水が飲みたい、と言う以外の意味が無くては、わざわざ1000kmも先の水を求めたりしない。
上記の様々な予定や願望の最大の問題点はそこであり、結果に至る過程が困難なものが多い。
だから、そこには意味が必要だ。
本能的な欲求のみで乗り切れるほど簡単なものばかりではない。
納得の行く意味を発見できれば、どんな困難でも必ず成し遂げることが出来る。
愛は最大の理由だが、愛は抽象的過ぎて、意味としては漠然としすぎている。
火星に住みたいと思っても、その理由が「愛」ではほとんど訳が分からない。
もう少し具体的な意味が必要だ。
例えば「人口爆発に対応するために」とか「経済発展のために」とか。
行うための、簡単でわかりやすく、しかも強力な意味を発見する事が、今、一番必要な事だ。
意味は創り出されるものなので、意味が無いと感じている時は、実際には意味を作り出すことに失敗している状態であるといえる。
今の私はほとんど全てのものの意味を作り出すことに失敗しているが、もし作り出す事に成功すれば、あらゆる問題は解決したも同然だ。
意味を作り出す能力を鍛えよう。
先人たちはそれを「物語」と言って来た。
ただの人間の集合体に「国」と言う物語を与え、意味を持たせる。
そうやって、文明は築かれてきた事は間違い無く、今必要なのは物語に他ならない。
私は物語を新たに作り出す事に疑問を感じているが、それでも、何かに意味を持たせる為の物語ならば、作る価値は十分にある。
むしろ、それ以外に物語を作る意味は無い。
たとえば、宇宙に進出する意味を与えるために書かれる物語ならば、それは書くに値する。
物事に意味を与えるための物語を作ろう。
書く事で考えがまとまると言うのはよくある事だ。
だから、書く事には意味がある。
今日も色々とアイディアが出てきたり考えがまとまったりした。
このブログの意味は、そこにあると言う事を再確認も出来た。
こうやって、意味を一つずつ生み出していこう。
不幸を知らなければ幸福にはなれない。
これは当たり前の事で、不幸がどのようなものか知らなければ、幸福がどのようなものかを比較し判断する事が出来ない。
この世界が全て無意味であると感じられなければ、それに意味を与える事の大切さを理解する事は出来ない。
全てのモノは無意味でこの世は空しいものだ。
だからこそ、人生の全てを費やしてでも、その一つ一つに意味を、物語を与える事が、何より大切なのだ。
そうやって、少しずつ自分の宇宙を創り上げる、それが人生だ。
この文章は、私にとってはとても意味のあるものだが、これを御覧の方には意味の無いものかもしれない。
だからこそ、このブログには誰も来ない。
でも、それと、このブログの意味とは全く別の話だ。
ブログを書くと言う行為の持つ様々な意味の一つが「見てもらう」という事に過ぎない。
だから私は書く事をやめる気にはならない。
他にもいろいろな意味があるのだから。
人生が空しいと感じた時は、物語を作り出すことをしていない時だ。
近所の公園に散歩に行く事を物語にして、意味を与える。
自分が主人公の物語を人生そのものを使って書き上げる作家になる。
と、自分に言い聞かせよっと。