日本の作曲家たち その1 | いつも心に音楽を

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クラシックの名曲等やピアノ演奏、音楽理論などを中心に展開。
また、尊敬する若きピアニスト牛田智大さんを応援します。

 

 日本の主にクラシック音楽の作曲家について、年代を追ってみてみたいと思います。

 

※いわゆるシンガーソングライター、ポピュラー音楽のみの作曲家についてはここでは触れません。


クラシック音楽の作曲家というと、やはり西洋の偉大な方々、こんにち世界中で演奏される名曲は、ドイツ、ロシア、フランス、イタリアなどの作曲家の名作ですね。 

まぁ、クラシックは西洋の伝統音楽なので、そこに限界があると言えばそれまでですが・・・

 

しかし日本にも、それ程光は当たらなくても、作品が世界でも評価され演奏される方々も結構いるのです。

 

 因みに牛田智大さんは、日本の作曲家の作品もよく聴いていると思います。実際吉松隆さんの作品がすごく好きで、と約2年前のテレビ出演の折,言ってましたね。(牛田さん、渋すぎますって~!)

 

 

     

 

 

 

西洋クラシック音楽の理論を本格的に学び、日本に紹介した最初の有名な作曲家は、やはり

 瀧廉太郎(- 1903) でしょう。(厳密には年上のピアニスト 幸田延(幸田露伴の妹)に弟子入りしてますが、作曲家として名を残したという意味で)

花、荒城の月、お正月 などの歌曲(二重唱、単旋律)はこんにち誰もが知る名曲ですが、廉太郎自身はもっと本格的な作品を作りたかったのです。ドイツ、ベルリンへの留学生に選ばれるという名誉を受けながら、ドイツでの音楽の、日本のそれと全く比較にならないレベルに大変なショックを受けました。また当地での寒さで肺結核を悪化させ、あえなく帰国。その翌年僅か23歳で亡くなりました。

   

        

作曲したいにも、もう起き上がれない病床で、死期を悟りながら残したピアノ曲があります。本当に無念でならなかったでしょう。

 

 

        

              滝廉太郎    ピアノ曲 「憾」  

 

 

 

 山田耕作(1883 - 1965) 

 日本で、本格的に交響曲やオペラなどの作曲にも取り組み(しかしこうした大作はこんにち滅多に演奏されませんが)、日本初のオーケストラを創設させました。

瀧廉太郎はひたすら西洋音楽に憧れていたのに対して、山田は、日本的な情緒をも十分大切にしながら、様々な作品を広く残しましたが、やはりこんにちよく知られてるのは歌曲で、赤とんぼ、この道、からたちの花、ベチカなどが特に知られています。またかなりの数の校歌も作っていたそうです。(これ以後の作曲家は、校歌を作る事も仕事となってゆきます)

 

      

         

                 山田耕作  序曲 ニ長調  

            日本人作曲家による初のオーケストラ作品と言われています。

        

 

 

 伊福部昭(1914- 2006)

やはり多くのオーケストラ作品を書いていますが、民族的音階の多用や、日本独特の性格をのせた作風が多いとされています。殆んど独学で優れた作品を生み出してきたのも特筆すべき点。しかし何と言っても彼の名を有名にしたのは、映画「ゴジラ」の音楽を遺せ、シリーズ化できたことでしょう。

                

 

         

             伊福部昭  映画「ゴジラ」 メインテーマ

 
 

 

 芥川也寸志(1925-1989)

芥川龍之介のこ子息としても有名。オーケストラ曲や映画音楽、歌曲まで幅広く手掛ける。当時流行していた無調音楽などの系統より、比較的分かりやすい、軽快で、また美しいメロディの作品を多く残してる印象です。

NHKの音楽番組の司会も幾つかされてたので憶えてる方も多いのでは。

       

          

                NHK 「音楽の広場」

 

 

 

         

               芥川也寸志  名曲集

 

 

 

 團伊玖磨(-2001)

多くのジャンルに渡る作品を、数多く精力的に手掛けました。またエッセイストとしても活躍されました。

オペラ「夕鶴」(木下順二作)は、最もしられた大作でしょう。歌曲では「花の街」が有名。

       

 

         

             團伊玖磨  オペラ「夕鶴」より  つうのアリア

    

 

 黛敏郎(1929-1997)

「題名のない音楽会」の司会を長くやっておられて、ご存知の方も多いと思いますが、作品は、当時としては大変前衛的で、一聴しただけではとても解りにくい(無調主義などが顕著)ものが多いようですが、東京五輪の開会式の音楽の一部も手掛けたそうです。        

 

 

         

              黛敏郎  題名のない音楽会での司会

 

        

 

  武満徹(1930-1996)

 日本の現代音楽作曲家としては、作品の幾つかが世界でも高く評価されている、天才的な作曲家といわれています。作曲はほぼ独学で、ジャンルもとても幅広く、映画音楽などでもさまざま実験的試みをしています。

 

代表作の一つ「ノ―ヴェンバーステップス」はオーケストラと琵琶&尺八のコンチェルト?・・どうも単純にコンチェルトとは言えないそうですが。。

 

作曲手法に於いては西洋音楽的な音の捉え方とは違った、独特な、自然の音などからのインスピュレーションや音の組み方も多いです。

 

                  

         

                 武満徹  ノヴェンバー・ステップス より

 

 

 

         

                                   歌曲  小さな空

 

 

 概ねここまで挙げてきました、芸術音楽を創作の中心とした作曲家の方々は、映画音楽やテレビ等の音楽で、または歌曲が少しヒットする事で少しづつお金を稼いでたようですが・・・ 

 

 

 富田勲(-2016)

 1960年代より本格的に台頭し始めたシンセサイザーで、クラシックの名曲を様々アレンジして発表、世界的に名前が知られ、このジャンルの日本でのパイオニアと呼ばれています。シンセサイザー音楽にたどり着くまでは、多くの映画やテレビの音楽、また純音楽作品も書いておられました。

        

 

         

        富田勲 シンセサイザー編曲版 「展覧会の絵」 ・・・ざ、斬新です^^!

       牛田さんのかつての演奏・録音、こういう遊び心も入れたら、更に良かったかな♪

        

 

 

         

            手塚治虫作品のアニメ化 「ジャングル大帝」から

 

 

            

 

 

 

        

 採り上げました日本の作曲家の方々は、僕の独断と偏見で挙げさせてもらいました(^^♪ ここまでの年代でお名前が無くても、素晴らしい方々がいたのはいうまでもありません。。

 

 

そして、この続きはまたいつか取り上げてみたいと思います。

 

 

     

       ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

   追記

 

14日、NHK・BSプレミアムで放送された、『蜜蜂と遠雷』若きピアニスト達の18日

 

浜松国際ピアノコンクールでの、ほぼ牛田さんを中心とした内容の濃いドキュメンタリーでした。

中村紘子先生との貴重な逸話や映像。日本国内だけでも複数に拠点をもって忙しくされながら、コンクールでは、1次予選は「終わった」と語り、2次も自信がないのか(あれらの演奏がなぜダメなのか理解できませんが)、自宅で別の備えをされ、結果を知って慌てて浜松へ。駅のコンコースのピアノでギリギリまで練習されてる姿などは特に胸を打ちました!

どこまでも熱く真摯にピアノに向き合う姿からは、改めて多くの感動をもらいました!!

 

 でも牛田さん、あまり無理はし過ぎず、等身大の青春もじゅうぶん謳歌して欲しいです☆