7月22日。俺は池上になる。











四分之三熟卵







(井上雄彦氏 スラムダンクより)

と、99%の人には意味の分からない投稿をしましたが、7月22日は、卒業論文の口答試問(Defense:ディフェンス)だったのです。結果から言うと、30秒バイオレーション(また意味が分かりづらい)!つまり合格しました。一度成功しただけでは「定評のある」とは名乗れませんが、守りきりました。

ディフェンスは、卒業論文の内容を30分のプレゼンテーションにまとめ、4人の担当教授達+学部の教授陣+学生の前で発表し、質疑応答に答えるというもの。

「あぁ、これがMSUでの最後のプレゼンか」という感慨が、心配や緊張よりも心を大きく占めていました。担当教授たちとは論文の内容に関して小まめに連絡をとっていたし、準備も出来ていたので、不安材料は限られていました。

全ての質疑応答を終えると、自分は退室。担当教授達だけで、合格か不合格かを審査します。同じ形式だったComprehensive Examの待ち時間の緊張とは大違いで、リラックスすること数分、合格が告げられました。

あとは、細かいフォーマットを整えて大学に提出して、プログラム修了。
(何か手落ちがなければ。何かありそう。後で笑い話になるレベルなら、歓迎します)

4年間、思い返してみると、結構長かったな。アメリカ生活の半分だもの。
得たものの大きな4年間でした。
学業面でのアドバイスや(どっちがPh.D学生かと思った事は数知れず)、大学からの多くはない収入でやりくりしてくれたフィオナには感謝しきれません。

今後は、ミシガンステイトのSpartan Nutrition and Performance Programを手伝いながら、働き先を決めていこうと思います。

それにしても、自分自身の就職活動や身近なAthleticsでの人事を通して、アスレティックトレーナーって、なんともシビアな職業だなって痛感します(他の職業も同じなのかもしれませんが)。時間と労力、そして信念をかけて積み重ねてきたものが、他人の眼鏡を通して形を変え、自分の足を引っ張るって、なんともやるせない。
6月末、夏学期前半(夏学期は前半と後半に分かれている)のクラスの成績を大学に報告して、MSUでのGraduate Assistant/Teaching Assistantの仕事が終了しました。
大学院生用のオフィスにある自分の机を、次に入ってくる人たちのために片付けて、講義で使った鍵達を返却。

四分之三熟卵-机

4年間で携わった学生の数は、500人以上。自分が一年目の時にIntroduction of Athletic Trainingで教えた生徒は、今は立派なATCとして仕事をしていたり、大きな大学でGAをしていたり。多くの大学院生が教えるのを嫌う、アクティビティクラス(バスケとか、ウエイトリフティングとか)も、上司が自分に合ったクラスを担当させてくれたおかげで、自分は大いに楽しませてもらいました。バスケのクラスでは1オン1に挑んでくる学生とやりあったり、ウエイトリフティングでは、1セメスターで20kgの減量に成功したと感謝されたり。学生達と接することによって、自分も成長させてもらいました。

大変だったのは、自分のコースワークや子育てで睡眠時間が取れなかった翌日の、朝一で講義。
寝不足だと舌たらずになってしまうのは、自分だけでしょうか。英語だとその傾向が激しく、講義が終わった後に、生徒に対する申し訳なさでガクッとなったことも何度もありました。
成績に対して文句を言ってくる生徒への対処が複雑になって、上司が間に入ったりしたのも、頭が痛かったっけ。

なにはともあれ、一区切り。
MSUで残すは、3週間後に控えた博士論文のDefenseと、その後の手直し。



話は変わって。

ベランダで育てている野菜達。
収穫第一号は、キュウリ。
記念に、謙ちゃんに踊ってもらいました(Embedできなかったので、リンクを)。

http://www.youtube.com/watch?v=SEkYwEs1GJI&feature=youtu.be

ちょっと苦かったけれど、過程を楽しませてもらいました。
次はなんだろう。

 

後で読み返した時に、必ず意味があると思うので書き残すことに。




 

 

 

ではないが、目指すと決めた場所に辿り着く、最後の一歩が届かなかった。いや、届いていたが足場が崩れた、と表現した方がしっくりくる。

 

 

 

その現実に直面した瞬間、時間は止まることなく続いているのに、その一瞬前まで存在していた希望やら期待やらが消え去った事によって、それまでとは切り離された違う世界に身を置いている気分になった。

 

 

 

しばらくして襲ってきた頭痛。一日経って朝起きてもそれは残っていた。

 

 

 

そんな中、意味があるとしか思えないタイミングで届いた、ニューヨーク時代のボスからのメールによって、感謝の気持ちがネガティブな感情を包み、前を向く。

 

 

 

そして、自分の恩師の1人、Tim Groverが書いた一冊の本「Relentless」。

 

この本を数ヶ月前から読んでいたことが、大きな助けとなる。

 

彼の声、目に宿る力、そして纏う雰囲気を直接知っている事で、本を通して彼から直接語りかけられているようだった。

 

 

 

Remember who you are, and how you got this far. Listen to your gut. What is it telling you? The Cleaner strategizes for a different outcome.

 

 

 

I got it.

 

 

 

そこから、手を差し伸べてくれる恩師達や友人の力を借り、落ちかけた土俵に喰らいつく。

 

客観的に考えて、一般的な定義での勝ち目はそうない。現時点では。ただ、自分が定義した「負け」を認めないかぎり、これは勝ちに繋がる一歩。自分を肯定する為ではなく、事実。

 

 

 

負けではなく、勝ちの途中。大好きな作品に出てくる言葉を思い出す。

 

 

 

そして、Timの表現を借りるならば、自分の”Dark side”に火が灯るのを久しぶりに感じた。

 

自分しか知らない、一番深い所から自分を突き動かす原動力。

 

アメリカに来て8年、周囲のサポートや、運にも助けられ、描いたシナリオを実現し続けてきたことによって忘れかけていた、この、決して美しくなどないが何よりも強力な力。このタイミングで再び火がついたことにも、きっと意味がある。

 

 

 

A cleaner can’t ever accept that it’s over. But he does recognize when it’s time to change direction. It’s not week to recognize when it’s time to shift directions. It’s week to refuse to consider other options and fail at everything because you could not adapt to anything.

 

 


 

最後に。謙信を寝かしつける際に、今回の出来事をぼやいた。すると、謙信は小さな身体を使って自分を抱きしめ、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と耳元でささやいてくれた。これには泣かされそうになった。

 

 

 

もう一つ。頭痛は、お茶を飲んだら一瞬で消え去りました。ショックによるものではなくて、カフェイン切れによるものでした。そこまで繊細じゃありません。

 

 

タイトルは「一ヶ月」ですが、ブログ放置は二ヶ月半。細々と続けていきたいものです。

この二ヶ月半の間に、色々とありました。

次男誕生
まずは次男誠梧が5月半ばに誕生。これが一ヶ月前のことです。
夏セメスター(Teaching&卒論仕上げ)が始まった数日後に誠梧が産まれ、それからは嵐のような一ヶ月間でしたが、周囲の助けに支えられました。
フィオナのママ友達は、産後の入院中に料理を持ってきてくれました。まさに救世主だったのは、最初の2週間の週日の午前中にヘルプに来てくださった、日本で助産師をしていた方。さすがプロ、色々と学ばせてもらいました。さらに、この2週間はNYに住むフィオナの友人が泊り込みで手伝いに来てくれています。友情パワー。

謙信は、ヤキモチを焼いたり、フィオナの前では赤子化してみたりと、新しい家族構成の影響を受けているものの、お兄さんとしての自覚も芽生えているようで、積極的に手伝いをしてくれます。誠梧が泣いていると「Baby is crying!」と教えてくれたり、「大丈夫だよー」と声をかけたり(興味深いことに、誠梧に話しかける時は日本語がメイン)、オムツを持ってきてくれたり。泣いている誠梧の足をそっと握り(+何か指を動かす)泣き止ませるのが必殺技。

誠梧の成長っぷりは中々。産まれた時は平均より若干小さめ(アメリカ基準)だったのが、一ヶ月後は体重身長共に75パーセンタイル(そして頭の大きさは90パーセンタイル)です。健康に育ってくれますように。

四分之三熟卵-seigo



卒業式
夏学期に卒業する学生も、5月に行われる卒業式に参加します。
が、卒業式が行われている時、自分は大学のジムでピックアップゲームしてました。
まだ卒業していないのに卒業式に参加するのもイマイチだし、自分の担当教授は出張で不在だし、ガウンを借りるのにも100ドル近くかかるし、フィオナは出産間近で人ごみは避けたいし、と色々な理由が重なって、「いいや」となりました。後日、友人からガウンを借りて、MSUの名物スパルタン像の前で写真だけ撮っておきました。
おそらくMSUでの最後のピックアップゲームになった日は、スリーが9/13で決まり、締めくくりに相応しい出来でした。


ベランダ菜園
キュウリ、トマト、ニガウリ、バジル、オクラのラインナップで挑んだ今年。
土にやられました。落ち葉を集めた腐葉土をオーガニックの土に混ぜたのですが、全然水を保てない事が発覚。そのせいで、この土を使ったニガウリ、トマト、バジルの苗は全然育ちませんでした。まだ諦めてはいませんが、おそらく実はつかないでしょう。
友人から譲り受けた別のタイプのオーガニック土で育てているキュウリは絶好調。10個近く、実がなっています。謙信氏になぎ倒されて根元から90度曲がってしまった苗も、地面と水平に育ち続けるという根性を見せています。収穫が楽しみ。

四分之三熟卵-kyuri

オクラも、ちょっと期待できそう。去年は、この状態になってから成長が止まり、秋が来てしまいました。
今度は間に合うか。きゅうりに続け。

四分之三熟卵-okura



就職活動

合計10年間の学生生活が終わりに近づき、30歳にして、ようやく就職活動です。
ちなみに自分のビザ(J-1)の関係で、デッドラインは9月15日。それまでに仕事が見つからないと、強制帰国です。
どうなることでしょう。
就職祝いに、自家製キュウリを実家から送られてきた金山寺味噌で食べることが目標です。

ミシガンにも、ようやく春めいた日々がやってきました。

毎年ひっそりと楽しんでいる、ベランダでの家庭菜園の種まきの季節です。
去年は、トマト、オクラ、ニガウリに挑戦したものの、収穫はトマトだけ。
ニガウリは、花は咲けど実が成らず。
オクラは、成長がゆっくり過ぎて夏が終わり、秋の寒さにやられてしまいました。
(そういえば、栽培中にこんな日記も書いています)

今年は毎年恒例のトマトに加え、ニガウリとオクラのリベンジ、さらにはキュウリとバジル。
去年よりも早い時期に種まきを決行。
とはいえ、朝晩はまだまだ冷え込むミシガン。まずは室内の窓際で発芽を待ちます。
容器には、卵のケースを使用。土はこだわってオーガニック。

$四分之三熟卵

どの種を受けたか分かるようにラベルを土に差したものの、謙信氏の心強い協力があったので、ラベルと苗が一致するかは不明であります。

$四分之三熟卵

ニガウリは、土に植える前に、水に浸して発芽を待ちます。
発芽しやすいように、種の頭の部分を少しカットします。一晩経っただけで、早くも芽の頭が顔を出しました。種の先端にある、白い点、分かるでしょうか。

植物の静かな力強さを毎朝確認して一日をスタートできるのは、家庭菜園の、最終的な収穫よりも、もっともっと大きな魅力の一つです。

大きな変化が訪れる、この先数ヶ月。彼らに何度も励まされる事でしょう。