先日英語を勉強することの切迫性を書いたが、

それ以前に唯一話せるはずの日本語すらも危ういと感じた。


前職の先輩(これまでの私の転職歴や性格を知る方)から

「刹那的に転職を決めたらいけないよ」とアドバイスをもらった。

「まだそこまで落ち込んでいませんよ、前向きです」と返答した

が、どうも話が噛み合わない。


「刹那」という言葉を僕は「破滅」「自虐」といった意味だと間違

って使っていたからだが、正しくは「過去や将来のことを考えな

いで、ただ現在の瞬間を充実させて生きればよいとする」という

意味。意味を知り、先輩の的確な指摘を真摯に受け止めようと思った。


しかし31歳になって日本語の意味を間違えて覚えている自分が

恐ろしくなった。今回は正すことができ、先輩のアドバイスも

素直に受け入れることができたが、勘違いしたままだったら

違った結果になっていたはず。


英語もそうだが、言葉は曖昧やイメージで使ってはいけない。

転職活動を始めて1ヶ月半になるがこれで面接4連敗。

書類の通過率が1割ということを考えると数少ないチャ

ンスをことごとくものにできていないことになる。

情けないこと限りなし。


連敗が続くと職に就く時期が遅くなる(場合によっては

得られない!?)という事実よりも、心理的にビジネス

社会全体から「あなたは必要ありません」と拒絶され

ているかのように感じるのが辛い。


自分の冷静な部分では、「まだたかが4回、この不景気

だし、活動を始めて1ヶ月半、長い人生でみればわずか

な期間、悲観することはない」という。

が、とにかく職を得るだけならまだそんなに難しくはない

かもしれない。仕事にこだわりを持たないのであれば。

ただそれでは10年後の自分に「なぜこの仕事を選んだの?」

に本音で答えられない。


感情論で易きに流れた前回の転職活動が今の苦境を招い

ている。全ては自分が原因だ。今はガマン我慢、高く飛ぶ

ために。

最近商店街を歩いて電気屋の前に電光掲示板があるの

に気づいた。どうやらアナログ放送終了までのカウントダ

ウンのようだ。アナログ放送は2011年7月に終了だから

まだあと一年以上ある。表示もまだ380日を示しており、

テレビ買い替えに対する私の「まあいつか買い替えれば」

という気持ちは変わらなかった。


が、翌日その前を通ると数字が一つ減っている。当たり前だが。

翌日もまた一つ。この電光掲示板の存在に気づいてから7日は

減っている。ちょうど1週間。上記の「いつか買い替えよう」という

気持ちはかわらない。


つまりこんな調子で2011年7月を迎えてしまうのだろう。

この数字がいくつになったら自分は行動に移すのだろうか。


今までの自分の性格上、一桁になるまで動かない自分が

想像できて逆に焦った。

期限があるのに手付かずにしているものをカウントダウン表示

するのは良いと思う。職場で「見える化」が話題になったことが

あるが、効果アリだと痛感。

「直前まで緊張する」、「結果が出るのが怖い」、

「後悔する部分もある」が、同じくらい「充実感がある」

ということ。そして「取り組んだ分だけ、その対象を好き

になる」ということ。


今日は転職活動で4社目の面接だったが、過去3回とは

比にならない程準備に時間を割いた。

一言でいえば、「本気」で取り組んだ。

(以前ここでも「早めの準備は身を救う」として書いた企業の案件)


ただその理由は、その企業への志望度の高さからではなく、

尊敬する紹介会社のアドバイザーからの案件であり、準備を

したのもその方のアドバイス。残念ながら自主的ではない。

 しかし上記のとおり、不思議なことに取り組んだ時間と作業の

分だけ(目的は「この面接で自分の力を出し切る」)気持ちが

後からついてくる。するとよい結果を出そうと努力したくなり、

取り組みにも熱が入る。 


本気のスイッチは結構地味で事務的な中にも潜んでいるの

かもしれない。

今日在籍している会社に対して「退職願」なるものを書いた。

今まで転職は2回しているが両社ともフォーマットがあり、

それに署名捺印しただけだったが今の会社にはない。

ネットで「退職願の書き方」を検索して、その通りに全て

直筆で書いた。 


何とも言えない気持だった。以前も書いたが、今の社長に

声をかけてもらい、会社と社長に対して期待を、自分の経験

と大きな決断に対して自信を持ち入社した。

しかし結果的には体調不良による退職。悔しい。腹立たしい。

ただ何に対してなのか分からない。

いや分かっているのだけれど、口に出したくない。

言葉にしたところで生まれる価値はない。

」今できるのは選択を誤った自分を反省する努力だけだ。

忍耐、辛抱それだけだ。


退職願とは誰が使い始めた名称なのだろう。

「願」でもなんでもない。今日は七夕だが短冊に書く願いとは

ほど遠い、ただの作業だ。転職活動は会社・社長の見極めを

慎重に行おう。